■グリッサード・・・・2



学生にとっての夏休み時期は、小泉バレエスクール以外も発表会が集中する。

予定は一年前から押さえられており、七月と八月、九月中旬までほぼ毎日週末は発表会だ。

それだけでなく、夏休みほどでないにしても、夏休みをリハーサルに当てるスクールの発表会も九月から十一月まである。

その後はクリスマス公演。

夏樹の予定は詰まっていたが、その中に新たな予定、男性クラスの講師というのが入っても、今のところ辛くはなかった。

まだ予定に余裕がある事と、発表会までという約束だからだろうか。

本格的に忙しくなるのは七月と八月だ。

「今日から男性クラスを受け持ちます伊吹です。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

レッスン前のお決まりと、夏樹レベランスをするとそれぞれバラバラとそれを返す。

その仕草だけで、少なからずの程度は知れた。

レッスン場に集まった生徒は年齢は中年を過ぎている五人。

内三人が初心者だという。

小泉バレエスクールに通って数年という二人は細身で、程良く筋肉もつき、立ち姿だけを見てもバレエの身体の使い方が身についている。

一方初心者三人は、なる程初心者だ、という体型と立ち姿だ。

そもそも誰が初心者であるかを聞かずとも、夏樹は一見して分かった。

一人は、洋服を着ていれば細身に見えるが、ボディーラインの出るレッスン着を着ていれば中年腹が目立つ。

愛想の良い容姿で、眼鏡を掛けている。

もう一人は見るからに肥満体型。

脂ぎった額は髪が後退しており、夏樹を値踏みするような視線を向けている。

残る一人は鍛え上げられた筋肉が際立つ身体だ。

弛みはないが、バレエ体型とも言えない。

真摯な面もちで唇は結ばれており、言えぬ威圧感を感じさせた。

そして三人揃って言える事は、引き上がった身体でない事だ。

筋肉の有無は関係なく、重力のままに下がった身体ではいけない。

とはいえ、彼らは子供の頃からバレエを中心に生きてきた夏樹とは違う。

そこまでのレベルを三ヶ月で求められないし、彼らも望んでいないだろう。

滅多に講師をしない夏樹は、どこまでを教え、どこまでを注意して良いのか、目安が分からなかった。

ただ、夏樹と同じレベルで考え、同じ部分を全て注意するのは不味いだろうとだけは、レッスンを始める前に知れた。

「ではストレッチから始めます」

夏樹がスポーツタオルを手に鏡の前に座る。

各々広がり、夏樹の前に同じように腰を降ろす。

玄人二人、中間と柚木が前に、初心者三人が後ろに場所を取った。

予想通り、三者の身体は硬かったが、その中で筋肉を付けた男・萩尾だけは随分とましだった。

バレエダンサーの身体が柔らかいというよりも、身体が柔らかくなければバレエの動きが出来ない。

足を上げるや、身体を反らすだけではない。

指を折り立ち上がるルルベは、指の関節が柔らかくなければ高く立てない。

足首が柔らかくなければ、綺麗な基本ポジションが入らない。

そういった様々がある。

夏樹はといえば、当然のように足は真っ直ぐに頭の位置まで上がるし、真っ直ぐ伸ばした両足を前から後ろまで回せる。

立っていようが座っていようが、足と身体を二つに折れる。

それは時折、黒川がセックス中未だに心配する程の柔らかさだ。

「無理に曲げようとしないで下さい。反動をつけてしまうと、筋が切れる事もあります。皆川さん、息を吐きながら」

両足を広げた前屈をしながら、中年腹の初心者生徒に声を掛ける。

まだ四十五度にしか足が開かない彼は前に身体を倒す事もままならず、腕を前に伸ばし痛みに耐えるよう歯を食いしばっている。

けれどそれは逆効果で、呼吸を止めてしまえば身体に力が入り余計に前に倒れられなくなる。

一方もう一人の初心者、八本は既に諦めたように、腕を床についたまま止まっていた。

足は四十五度どころか三十度程しか開いていない。

「では次、両足を合わせて」

皆川と八本の背は猫背に丸まる。

両足を合わせた状態で背を延ばすにも腹筋が必要だ。

「尻の面ではなく、座骨で座るイメージを持って下さい。上に高く身体を引き上げるように」

だが玄人の中間と柚木に混じり、萩尾の背は延びていた。

腹筋は強いようだ。

バレエの技術は未熟でも、身体を作り易いのは、初心者三人の中で間違いなく萩尾だろう。

その可能性を見つけ、嬉しくなった。

もちろん、八本と皆川への指導を疎かにするつもりもない。

ただ浩子から、三人をメインで踊らせると昨日急に言われていたのだ。

メインは玄人二人だと、初心者にはそれ相応の事しかさせないと聞いていた。

話が違う。

だがそれを浩子に訴えるだけの力を夏樹は持っていない。

玄人二人ともう一人をでっち上げなければならない。

振り付け指導の分岐点は後一ヶ月半。

焦りを感じながらも、焦ったところで一晩では人の身体は作り替えられない。

生徒に混じり前屈をしながら、吐き出す息にため息を混じらせた。



  


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