■アンシェヌマン・・・3章・2



成田空港から飛行機で10時間。

数年ぶりに訪れたフランスの地は、様々な面で刺激的であった。

洗練された街、そういった表現がピタリと当てはまる。

今回夏樹の所属する小泉バレエ団に交換留学の話を持ちかけたのはパリの老舗であるボヌールバレエ団だ。

フランスの中では決して大きくもメジャーな訳でもなかったが、それでも小泉バレエ団とは比べものにならない規模である。

そもそも日本とフランスとではバレエ人口が違うのだ。

故に男性ダンサーの人数も大幅に違い、一つのバレエ団に抱える人数も比例するように変わってくる。

その背景には金銭面的な要素も大きく作用するだろう。

日本ではバレエは金持ちの趣味だともされる程出費のかさむが、フランスではどんなに小さなバレエ団でもダンサーに出費させる事はないという。

だからこそ金銭面で夢を諦める金の卵は少なく、実力のあるダンサーが多くいるのだろう。

夏樹の知人にも、生活や将来とバレエを秤に掛けて辞めていった者は男女問わず何人も知っている。

今此処に居る。

それだけでも十分に恵まれた事なのだ。

二週間を此処・パリで過ごす。

整えられた環境、充実した設備。

何より、同じ志を持つ多くの同士達と過ごす空間。

朝から夕方までレッスンをし、夜は劇場へと観劇に足を運ぶ。

刺激的で、楽しい日々となるだろう。

目の前の事、バレエの事だけを考え過ごしていられる。

これこそが己の望んだ生活なのかもしれない。

「っふ・・・・」

板張りのフロアの上で開脚をしていた夏樹は、流れていたピアノの音色が故意に止められたのを耳にゆっくりと立ち上がった。

今このレッスン場に居るのは夏樹を含む男性ダンサー八名と男性講師が一人とピアニストの女性が一人。

午後のレッスンの二部が始まる。

彼らはいずれも夏樹よりも長身で手足が驚くほど長い。

フランスへ来て改めて感じるのは、刺激的な日々と共にあらがえない体格差だろう。

どんなに努力をしたところで、身長や手足の長さを飛躍的に伸ばす事は不可能だ。

現代人は線が細いとはいうが、それでも東洋人は東洋人でしかない。

どうにもならないコンプレックスを日常的に感じてしまうが、ならばこそ技術を身につけるべきだと、合図をするかのように片手をあげた講師を真剣な眼差しで見つめた。

『二名ずつ、頭から』

それだけを言うと、講師はピアノの横に置かれた椅子に腰を掛けた。

ボヌールバレエ団へ来て四日。

それと同じ日数を同じメンバーで過ごしたので、「二名」と言われれば自然とペアが組めるだけの雰囲気には馴染めていた。

此処では午前中に基礎レッスンを、午後からはいくつかあるスタジオで選択レッスンを行う。

その中でセンターレッスンを行った後、一旦の休憩を挟み集中レッスンを行うパターンだ。

夏樹はいくつかある選択レッスンの中からヴァリエーションのクラスを選んでいた。

ヴァリエーションは小作品だ。

プロである限り望まれた作品を完璧に踊れる事が要求され、その数が多ければ多いだけ仕事が増える。

だが、日本ではヴァリエーションのレッスンという機会は決して多くはない。

年一・二回の所属するバレエ団での公演の時だけで、他は自ら別のスタジオに通わなければならない。

もちろんそういった費用も自分持ちとなる。

そのうえバレエ団のレッスンとゲスト出演をするリハーサルとの間に時間を見つけて通わなければならない為、なかなかそれも出来はしないのが現状だ。

週替わりでプログラムを変え集中的に教えて貰えるのはなんともありがたかったし、それが日本でも人気のある作品であれば尚更であった。

『ナツキ、次は僕たちが行こう』

『あ、うん』

フロアの真ん中で踊る二人のダンサーを目を凝らし眺めていると、不意に後ろから肩を叩かれた。

反射的に振り返れば、このクラスでペアを組む事の多いリシャールが爽やかに笑みを浮かべている。

リシャールはこのバレエ団に所属するダンサーで、そのうえ若手のホープとも言われる実力の持ち主だ。

本心を言えば、彼の踊りこそじっくりと見ていたかった。

一緒に踊れば当然ながら見る事は叶わず惜しい気持ちは大きかったが、新参者の夏樹に親切に声を掛けてくれる彼を無碍になど出来はしない。

フロアでは前の組が曲を終える。

間を置かずリシャールが位置につくので夏樹もそれに続いた。

せめてもだと彼の斜め後方でスタンバイをすると、曲が流れるまでのほんの数秒彼を眺めたが、その後ろの立ち姿だけでも目を奪われるものがあった。

すらりと延びた四肢は指の先まで意識が張り巡っている。

どこにも弛んだ様子はなく、綺麗についた筋肉が彼の日々の鍛錬を教えていた。

身長は夏樹よりも10センチは高いだろうか。

天然のブロンズヘアがフワリと揺れる。

曲が始まるのを感じ、夏樹は自分の世界へと入っていったのだった。


  

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