■アンシェヌマン・・・2章・4



今日の演目は『眠りの森の美女』である。

童話としても有名な作品であるがバレエの演目てしてもメジャーなものの一つで、役所は違えど夏樹も年何度も出演しているだろう。

夏樹個人としてもこの演目は好きだ。

踊りそのものというよりもストーリーが好きで、憧れのバレエ団の公演であれば都合を付けてでも見に行きもしている。

ドラマティックで華やかなストーリーは、お伽話だと理解していても憧れた。

それは幼い頃からという訳ではなく、プロのダンサーとしての自覚が芽生え、そして自身がゲイであると認めざるを得なくなった頃からだろう。

自分にもいつか、100年の時を経ても迎えに来てくれる王子様───とは言わなくとも、ただ一人だと言ってくれる男性が現れて欲しい。

そう、夢みていた。

否、今も違わず夢を見ている。

けれど現実は、この舞台を終わっても連絡が出来るのは王子様どころか極彩色を背負うヤクザで、ただ一人ではあるがたかだかSEXフレンドだ。

何かが違う気がする。

しかし、嫌な気はしない。

「失敗、しませんように」

開演から順調に舞台は進み、夏樹は舞台袖で三幕開演を待った。

出番は多い方ではないが、今日は比較的大きな公演だ。

夏樹は片手を胸に当てると、目を瞑り長く息を吐いた。

舞台前恒例のまじないのような物で、これをすると集中力が高まる気がしている。

何度となく舞台に上がってたとしても毎度毎度、それが例え小規模な発表会であっても、多かれ少なかれの緊張はするものだ。

今日の舞台が終われば。

黒川に、連絡を。

「よし」

舞台から盛大な拍手と明るい音楽が聞こえる。

歓声の中に向け夏樹は胸を張り足を踏み出したのだった。


*********


ブルーバードはパ・ドゥ・ドゥである。

まずペアで踊り、続いて男女それぞれ一人づつ踊り、そして最後にもう一度二人で踊る四部構成だ。

今回のペアの女性は夏樹よりも年長で、この曲も何度か経験があるという。

もっとも、その自信からかリハーサルを始めた当初は夏樹にとってはやり難いところもあったが、今日の本番までにはきちんと形に出来ている。

二人で踊るアダージョは無事踊り終え、息つく間もなく夏樹は一人で踊るパート・ヴァリエーションの為舞台に立つ。

『若者の踊り』と揶揄されるこの踊りは、特にヴァリエーションではステップの大半がジャンプだ。

その為呼吸一つ間違えては音を外してしまう。

全身、指の先にまで神経を向けながら一つ一つの動作を美しく。

それでいて必死の表情を浮かべていてはみっともない。

「っ・・・」

広い舞台は強い明かりに灯されており、そこはまるで光りの中に居るかのようだ。

照明の落とされた客席は漆黒の闇にしか感じられない。

それでも、そこに観客が居るというのは強い気配で感じられた。

より完璧に。

ミスなど、プロであるのだから許されない。

「はっ・・・」

荒くなる呼吸の中、終盤の連続したステップを正確に刻んでゆく。

ここは見せ場だ。

客席からも拍手が起こり、夏樹の口元には作り物ではない笑みが浮かんだ。

多くの拍手。

それはダンサーをしている限り嫌いな人間など居はしないだろう。

「・・・っ」

小気味良い音で、曲が終わる。

膝を付身体を伏せるポーズで決めた夏樹は、一拍の間を置いて立ち上がった。

無事、ヴァリエーションは踊りきった。

喝采の拍手の中夏樹がレべランスをし、頭を上げた───その時だ。

「・・・ぇ」

演目の最中にも関わらず、人の出入りがあったのか舞台正面の出入り口扉が開けられた。

その瞬間、外の光が暗闇の客席へと舞い込み舞台から見たその一部分だけが、光の空間のように感じられる。

(っ・・・、うそだろ・・・)

それはほんの一瞬だった。

夏樹が舞台の中央付近から袖へと向かう数秒よりも短い間。

けれど、確実に見間違えてなどしていないと言い切れる。

(・・・そんな筈は・・・)

舞台袖の奥まで到着し、女性のヴァリエーションが始まっても到底夏樹の胸の鼓動は収まってくれようとはしない。

まさか、そんな筈など決してないのだ。

教えてもいなければ、来る義理も必要もない。

けれど、他人のそら似というにはあまりにも───。

「・・・だって・・・だって」

漆黒の闇の中、そこにだけ浮き上がっていた光。

観客席ではなく正面扉のすぐ隣の壁にもたれ掛っていたからこそ見る事が出来た人の姿。

それはどう見ても、黒川仁にしか見えなかったのだった。


  

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