■アンシェヌマン・・・1章・5



夏樹が三回の吐性の後に見た黒川の背中には、二頭の獅子と艶やかな牡丹の花が描かれていた。

やはり黒川は暴力団員だという。

関東に勢力を広げる指定暴力団の二次団体で若頭補佐を務めているらしく、年齢は37歳。

夏樹よりも一回り年上だ。

その黒川は、名刺を渡せばそれだけで恐喝になるからと連絡先を走り書きしたメモを夏樹に渡した。

その時自分が何をどう考えていたのかは今となっては解らないが、心の何処かで何かを期待していたのだろう。

夏樹もまた、自身の連絡先をメモに書き黒川に渡していた。

黒川とのSEXは今までに経験がないまでに激しく、翌日は昼過ぎまでまともに動けない程身体の内外に違和感を残し、たまたま朝のレッスンの無い日でだったので良かったもののそうでなければ困った事になっていただろう。

けれど、そのSEXはただ激しいだけではない、溺れるような快感を伴ってもいた。

ヤクザとは関わり合いになりたくはない。

あのような翌日に響くSEXもしたくはない。

そう思う反面、また黒川に会いたいと、あの身体に抱かれたいと、思ってしまう夏樹も居た。

連絡先のメモを交換した時、黒川は近いうちに連絡をすると言っていたし、夏樹にもいつでも連絡をするようにと言っていた。

───だがそれから一週間、黒川からは一切音沙汰はなかった。

「瑞穂もっとよく音を聞いて」

額に汗を光らせる女性に手を差し伸べ、夏樹はその腰を抱く。

ピルエットを支えてやれば、ようやく互いのバランスがしっかりと合うようになったなと実感した。

男性と女性では舞台に上がる回数に圧倒的な差がある。

一つの演目の中で女性の出演者が大半を占めるものの、それでも男性ダンサーの人数自体が少ない。

女性はプロであっても所属するバレエ団の公演に加えて年数回他でも踊るか踊らないかという程度だが、男性は公演から発表会まで様々な舞台に出演し月数回舞台に立つ事も珍しくはなかった。

そういった事情もあり、今回の演目にしても夏樹は十数回演じてきたが、ペアを組む女性・島津瑞穂[しまづ・みずほ]は初めてだという。

安定した踊りを見せる夏樹に対し瑞穂はまだ曲に合わせステップを追っているばかりの印象だが、元々センスの良い人なので回数を重ねて踊ればぎこちなさは消えるだろう。

「瑞穂、焦らないでしかっりとステップを踏み込んでからピルエットに向かいなさい」

ラストのステップで見せ場でもあるリフトをし、舞台の袖と見立てたレッスン場の隅へと足を向ける。

講師が曲を止めたのと夏樹が瑞穂を降ろしたのは同時であった。

「はい、今日はここまで。ずいぶん形になってきたけど、瑞穂はもうちょっと二人で踊ってるって事を意識しましょうね。伊吹さん、お疲れ様、次回来週もよろしくね。瑞穂はちょっと待って」

荒い息を吐きながら、瑞穂が礼と共に夏樹にレべランスをする。

二十歳そこそこの彼女は世間一般的に見て美人の部類に入り、胸筋を使う為貧乳が多いバレリーナの中ではなかなかに恵まれた胸を持つ方だろう。

だがそのどちらもゲイである夏樹には意味をなさないものだ。

汗を流しながらも爽やかな笑顔を向ける瑞穂に、夏樹は形だけの笑みを返した。

「はい。お疲れ様でした。では、来週に。お先上がらせてもらいます」

「伊吹さん、どうもありがとうございました。お疲れ様でした」

一日のレッスンの全てを終え、夏樹はふと長い息を吐いた。

踊るのは良い。

何より集中が出来、余計な事を考えずに済む。

だがひとたびレッスンが終わりバレエから離れると、己の意思などお構いなしに黒川の面持が脳裏にチラついた。

あれから一週間も経つのだから、もう黒川から連絡が来る事はないのだろう。

それが嬉しいのか、残念なのかも解らない。

ただ、そろそろ黒川の面影に囚われて居たくはないとだけは思う。

「・・・・はぁ」

間近に控えた公演の練習の為立川バレエ団に訪れている夏樹は、まだレッスン場に残るという瑞穂と講師に挨拶を残し階段で更衣室へ向かった。

明日も朝からレッスンだ。

シャワーを浴びて着替えてさっさと帰り、ビールの一本でも飲んで寝てしまおう。

それが今の夏樹には一番良い気がした。

女性用の更衣室とは比べものにならない狭さの男性用更衣室に入り、扉を閉めるなりTシャツを脱ぎ捨てる。

そうしてタイツなども脱いでしまおうとした時だ。

ふと、棚に置いていた私物の中で携帯電話に視線が引き寄せられた。

二時間のレッスンの最中放置していた携帯電話には、電話かメールか解らないが着信があったと知らせるランプが点灯している。

けれどそれは良くある事で、大抵はメールマガジンや迷惑メール。

そんな程度ならシャワーを浴び小ざっぱりとした後でに確認をすれば十分だ。

だがそうは思えど、今日は不思議と直ぐに見なければならない衝動に駆られた。

Tシャツを乱雑に畳みレッスンバッグ突っ込み、その手で携帯電話を取り上げる。

タブレッド型のそれをタッチしロックを解除すれば、不在着信を知らせる画面が現れた。

「・・・うそ」

着信があったのは、今から五分前。

相手の名前は───黒川仁。

見間違えようがない。

何度見直しても、そこには夏樹自身で登録をした黒川のフルネームが表示されていた。

彼からの電話、それが何を意味するのか解らない夏樹ではない。

掛け直すべきか、無視をしてしまうべきか。

今ならどちらも選ぶことが出来る。

「・・・・ヤクザなんて」

ヤクザとなど交流を深めるべきではないとは思うが、無視をしてしまうのもそれはそれで怒気に触れるのではないかとも思う。

結局のところ、もうヤクザと『関わり』を持ってしまったのだから、今更どちらを選んだところで碌な目に合わないのではないか。

どちらでも、変わらないのならば。

夏樹は更衣室の扉から一番離れた隅まで行き、リダイヤルボタンをタッチした。

「・・・、・・・もしもし俺、夏樹です。着信見て───」

まだ、二人の関係に名前はない。

そして、この先どのような名前がつけられるのかも、今の夏樹には皆目見当もつかない。

夏樹は遠くでアントレが終わる音を聞いた気がした。




【一章・完】







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