■アンシェヌマン・・・2章・7



パーティー会場を出ると同時にリダイヤルを掛ける。

そうしながらも夏樹は歩みを止めることなく、ちょうどフロアに止まっていたエレベーターに乗り込んだ。

黒川との電話は殆ど全てと言って良いほどその日の予定の有無と会う約束を取り付けるだけだ。

今回もそうだとするならあまりダンサー仲間や舞台関係者に聞かれたい内容ではない。

もしも他の内容であるなら、それがどのような話であるのか想像がつかないのでやはり聞かれたいものではなかった。

出来るだけ知り合いに会わない場所に向かいたい。

幸いエレベーターは夏樹一人きりで、携帯電話を耳に宛ながらそれは下降して行った。

「・・・」

発信コールが4回繰り返される。

出ないのかと思い始めた時、それはプッと音を立て途切れた。

「っ・・・もしもし」

『夏樹か?』

スピーカー越しの黒川の声に、胸の鼓動が嫌な音を一つ立てた。

彼の電話に発信したのだ。

彼が出て当たり前だというのに肩に力が入ってしまう。

「あ、あの。着信があって、それで・・・」

『あぁ。今忙しいのか?』

「いえ、あ、忙しいと言うか、えっと・・・」

打ち上げの途中なので暇ではない。

だが電話をする為に抜け出す事も、このまま帰ってしまう事も可能ではある。

曖昧な言葉を口ごもりながら告げる。

そうしているとエレベーターはエントランスに到着し、夏樹はそこから降りた。

『どっちなんだ。まぁ良い。今日は遅くなるのか?』

「えっと、別に───」

決まっている訳ではないし、今すぐ帰る事も出来る。

もっとも今も決して早い時間という訳ではないと口にしようとした夏樹は、けれどその動きも声も、ある一点に視線が吸い寄せられ奪われてしまった。

「───なんで・・・」

広いシティーホテルのエントランス。

夜も深まりつつある時間帯に人の姿はまばらだ。

その中で、エレベーターを降りた夏樹を少し離れた柱の陰で迎えた人物は、耳に当てていた携帯電話をそこから降ろすと感情の読めない面立ちで夏樹を見つめた。

「よぉ」

何故、ここに居るのだ。

舞台の出演を知らせて居なければ、もちろん打ち上げ会場の場所も教えていない。

何より、たとえ教えていても彼が此処に来る理由など何一つありはしないのだ。

だというのに。

動きの全てを奪われていたような夏樹は、彼の声を聞くと弾かれたようにそこへ掛けだした。

「仁さんっ・・・」

「まさか降りてくるとは思わなかった。抜け出して良いのか?」

「それは、別に・・・。でも、どうして・・・」

「夏樹と、やりたくなっただけだ」

目の前に立った、羨ましいまでに恵まれた体型の男。

見るからにまっとうな職についていなそうだとわかる雰囲気を纏うその男は、ポーカーフェイスで平然と告げた。

なんとも解りやすい事だ。

『会いたかった』ではない。

『やりたかった』というのは二人の関係においてとても正しい答えにも思えた。

「そう、ですか」

「終わるまで待つ。何時になる?」

黒川の誘いに乗ればこの先に待っているのはどこかのベッド。

そこで行われるのはただ一つで、そしてそれこそが二人の関係を繋ぐ唯一の行為。

断ってしまえば、それまでだ。

知らせてもいない舞台を見に来て、知らせてもいない打ち上げ会場まで迎えに来た。

そこに何かを期待していたのかもしれない。

けれど結局は、黒川は『やりたい』だけだという。

彼の行動が読めない。

そして感情はもっと、何も読めなかった。

「俺は・・・」

SEXフレンドが欲しかった訳ではない。

気持ちの掴めない、ヤクザの男とも関わりたくはない。

けれど、舞台の上で見た彼の───彼らしき人物の陰が、瞼の裏に焼き付いて離れはしなかった。

あの姿を見た時夏樹は確実に、嬉しかったのだ。

嫌悪は感じなかった。

ただ、驚きと、そして喜びがあった。

「・・・今からでも、大丈夫です。帰る挨拶だけして、それで」

「良いのか。俺は遅くなっても構わない」

「いえ、俺も仁さんとやりたかったので」

「そうか」

にべもない言葉だ。

そこに夏樹の本心がどれほど含まれているのか、自分自身でもわからない。

けれどこのまま此処でいかにもカタギではない黒川と話している様子を誰かに見られても分が悪い。

だから、さっさと約束を取り付けて離れたかっただけだ。

「どこかで、待っててください」

「駐車場に車を止めてる。終わったら連絡しろ」

「わかりました」

「いくらでも待っててやる」

「・・・。すみません、じゃぁ行ってきます」

また、胸が嫌な音を一つ立てる。

それが嫌で、夏樹は逃げるように顔を背け打ち上げ会場に一旦戻るべくエレベーターへ向かった。

もう黒川を見る事も出来ない。

けれどその背中には何故だかとても、彼の視線が突き刺さっている気がしたのだった。




  

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