■グリッサード・・・・23



小泉バレエスタジオの前にある駐車場に車を停めた夏樹は、そこから降り立ち足を止めた。

「萩尾さんと・・・美織さん」

薄暗くなり始めた空の下、二人が入り口から少し離れた場所で向かい合っていた。

此処からでは、二人が何をしているのか、何を話しているのかなど分からない。

ただ、穏便な空気ではない事だけは、どことなく分かった。

先週があっての今。

そして今朝のニュース。

自分が無関係だとは到底思えず、夏樹はハッとするなり二人の元に駆け寄る。

「萩尾さん、美織さん」

「せんせ」

「先生」

途端に両者の視線が夏樹に向かう。

二人共に、その視線は鋭かったが、印象は随分と違った。

苛立ちばかりが伝わる流。

一方萩尾は、重く据わった眼差しだ。

「丁度良い。おい、今言った事を先生にきちんと伝えろ」

「何が、あったんですか?」

夏樹が来るまでに何らかの話しがあったようだ。

事情に追いつけない夏樹に、萩尾をひと睨みした流はじっとりとした眼差しを向けた。

「あの画像、消したから」

「え?あの、どういう話しで・・・」

「こいつが俺の仕事奪ったんだよ!マジで意味わかんねぇ。マジで動くとかなんだよ!そんなのやってらんねぇだろ!だから、先生
のあの写真、消したからな!」

「えっと・・・」

無意識に萩尾を見る。

彼は、一つ頷いた。

「俺には、それだけの力があると言っただろ。たかだか代えの利くアイドルなんかと違ってな。それに、それだけじゃねぇだろ」

じっとりと重い声音を流に向ける。

彼はさもふてぶてしく、けれどどこか諦めたように口を開いた。

「・・・レッスンも、ちゃんと受けるから」

「え?あ、そうですか」

「これで良いだろ、おっさん!約束だからな!」

「それは今日のお前次第だ。先生のレッスンの邪魔をしなけりゃすぐにでも手を回してやる。お前の番組降板の危機をな」

「・・・ぁ」

ニヤリと笑った萩尾は、さも狡猾だった。

やはり彼だったのだ。

今朝見た芸能ニュース。

その後インターネットニュースでも何度も確認をしてしまった、流の番組出演停止事件。

憶測であった事が、真実として夏樹の中で広がっていく。

「まだあるだろ」

「分かってるよ。・・・先生、いままですみませんでした」

呆然とする夏樹に、流は頭を下げた。

言わされている感は否めない。

けれど、諦めきっているようにも感じられた。

流が顔をあげる。

その眼差しは、もう睨み付けるそれではなかった。

「・・・悪かったっていうのは、本当に思ってるから。色々。じゃぁね」

最後にぼそぼそと告げると、流はレッスン場へと走っていった。

肩にはレッスンバッグ。

今日も彼は、レッスンを受けるのだ。

「余計な事でしたか?すみません」

「萩尾さん。いえ、とんでもありません」

流の姿を視線で追っていた夏樹は、萩尾の声に彼を振り返った。

「ありがとうございます。僕は何も出来なかった。どうして良いのかも分からなくて、一人悩んで。本当に、ありがとうございまし
た」

それが、夏樹の本心。

心から思う事。

萩尾には、感謝をしてもしたりない。

頭を下げ、そして上げる。

笑みを浮かべる夏樹に、萩尾も安堵したように唇を緩めた。

しかしそれもつかの間。

彼はすぐに険しい、そしてどこか寂しげにも思える表情を浮かべた。

「先生、俺はバレエを辞めた方が良いでしょうか?」

「え?何の事ですか?」

「俺はただの男として、娘に良いとこを見せたい父親として、バレエをしてました。けど、結局はヤクザだ。頼まれてもいないのに
やっかい毎に首を突っ込み、手を回してしまう。俺は、ここに居てはいけないんじゃないかと、思ってなりません」

「そんな事!」

予測をしていなかった萩尾の言葉に、咄嗟に気の利いた言葉は浮かばなかった。

しかし胸の中でしっかりと、そして確実に分かっている事がある。

どうすれば伝わるのか、考えも出来なかった。

頭で考える前に、唇が勝手に動く。

「今回の事は、本当に感謝しています。お礼を言うしか出来ない自分が情けない程に。だから、萩尾さんがバレエを辞める理由なん
て少しもありません」

「先生・・・」

「それに萩尾さんは、ただ僕を助けてくれた。そりゃ、その、仕事での力を使ったのかもしれませんし、僕には分かりません。でも
萩尾さんは、どのようなご職業でもきっと、僕を助けてくれたと思います」

職業に基線なし、などと聖人ぶった事を言うつもりはない。

しかし、職業故に、バレエを諦めるなどというのはどう考えても違うとしか思えない。

少なくとも、バレエ漬けの人生を歩んでいる夏樹には、バレエを愛しているからこそ、そう思える。

「良いんですか、先生?」

「何が悪いと言うんです。萩尾さんが問題を起こしたわけでもないのに」

「それは・・・」

「それに、もうすぐ発表会ですよ。今萩尾さんに辞められる方が大変困ります」

木曜の男性クラスが始まってから、流の妨害がありながらも萩尾は確実に実力をつけている。

中間と柚木に並んで踊るには十分な程に。

それはひとえに、彼の努力に他ならない。

それほど頑張って来た事を、ここで辞めるなど。

もったいないとしか言えない。

「お嬢さんに良いところを見せるんでしょ?今日のレッスン、受けないなんて言いませんよね?」

「先生・・・はい。バレエは楽しいです」

「それが一番です」

今度こそ、萩尾は心底安堵した表情を浮かべた。

バレエが好きで。

好きで好きでたまらない。

それは、夏樹も萩尾も同じ。

職業など関係がない、共通の気持ちだ。

「さぁ、レッスンに行きましょう。着替えないと」

「はい。今日もよろしくお願いします」

入り口へと身体を向ける。

並んだ萩尾と共に、クラシック音楽が流れるその扉をくぐっていった。



  

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