■グリッサード・・・・20



萩尾の登場に、高ぶっていた気が削がれるように呆けた。

それは流も一緒だったのだろう。

口をつぐみ、斜め下を向いていた。

萩尾の前でまで、夏樹の要求をしようとは思わないのかもしれない。

夏樹にしても、ここぞとばかりに萩尾を味方に引き込もうとは思わない。

これで一難を逃れられたのは事実。

萩尾が来た事は幸いであった。

「何でもないんです。じゃぁあの、美織さん、あの、これで・・・」

逃げてしまおう。

それがありありと声音に出ていたのかも知れない。

既に逃げ腰の夏樹に、しかしそれを許してくれなかったのは、萩尾であった。

「何でもない?失礼だが、そうとは聞こえませんでした」

「それは」

「俺には、先生がこいつに脅されて、いるように聞こえましたが?」

真摯な萩尾の視線が注がれる。

全く持ってその通りだ。

違うとは言えない。

だが、ここで詳細を話すべきではない。

返答につまり、唇を結ぶ。

視線だけは、萩尾に向いていた。

「先生がいいって言ってんだからいいだろ。おっさんが出しゃばんじゃねぇよ」

「お前が、先生を困らせてるみてぇだから、無視出来なかったんだ」

「うるさいな。これは俺と先生の話だから。じゃぁ・・・」

「なら、俺が聞いた事を言ってやろう。お前が先生の何かをばらすと言っていた。先生は困ると言っていたが、なら要求を呑めと言っていたな。これが、脅しでなくて何と言うんだ」

萩尾の視線が真っ直ぐに流に向けられる。

黒川に似た威圧感。

低く抑えたような声音。

ふと眼差しを細めた萩尾に、夏樹の背が僅かに震えた。

「レッスン前、先生がお前との事で言葉を濁してたからな。無理に聞き出そうとは思わなかったが、聞いてしまったなら無視は出来ん」

「何それ。そうだ、盗み聞きしてたんだろ。先生の様子が変だからって、俺の後をつけてたんだろ」

「お前と一緒にするな。たまたまだ」

口ではそう言いながらも、萩尾はニヤリと狡猾な笑みを浮かべた。

言葉は否定しながらも、肯定に見える。

少なくとも、夏樹にはそう感じられた。

「ど、どんな話しだろうと、先生が良いって言ってんだから、ほっとけよ」

「お前、俺から逃げたいだけだろ」

「なんだと」

「先生がどうとか、関係ないんだよ。俺は俺のしたい事をする。だいたい、お前には元から腹が立ってたんだよ。レッスンの邪魔ばかりしやがって、クソ餓鬼が」

「っ・・・」

「俺はお前が気に入らなかったんでな。弱味を握れて良かったよ」

「弱味だって?それは先生の方・・・」

「だからクソ餓鬼だって言うんだ。お前が脅しをしていた、それがお前の弱味だよ。アイドルさん」

「・・・ぁ」

何故、気づけなかったのだろう。

萩尾の言う通りだ。

脅されているなら、逆手にとれば良かったのだ。

あれだけ頭を悩ませていたというのに、言われるまで気がつかなかった自身が情けなくなる。

呆けてしまい言葉が出ない。

二人をただ眺めるだけだ。

「・・・は?なに、言ってんの?それが俺の弱みだってしたって・・・だからって何が出来るんだよ」

「さぁな。俺にはちょっとした、芸能界にパイプラインがあるんでな」

「そ、そんなの、どうだって言うんだ。俺は美織流だぞ。芸能界では、俺の力は大きいんだ!」

それは、半ば叫ぶような声であった。

ふと、流が真面目にレッスンを受けない理由を思い出す。

芸能界という世界の中で、流のプライドは高いのだろう。

萩尾の言葉は、確実に彼のそれを刺激したようだ。

「さぁ、それはどうだろうな」

萩尾が鼻で笑った。

それは、さも流を小馬鹿にしているようだ。

一方夏樹は、当の本人だというのに言葉が出ない。

言葉を交わす二人の顔を交互に見る。

何か言わなければ。

絞り出したそれは、頭で考える前に唇が動いていた。

「そういう事ですから、もう止めましょう」

脅しあいなど無意味だ。

ただ夏樹は、流が諦めてくれたならばそれで良いというのに。

睨み合っていた両者の眼差しが、夏樹に向かう。

そうするとまた、言葉など簡単に奪われた。

「えっと・・・」

「先生がそう言うなら、この場は収めましょう」

「萩尾さん」

「ただし、お前がまだ先生を脅迫するというなら、こちらも打つ手がある。せいぜい、芸能界とやらで猿山の大将を気取っていることだな。もっともそれも、偽りの代物でしかないだろうが」

「うるさい。お前なんかに何が出来るって言うんだ。やれるもんならやってみろよ」

「・・・美織さん」

最後に声を上げた流は、床を蹴り、その場を走り去った。

最後まで、現状に追いつけなかった夏樹は、その背をただ見送る。

事があまりに急展開をした気分だ。

「あぁ、そうさせてもらうよ」

萩尾は何を考えているのだろうか。

流は彼の言葉をはったりだと捉えているのかもしれない。

しかし夏樹には、到底そうは思えなかった。

それは、黒川と似た威圧感からか、萩尾の職業を知っているからか。

どちらであるかも分からない。

ただ分かるのは、この場が助かったという事だけ。

礼を言わなければ。

そう考えているうちに、彼もまた小さく頭を下げて階段へと向かっていく。

レッスン場にただ取り残された夏樹は、もう踊る気分になれなかった。



   


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