■グリッサード・・・・12



流が、驚いた顔をしている。

驚いているのは、いきなりあのような事を言われた夏樹の方だ。

腕の分だけ流から離れると、横へずれるよう彼の前から逃げた。

「貴方がきちんとレッスンを受ける事と、僕が夜に……そのような事は、関係ありません」

「だから、俺が真面目にしなきゃ先生困るでしょ?交換条件だって」

「僕が、困るんじゃないです。最終的に困るのは貴方でしょ?舞台の為に必要なんじゃないですか?このままで、僕のレッスンじゃなく、舞台に支障が出て良いんですか?」

「何、説教?」

「説教ではなく、事実です」

驚きが落ち着くと、次に訪れたのは静かな怒りだ。

流が言っているのは取引だ。

しかし取引内容は身勝手なもの。

こんな事、取引というよりも脅しだ。

「嫌なら辞めてください。僕が辞めろとは、残念ながら言えませんが貴方が辞める分には構わないでしょう。そもそも、自分が何故これまでの所を辞めさせられたか分かっているんでしょう。いい加減改めたらどうですか?」

「何をえらそーに。どうせバレエしかできねぇんだろ?」

「そうですね。子供の頃からバレエしかしてきませんでしたから」

「俺は歌もダンスも演技も出来るんだけど?」

「それは凄いですね。ですが残念ながら、ここではバレエが出来る僕が講師で、出来ない貴方が生徒です」

まるで子供だ。

自分の優位を振りかざし喚いているだけ。

夏樹が彼を辞めさせられないように、彼にも辞められないだけの圧力があるのだろう。

だからといって喚かれる理由は夏樹にはないし、彼がバレエを取得出来なかった時の責任を負う必要があるとも思えない。

「俺は、バレエなんかしたくねぇんだよ」

「そうでしょうね。見ていれば分かります」

「派手な踊りだけ教えてくれんならともかくさ、毎度毎度子供みたいな簡単なやつばっか」

「それが出来ない人が、派手で難しいパが踊れる分けがないでしょう」

「出来るよ。教えてくれたら出来る。俺はなんだって出来るんだ」

「無理です。基礎が出来ていないというのに出来る分けがありませんし、怪我をします」

「だから出来るって!」

「まともなルルベも出来ない人が、ずっと立ち続けながら回れる分けがないでしょう。開脚が開かない人が、高いアラベスクが出来るわけがない」

「……で?出来ないから教えない?出来ないのを出来るようにすんのが先生じゃないの?」

「基礎を真面目に取得しようとしない人に言われたくありませんね」

「だからさ、やる気を持たせてって言ってんだけど」

話は元に戻るのか。

うんざりする。

レッスンまで時間がない。

苛立ちばかりが募っていく。

やる気にさせろ、セックスをさせろと横暴に言うなら、それにこ答えるしかない。

もっとも、夏樹の答えが彼の望む物であるかは別問題だ。

「僕は、まともにレッスンも受けない人間と夜を共にするなんて考えたくもない。俺を誘いたいなら、それぐらいしてから言え」

「俺に、そんな事いう?女なら頭下げてでも俺と寝たがるんだけど?」

「俺は女じゃないし、特定の相手がいる。アイドルってだけでなびくと思うな」

「へぇ、先生相手居るんだ。俺、その人に手、だそうかな」

「あんたにどうとされる人じゃない」

「どうかな?別に、色仕掛けだけとも限らないけど?」

「どっちにしても、相手にならない人だ」

ふと、知らず内に鼻で笑ってしまう。

色仕掛けだというなら、強気に出たところで不安はある。

しかしそれ以外と言うなら。

暴力だろうが、圧力だろうが、二十歳そこそこのたかだかアイドルに負かされるような男ではない。

黒川の仕事について詳しくは知らない。

けれど身に纏う気迫、鋭い眼光、たくましい身体。

夏樹の知っているそれらだけでも、十分に言い切れた。

「レッスンの時間だ。精々、邪魔しないでくれ。バレエの踊れないアイドルさん」

ニコリと極上の営業スマイルを浮かべ、夏樹は流の隣を通り過ぎる。

レッスンの時間はまもなく。

私情を隠し、タオルとバレエシューズにペットボトルを手に夏樹は階段を降りていった。


    


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