■アンシェヌマン・・・3章・12



朝を知らせるアラーム音を聞き、夏樹は目を覚ました。

身体はじっとりと重い。

だが気持ちはこれでもかと晴れ渡っている。

全裸でシーツに包まったまま、手を伸ばし携帯電話を探ると、すぐに捜し当てたそのアラームを解除すれば夏樹は上半身を起こそうとした。

だが片腕をつき起こし掛けた途端、その手を引かれればベッドへと引き戻された。

「・・・ぁ」

「まだ、良いだろ」

「でも・・・起きないと・・・」

「夏樹」

片手で腕を掴まれる一方、もう片方の手で後ろから抱き込まれる。

背に触れた黒川の胸は、寝起きであるのが要因してか熱かった。

「逃げるなよ」

「そんなつもりじゃないです」

「どうだかな」

耳元で囁かれる声は掠れており、それも寝起きを伺わせた。

今や彼の両腕は夏樹の胸に回され身動きも困難だ。

思えば、今まで二人の間にはSEXしかなかった。

必要だからと前戯はあったものの後戯すらなく、一晩を明けた朝など黒川の方がさっさとベッドを抜け出していた程だ。

首をひねり背後の黒川を伺う。

寝乱れた髪も、不揃いに生えた髭も、スーツを着こなしている彼とのギャップに嬉しくなった。

「おはよう、ございます」

「あぁ。おはよう」

「朝ご飯食べましょうか。・・・あ、何かあるのかな」

「何もない。近くにモーニングの旨い店がある。それに、まだ良いだろ」

「駄目ですよ。起きないと。仁も仕事じゃないんですか?」

「どうにでもなる」

「俺はどうにもならないんです」

「出勤時間の決まってる企業じゃねぇんだろ?」

「そうですけど、そうじゃなくて俺の身体の話です」

黒川の腕を振り払う。

あっさりと離れたそこが再び閉まってしまわないうちにと、夏樹はベッドから這い出ると一糸纏わぬ姿を晒した。

夏樹とて黒川とじゃれつきたくない訳ではない。

けれど甘い誘惑に流されていては、彼以外の大切な物を失う気がした。

「お前の身体?」

「一日サボると三日、三日で九日、人の身体って後退するらしいです。だから、毎日動かさないと駄目なんですよ」

「それは俺との時間より大切なものなのか?」

「・・・そういう事、聞きます?」

「お前なら何と答えるかと思ってな」

手近にあった下着を履き、ベッドを振り返る。

上半身を起こした黒川がサイドボードに置かれた煙草を手にしていた。

カチリとプラスティックの音がし、細く白い煙が上がる。

意地の悪い質問をするものだ。

何度か唇を開閉させ、夏樹は黒川から顔を反らした。

「大切ですよ、俺の人生ですから。食事や睡眠と一緒です。他の何かと比べられるものじゃない」

もしもどちらかを選べと言われても無理だ。

金を貰い仕事にしているのも事実だが、その前に子供の頃から毎日繰り返してきた生活そのものなのだ。

反らしていた顔を、黒川へと戻す。

すると彼はふと口元を笑みに歪めていた。

「良い答えだ」

「怒らないんですか?」

「何処に怒る必要がある。俺はお前のそういう所に惚れたみたいだからな」

「惚れ・・・って」

「バレエの事は俺にはさっぱりだが、その身体が一朝一夕じゃないくらいは分かる」

サイドボードの灰皿に伸びた煙草の灰を落とす。

そこへ視線が向かった時に見せられた黒川の横顔にドキリとした。

夏樹がバレエと黒川を比べる対象として見れないように、彼もまた仕事と恋人を同じ秤に乗せはしないだろう。

そして夏樹も、それを感じたうえで彼に惹かれたようだ。

「シャワー浴びんだろ?早くしないと朝飯食いに行く時間なくなるぞ」

「・・・あ、はい」

「夏樹」

「はい?」

「愛してる」

「あ、あ、ぁ・・・しゃ、シャワー、浴びて、きます」

まるで油断をしていた時に投げられた言葉にぎこちなさが露わになる。

欲しくて欲しくてたまらなかった筈の言葉。

それをこれからは、望む限り得れるのだろう。

昨晩脱ぎ散らかした衣類を引っ掴み、夏樹は勝手知ったるとばかりにバスルームに駆け込む。

たった五文字のそれはなかなか胸の高鳴りを納めてくれそうにはない。

「・・・俺もだって、言えば良かったかな」

ふと洗面台の上に掛けられた鏡を見やる。

その中では、見慣れた顔が熱もないのに赤くしていた。

今はまだ気恥ずかしいものがあるが、それも時期に慣れるだろう。

彼との時間はこれからも続いてゆくのだから。

「急がないと」

履いたばかりの下着を脱ぎ捨てバスルームへ飛び込む。

コックを捻り勢いよく出たシャワーの水音に混じり、コーダが終わる音を聞いたのだった。




【最終章・完結】

**あとがき**

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