■グリッサード・・・・4



二度目の男性クラスのレッスン直前に、夏樹は浩子に団長室へ呼び出された。

「先生、失礼します」

「忙しい時間に悪いわね」

「いえ、まだ前のクラスのレッスン中ですから」

会釈をし、進められるまま浩子の向かいのソファーに腰を下ろす。

今日も先日とは違うロングスカートに身を包む彼女は、夏樹が来るまで仕事をしていたのかセンターテーブルに書類を広げていた。

チラリと見えたそれは発表会の振り付けに関する物だ。

四つの支部校とここ本部校を合わせ、数百人からなるスクールの、八割は出演する発表会において振り付けは全て浩子がおこなっている。

出演者の大半は高校生以下の少女。

在校生の内不参加者は、殆どオープンクラスの大人だ。

ティーンエイジャーは元より、幼稚園児やそれ以下の年齢の子供も多く居る。

なにせスクールの生徒募集は三歳以上。

つまり三歳児も舞台に立つ事になる。

その年齢を纏めるのはさぞ大変だろう。

「あの、何か?」

「今日、男性クラス二回目のレッスンよね」

「はい、そうですが」

前回のクラスで何かあったのだろうか。

夏樹の知る限りでは問題なくレッスンを終えられた筈だ。

けれど、何せあまり講師の経験がないうえに、男性のみのクラスというのは初めてだ。

夏樹には何も言わずとも、浩子もしくは他の講師へ苦情が向けられている可能性がないとは言い切れない。

不安げに顔を曇らせる。

その夏樹に、浩子は軽く手を振った。

「そんな顔しないで。夏樹に何か言いたい訳じゃないのよ」

「はぁ、そうですか」

「そうじゃなくってね・・・今日から、一人生徒が増える事になったから」

「そうですか」

それは、 さして驚く事ではなかった。

元々オープンクラスは生徒人数が決まっていない。

レッスンの曜日や時間により受講人数は大きく左右し、十人もみたない日もあれば、三十人を軽く越える日もある。

男性クラスは特例で、発表会参加者義務となったが、それでも仕事などで突発的に出席出来ない場合でも連絡は不要だ。

講師には講師の特別チケットがあり、普段の講師向けレッスンに出られなかった日など、夏樹がオープンクラスに参加する場面もあった。

来たい時に来たい人が来る。

それがオープンクラスの強みなのだから、一人増えようが二人増えようが、一言伝達があるならまだしも、わざわざ団長室に呼ばれる事だとは思わない。

夏樹が訝しんでいると分ったのだろう。

浩子はさも疲れたようにため息を吐いた。

「それでね、その生徒が、美織流[みおり・りゅう]なのよ」

「美織流?」

「そう。あの美織流」

美織流。

今やテレビで見ない日はないのではないかという、人気アイドルだ。

人なつっこい甘い笑顔と元気な性格で定評があり、バラエティー番組に引っ張りだこだという。

脳裏のテレビCMで見た顔を思い浮かべ、虚を突かれる。

浩子は背もたれに身体を預け頭を抱えた。

「何でも、舞台の為にバレエを習いたいんですって。でもあんまり騒ぎになりたくないって言うから。それで、女性の居ない男性クラスを案内したの。講師も男が良いって言うし」

「そうですか。分りました」

舞台の為にバレエを取得したいという理由はすんなり納得した。

けれど芸能人ともなれば、個人レッスンを受け放題だろう。

それをわざわざ曜日も時間も決まっているオープンクラスに来るのか、少しばかり疑問だった。

だがそれは、浩子の口から、まるで愚痴のように聞かされた。

「男性で教室開いてる人って、夏樹も通ってる鈴村さんのところもそうだけど、初心者お断りのところが多いでしょ。スクールにしても男性講師が居るところって少ないのよ」

「そうですね」

「それでも個人レッスンしてくださる先生探して幾つか教室で受けたらしいんだけど、なんていうか、どこも二度目は来ないでくれって言われたんですって」

「来ないでくれ?」

「レッスン態度が悪かったみたいよ。打診をしに来たマネージャーさんが言ってたわ」

「へぇ・・・」

あの、甘い笑顔と元気な雰囲気の美織流が。

テレビと表と裏では顔が違うのだろうか。

とても意外な気がした。

だがその驚きの次に来たのは、強い困惑だった。

「え、そのレッスン態度が悪い美織流を俺が?」

「もう他に探してる時間がないんですって。そのうえ、バレエ協会からもお願いされたら断れないの、分るでしょ」

「あぁ・・・なるほど」

夏樹が入室した時から疲れをひしひしと感じさせていた浩子の頭痛の種はそれであったようだ。

事前に問題児だと知らされている美織流を預かる事。

何より、断ればバレエ協会での立場が悪くなる可能性がある事。

発表会の準備だけで忙しいこの時期に、浩子にはありがたくない事が降りかかって来たのだ。

夏樹としても、そのような生徒は御免被りたい。

元々講師に慣れていないのだ、大人しい生徒だけで手一杯でもある。

しかしこのように疲れを露わにする浩子を前に、断るなど到底出来ない。

もっとも、これは「相談」ではなく「報告」だ。

夏樹に断る選択肢など用意をされていない。

「期間はあちらの舞台のリハーサルが始まるまでで、丁度男性クラスが終わるまで。今日から来るからよろしくね。贔屓しろって言いたいわけじゃないけど、くれぐれも追い出さないで頂戴」

「・・・はい、分りました」

追い出すも追い出さないもない。

それだけの権限など、夏樹にはない。

重いため息が自然と吐き出される。

二度目のレッスンまで、もう十分となかった。





  


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