■グリッサード・・・・1



夏樹が所属している小泉バレエ団は、バレエ教室を主体としている。

毎日午前中は団員のレッスンがあるが、それ以外の時間女性ダンサーは小泉バレエスクールで講師をしているか、自らの教室を持っている。

男性ダンサーはと言えば、夏樹もそうであるように他のバレエ団やバレエスクールのゲスト出演で忙しくしていた。

そんな中、夏樹が団長であり小泉バレエ団の権限の全てを持つ、小泉浩子に呼び出されたのは、夏休み恒例の発表会まで三ヶ月に差し掛かろうとしている頃だった。

「先生、失礼します」

「あぁ、呼び止めて悪かったわね」

午前中のレッスンを終え一足先に団長室へ上がった彼女の元へ、レッスン着姿で汗を拭っただけの夏樹が会釈をしながら室内へ入る。

ロングスカートに隠された足を組み、浩子はソファーに腰掛けたまま夏樹を見上げた。

彼女は元バレリーナだ。

三十代にこのバレエ団を立ち上げ、四十代まで踊っていたベテラン。

現在は表舞台からこそ退いたものの、講師としては現役だ。

一つに結んだ髪を高い位置で結い上げ、バレリーナの鏡のようなスタイル。

年齢を重ねても美人の類である容姿に鋭い眼差しを湛えていると、さもやり手という印象だ。

片手を差し出し促されるまま、夏樹はセンターテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。

「突然悪いんだけど、これから毎週木曜日の二十時から一時間半空けれない?」

「毎週木曜ですか?」

「毎週と言っても八月の半ば、発表会までで良いのよ」

「多分、大丈夫だと思います。手帳を確認しますが、調整出来ると思うので。何があるんですか?」

発表会まで、というからにはそれ絡みなのだろう。

しかし既に団員には発表会までのスケジュールが渡されている。

夏樹は作品集でパ・ド・トロワと、眠れる森の美女全幕で王子をする。

そのリハーサル日程は立っていた。

怪訝そうにする夏樹に、彼女は少しばかり眉を寄せた。

「今年ね、オープンクラスの男性生徒が多いのよ。そのうえ、発表会の参加者も多くてね」

「珍しいですね」

オープンクラスは、大人の為のクラスだ。

生徒の年齢に制限はないが、レッスン時間が午前中であったり、夜遅くであったり、週末の昼間であったりとするので自然と社会人が多くなる。

子供のクラスとは異なり月謝制ではなく、十枚売りのチケット制だ。

週何度でも来れるなら来ると良いし、都合が付かなければ何週間来ずとも良い。

自分で調整が出来るのもチケット制の良さだろう。

「多いと言っても四・五人だけどね」

「多いですよ」

「そうなのよ」

一般的に、バレエは女性の物だ。

クラシックバレエにおいては内側もその風潮が強い。

役回りが少なく、思春期には照れくささもあり、男性ダンサーは育ちにくい。

それはオープンクラスとなっても同じで、社会人となった男性が趣味で始める事は珍しくはないとはいえ、多いとは到底言えない。

一方女性は、年齢に関わらず、子供の頃にやっていて忘れられなかったや、子供の頃から憧れていたなど様々な理由で気楽に通っている人が多い。

「この辺でね、男性ダンサーが所属してるスクールって少ないのよ。それでうちに集まったみたいだけど」

「そうなんですか。でも、うちの講師って」

「全員女性よ。それは入会前に伝えてあるわ」

それでも、男性ダンサーが所属しているという点を考慮しスクールを選ぶ物なのだろうか。

物心ついた時からバレエ漬けの生活を送っている夏樹にはよく分からなかった。

「何年も通って居る人も居るには居るんだけど、半分は初心者でね。技術もないのよ」

「まぁ、初心者ですからね」

「それだけなら別に良いんだけど、発表会の参加申し込みを出して来たのよ。それももちろん良いのよ。発表会は誰にだって出る権利を与えているもの。でもね、全員出た所で、圧倒的に女性の方が人数が多いの。一緒の演目で振り付けを考えたら、分かるでしょ?」

「つまり、男性と女性を組ませたいけど、初心者は技術が追いつかない、と?」

「そう。ペアは、初心者でない男性とクラスで秀でてる女性。初心者男性と、次点の女性だけを考えているし、難しい事をさせたいわけじゃないんだけど、それでもねぇ」

「初心者男性はペアを組まないというのは?」

「それももちろん考えたわよ。でも、どっちにしても技術が足りないのよ。ペアと言っても、ピルエットとかアラベスクの支え役だもの。パの数は減るくらいよ」

「あぁ、確かに」

「それでね、話は元に戻るんだけど、夏樹に男性クラスの講師をして貰いたいのよ」

「男性クラス?」

そんな物が小泉バレエスクールに合っただろうか。

夏樹の疑問が声からも表情からも伝わったのだろう。

浩子がやや身を乗り出すようセンターテーブルに手をついた。

「臨時で作るのよ。発表会までの強化クラス。男性生徒は発表会の練習に加えてこっちのクラスも参加義務にするの。初心者は最低限身体がついて来るように、ある程度技術ある人は男性らしい踊りを身につけるように。その為には、男性の夏樹じゃないと駄目なのよ」

「分かりました。来週からですか?」

「そう。お願いね」

小泉バレエ団には他にも男性ダンサーは居る。

他のダンサーは都合が合わなかったのか、別の理由で断られたか。

それとも端から夏樹にしか声を掛けなかったのか。

理由は知れない。

けれど滅多にしない講師に選ばれた事がどこか嬉しくある。

発表会までの強化クラス。

今よりも目に見える上達を。

その責任を改めて胸に納め、夏樹は会釈をして団長室を後にした。




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