■アンシェヌマン・・・1章・1



激しいリズムを刻み、クラシック音楽が響き渡る。

それに合わせ、伊吹夏樹[いぶき・なつき]は板張りのフロアを踏み込んだ。

「っ……」

空中で横に二回転半。

片足で着地、そして膝を着き胸を張る。

斜め上へと延ばされた腕は指先まで意識が行き届き、今にも誰かがその手を握り返してくれそうだ。

「っ……ハァハァ……」

音楽は終演。

深夜近くの一人きりのレッスン場では当然の如く拍手一つ起こりはしない。

それまで身体中に張りつめていた気を緩めた夏樹は荒くなった呼吸を整え、レッスンバーに掛けていたスポーツタオルを取に行くと、額や首筋の汗を拭いそこに顔を埋めた。

一秒にも満たない僅かな誤差。

新たにスピンの回数を増やしたが為に曲とタイミング合わなくなり、それが許せなくて今晩一晩で何度踊った事か。

一度長い息を吐き出し、夏樹はようやく顔を上げた。

「踏込が甘い、か。どうしてもタイミングがずれてしまう・・・」

伊吹夏樹、年齢は二十五歳。

身長170cm台前半で、身体は引き締まり無駄な肉は感じさせず、それどころか線の細さを残しながらも薄らと全身綺麗に筋肉が纏っている。

髪は濃い茶色で緩やかなウエーブ。

顎のラインは細いが決して女性的ではなく、バランスの取れた目鼻立ち、その中でも特に印象的なやや吊り気味の目元は恥ずかしげもなく美男子の呼び名が良く似合う。

夏樹は、小泉バレエ団所属のプロバレエダンサーである。

小泉バレエ団は関東に本部を置き、数十名のダンサーを抱える一方昼はバレエ教室を行う形式のバレエ団だ。

バレエ団などと言えど、精々関東で名が知られている程度の規模で定期公演は年三度だけ。

夏樹の場合、それ以外の時期は他のバレエ団やスクールの舞台にゲスト出演をしている事が多い。

今にしてもそうで、以前より交流のあったバレエ団の公演に出演する為、夜のレッスンも終わった後一人残り演目の練習を繰り返していた。

「……もう一度」

タオルを乱雑にレッスンバーに掛け表情を引き締めると、夏樹は音楽を掛ける為機材に向かう。

演目は海賊。

夏樹の一番好きな踊りである。







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