■アンシェヌマン・・・1章・4



マンションのエレベーターに押し込まれ、最上階へと連れて行かれる。

嫌な沈黙の中エレベーターが目的の場所にノンストップで到着すると、降りた先の広いエレベーターホールは壁に囲まれ廊下も無く、玄関扉が左右に一つづつあるだけであった。

そこから通じる二つの部屋が同じ大きさであるならば、外観から想像するにワンフロアの半分の面積は相当に広いのだろう。

「入れ」

「・・・は、はい」

オートロックのボタン式キーを解除し男は夏樹を中へと促した。

恐々としながら足を踏み入れたその部屋は今は無人なのか暗く静かだ。

靴を脱ぎ室内灯を点けながら進む男の後を追うと、やはり予測していた通り室内はとても広かった。

人が何人立てるのかという土間に、その倍は面積の取られた玄関。

奥のメインルームに至っては十分に踊れそうな広さのあるフローリングだ。

だが、やたらと広い割にこの家には極端に物が少なかった。

玄関とそれに続く廊下には皆無と言って良い程何もなく、メインルームにしても数える程度の家具しか置かれていない。

高層のこの部屋には必要がないのかカーテンすら掛けられておらず、あるのは二人掛けのソファーとそれに合わせたローテーブルのみ。

他にはテレビもオーディオもラックの類も何もない。

ふと見えた隣接するキッチンも、スッキリを通り越し寂しい印象だ。

これではモデルルームの方が余程生活感に溢れている、などと考えていると、メインルームの入り口で突っ立っていた夏樹を男はチラリと見やった。

「何をしてる。こっちに来い」

「はい」

一つしかないソファーに座り、男が唸る。

『来い』と言われても何処まで行けば良いのか迷ったが、男が促すようにソファーを叩いたのでそこに座れという意味なのだろう。

男に謝罪をする為に来た筈だというのに隣りに座らされるというのはなんとも奇妙だが、他に椅子も無く、何より従う以外の選択肢を夏樹は持ち合わせていない。

肩を強張らせながらも広いメインルームの中程壁際にセッティングされているソファーセットまで行き、、夏樹は床にレッスンバッグを置くとソファーへ腰を下ろした。

出来るだけ男と離れた隅に小ぢんまりと座る。

そうして行儀良く揃えた膝の上で拳を握りしめていると、頭上の男が喉で笑った。

「そんなに怖がるな。こっち向け」

「は、はい」

怖がるなと言われても、事実恐ろしいのだから仕方がない。

だが、視線を彷徨わせながら顔を上げた夏樹は、そこに居た男の面立ちに一瞬恐怖を忘れた。

「・・・ぁ」

ぶつかった時は外は暗く光は逆光で、何より気が動転していた為によく解らなかったし、エレベーターに乗り部屋へとやって来た時は足元ばかりを見ていたので気が付かなかった。

だがこうして煌々と明かりの灯る室内で見たこの男は、予想外なまでに二枚目であった。

不機嫌そうに寄せられた眉間の皺と、切れ長の一重の瞼。

口元は今は歪に口角が釣り上げられているものの全体的に厳めしい印象であったが、良く見れば滅多に居ない男前だ。

少なくとも今までの夏樹の周りには、同類の集まる店でも見かけた事が無いタイプである。

それは容姿だけではない。

表情や仕草、身に纏う雰囲気、その全てがどんなに見目が良くとも、この男は常人とは違うと感じずにはいられなかった。

「どうした?」

「い、いえ・・・」

これから何を言われるのだろう。

例え男前でも、もしも本当にこの男が暴力団員ならば、金を巻き上げられるか肉体労働を強いられるか、もしくはとんでもない契約を結ばされるか、何にしても碌な想像は浮かばない。

ソファーに座ったまま、男は夏樹に片手を伸ばした。

殴られるのか。

思わず固く瞼を閉ざした夏樹だが、しかしいつまで経っても痛みは訪れはしなかった。

「・・・・え?」

「お前、男のくせに綺麗な顔してるじゃねぇか」

「あの・・・?」

代わりに、唇に触れられた感覚を知る。

男の指が、自身の唇に触れている。

その意味を理解するよりも早く、男はニヤリと唇を歪めた。

「さっきの代償、身体で払ってもらおうか」

「・・・は?」

身体で、とはどういう事だ。

土木作業をして働く・身体を動かして払う、という意味ではなさそうで、つまりは───SEXをするという事なのだろうか。

唇に触れていた男の手がいつのまにか夏樹の後頭部へ回されている。

そうしてソファーへと押し倒されたと同時に覆いかぶされ、男の顔が目の前に迫った。

この男もゲイかバイだったというのか。

まさかこんな事が起こるなんて。

一日に二度も、それも一時間の間も置かずに、恋人でもない男に誘われるなど考えた事も無い。

このような名も知らないヤクザ風の男に押し倒されるくらいなら、鈴原の方が余程マシだ。

そう思った瞬間、夏樹は男の肩を両手で押し返し叫んでいた。

「俺は、ワンナイトラブはしない主義なんです!」

「・・・何?」

「あ・・・えっと、そうじゃ、なくて・・・」

そういう問題ではない。

断じて、それだけの問題ではない。

一度目に誘いを受けた鈴原に告げたのと同じ言葉ではあるが、だが今はあの時とはまるで状況が違うのだ。

今夏樹の上に居るのは元々憧れていた男ではなく、つい数分前にただぶつかっただけのヤクザ風の男。

身体を交える拒絶をするのに、『ワンナイト』であるか否かという問題ではない。

けれど。

「そうか。心配するな、俺は気に入った相手は何度でも呼びつけてやる」

「そ、そういう問題じゃなくて、あの、えっと・・・ンッ・・・・・・」

抵抗虚しく、男は夏樹の腕を払い除けると互いの唇を重ねあわせた。

あの時鈴原の誘いに乗っていれば良かった。

そうすれば少なくとも、この男にぶつかる事は無く、キスをする事もなかっただろうに。

しかし後悔などしても後の祭りにしかならない。

未だ名前も知らないヤクザ風の男に口内を蹂躙されながら、夏樹は至極馬鹿にした鈴原の笑い声を思い出していたのだった。






  


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