■グリッサード・・・・13



その後のレッスンも「いつも通り」だった。

良くも悪くも変化など何もない。

流は真面目にレッスンなど受けず、時折他の生徒を馬鹿にしたような発言をする。

ただ変化があったとすれば、夏樹はじめ他の生徒らも流に免疫がついたという事だろう。

大抵の流の態度や言動ならば聞き流せた。

それは流にとってはあまり面白くなかったのかもしれない。

夏樹の憶測に過ぎないが、その表情が物語っている。

「センターは発表会の振り付けにあるパを練習しましょう。まだピルエットが綺麗に回れない人が……」

「俺、発表会とか関係ないんですけどぉ」

バーレッスンから離れ、鏡の前に背を向けて立つ夏樹に生徒が向かい合う。

その中で流だけがさも不服そうな顔をしていた。

「そうですね。でも、発表会の振り付けを練習する訳ではないので。一緒にしてください。えー、では。五番ポジションから。手はアンバーで」

一人生徒の列から離れ、壁に寄りかかる。

腕を組み、胡乱な眼差しが夏樹に向けられた。

しかしそのような物に一々取り合うつもりはない。

何も、発表会に出ない流を置いてけぼりにするつもりはないし、そもそもこのクラスは発表会に向けた強化レッスンの為に設けられたのだ。

「ルルベ、パドブレ。足が入れ替わるので、左足軸でアラベスク。戻って五番に戻ってから四番。右手を前にしてピルエット」

口にしながら夏樹がゆっくりと動く。

流を除く生徒らがそれを身体で追い、覚えようとしている。

「一でルルベ、二三でパドブレ、四で降りる」

次いで、音のテンポに合わせて同じ動作を繰り返した。

決して早くはないが、いくつものパを繋げている為皆川と八本には混乱が見えた。

「腕の力で回ろうとするんではなくて、後ろの右足を蹴って、上に上がる力で――回ります。出来る人は二回でも三回でも回って下さいね」

右手を前に四番ポジションになった夏樹は、軽く六回転を決めた。

生徒らから息を呑む声が聞こえる。

それは、流も例外ではなかった。

夏樹にとって曲に合わせる事を考えなければ、六回転の難易度は下がる。

「では曲を掛けますね。まずテンポを確認して下さい」

「二回でも三回でも、とか言いながら、先生はめっちゃ回ってんじゃん」

「五……六回ですか?凄い」

「六回転ですね」

「随分生徒を舐めたもんだな」

「いえ、七回でも八回でも、好きなだけ回ってくださいね」

ようやく他の生徒らにならぶよう一番端に立った流に、ニコリと笑みを向ける。

舐めているのは流の方で、夏樹を軽く見ているとしか思えない。

それをなんとか心の中で抑え、夏樹はオーディオの再生ボタンを押した。

「七、八、一!」

揃ってルルベに立ち上がる。

右足を出すまでは揃っていたが、徐々に音がはずれ始める。

「八本さん、パドブレは後の足を前に入れます。皆川さん、アラベスクの後、五番に戻してから四番。二人とも、回るのは軸足とは反対側です」

それでも二人は一応一回転を周りきった。

その隣で中間と柚木は綺麗に二回転を、萩尾はよろけながらも同じだけを回った。

「萩尾さん、無理に腕を振らないで。上に伸びるよう意識して下さい」

それさえ身につけば、彼なら二回転をよろけずに回れるようになりそうだ。

元から筋力があるからだろう。

夏樹の見込みに間違いはなかったようだ。

そう、考えていた時だ。

夏樹が見ていた反対側。

列の端でドンっと大きな音が響いた。

「美織さん!」

慌てて振り返る。

そこでは、床に横たわる彼の姿があった。

「大丈夫ですか?滑ったんですか?」

場面は見ていなくとも、状況から考えるなら流はピルエットの最中に転倒したのだろう。

咄嗟に片手を差し出す夏樹に、けれど彼は酷く睨みつけながら一人で立ち上がった。

「別に。こんな事くらいあるだろ」

「先生、無理に回ろうとしてたんですよ。勢いの割に、立ってれなかったみたいですよ」

「え?」

「うるさい。おっさんが何分かるんだよ」

夏樹の隣で、中間がさも嫌味に告げた。

普段、彼は人当たりの良い男だ。

一般的な大人の対応というものが当然のように備わっているような、そういった印象がある。

その中間から、このような声や言葉を聞くのは初めてだ。

中間はこの中でなら玄人にあたるとはいえ、他の生徒がどのようなミスをしても、笑った事すらなかったというのに。

それだけ、中間もまた、流には思うところがあったのかも知れない。

「まずは一回転を無理なく回れるよう練習しましょう。なれたら自然とダブルやトリプルも……」

「俺、もうやらねぇ」

「……は?」

「こんな危ないもんだって知らなかったよ。怪我でもしたらどうしてくれんの?明日も撮影あんだけど。責任とれる?それとも、別の方法で責任取ったりする?」

言いたい事は、いくらでもあった。

いくらダンス経験があるとはいえ、初心者がいきなり複数回転回ろうとするのがいけないのだ。

勝手にしたむちゃの責任を何故夏樹が取らなくてはならないのだ。

そのうえ、思わせぶりな「別の方法」などと言ったところで、夏樹には責任を取る理由と思えないのだから当然選択肢にもならない。

「では、基礎を丁寧に教えましょう。それでも回りたくないというなら、結構です」

他の生徒は何も言わない。

夏樹もそれ以上口にせず、鏡を背にするよう元の位置に戻っていく。

それを流がどのような面もちで居たのかは、あえて見ないようにした。


    

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