■グリッサード・・・・6



レッスンが進んでも、流の態度が変わる事はなかった。

「バットマン、バットマン、グランバットマン。前はア・ナヴァンででバランス、横は後ろ前後ろでア・ラ・スゴンドでバランス。
後ろはアン・オーでバランス。後ろまで行ったら、後ろ横前でグランバットマン」

コンポの近くに立ち、何を掴む事なく口にした動作を生徒達に見せる。

各々バーを握り夏樹を真似ながら動作を確認する。

夏樹には難なくこなせる足の動きも、生徒らにとってはそうではない事は承知だ。

たとえ玄人の中間と柚木であっても、バーを離してはなかなか出来ないだろう。

その間も、流はぼうっとバーにもたれかかり上の空だ。

退屈をしていると顔に書いてある。

小さな子供ならともかく、大人であるのだからそこまでしろとは言えなかった。

子供クラスと大人クラスの一番の差は、何もレッスン費制度の違いなどではない。

親に言われて来ているか、自分の意志で来ているか。

子供だからと言って全員が親の意志だけで来ているわけではないが、大人は必ず、自分が選び通っている。

流の態度はまるで、親に言われて来たくもないのに通わされている子供そのものだった。

「では右から」

左手でバーを握り、右足前の第五ポジションでスタンバイをする。

中間は腰が引き気味だが五番ポジションは綺麗に入っている。

柚木も足のポジションは綺麗だが、肩が上がり胸が縮まっている。

萩尾は身体の使い方はまだ身についていないが、腰があがり背は伸びている。

八本と皆川は背を伸ばし胸を反らそうとするのに必死でそり気味な上に肩が上がりきっている。

そして流は、身体のどこも、引き締めようとする素振りを見せないまま、緩みきった足に肘も下げたまま腕を開いた。

「柚木さん、つま先まで意識して。八本さん、肘を上げて」

生徒を順に見て回りながら、気になる点を身体を直していく。

気になるところなどいくらでもある。

どこからどこまでを注意して良いのか、講師経験の少ない夏樹は見定めが難しい。

個人の目につく所を指摘していく。

余裕のある生徒は、他者の注意を聞きながら自らもなおしてゆく。

「美織さん、背筋を伸ばして」

流の元まで行くと、胸と後ろ腰に手を当て真っ直ぐにしようとする。

けれど流は、あからさまに嫌そうな顔をした。

何故彼は教室に通っているのだろう。

舞台の為だというが、舞台稽古でも少なからずレッスンをするのではないか。

ならば、忙しいだろう時間を押してまで嫌々来ずとも良い気がした。

バーレッスンは予定していた物が終わり、夏樹は手を二度叩いた。

「では、センターです」

生徒らがバーから離れフロアに出る。

辺りを見渡していた流も、他の生徒に倣うようそこから離れた。

センターレッスンは、フロアで踊る事だ。

「まずジャンプをしましょうか」

鏡を背に立ち、生徒達と向かい合う。

少し考えて、夏樹は床を蹴った。

「シャンジュマン、シャンジュマン、ソテ、ソテ、シャンジュマン、シャンジュマン、パッセジャンプ、パッセジャンプ。右左交互
です」

難易度の低いパの組み合わせだ。

しかし、どのようなパであっても組み合わせ一つで色を変える。

難しいか否かは個人の得手不得手で変わってくる。

流を除く生徒らがステップを確認する。

相変わらず真似る素振りもしない流に声を掛ける事なく、コンポで音を確認した。

その時、床を踏み鳴らす音をかき消すように、不服げな流の声が響いた。

「なぁ、いつになったら踊るわけ?」

「これも踊りですよ」

「そうじゃなくってさぁ。白鳥の湖とかあんじゃん。あーいうの」

「そういうのはこのクラスではしません。まず基本のパを練習しないと」

「ぱ?」

「ステップの事です」

「最初からそう言えば良くね?」

「バレエはフランス語が伝統ですから」

不満なら一つ一つ日本語で説明をしてやろうかとも思う。

これでも言葉を選び分かりやすく説明している。

夏樹が受けるレッスンではこれ以上のフランス語が飛び交っているのだ。

フランス語では一言で済んでも、日本語ではそうはいかない物もある。

余計にややこしくなるだけではないだろうか。

そもそも日本語では名称がない物さえある。

そんなもの、音楽だろうがスポーツだろうがどこの業界にもある事だ。

「曲はこの速さでいきますね。腕は全部アン・バで……」

「なんだよ、踊るんだと思って今まで我慢してたのに。しょーもねぇ」

「ですからこれも……」

「嫌なら出ていけ」

夏樹が必死に我慢をしていた言葉。

浩子に言うなと言われていた言葉。

それが、生徒の中から発せられた。

すごみのある、低い声。

黒川が顔見知りだという、萩尾だ。

「は?なんなのおっさん」

「さっきから文句ばかり言って、やる気がないなら帰ったらどうだ?」

「俺だって来たくて来てんじゃねーんだよ」

「だったらせめて黙ってやれ」

「煩いな。そんなの俺の勝手だろ。だいたいおっさんこそなんなの?良い年してバレエとかって恥ずかしくないの?マジみっともな
いんだけど」

「恥ずかしくはない。俺は俺がしたくてしている。それこそ勝手だ。だがお前が息吹先生に迷惑を掛けるのは、テメェの勝手で済ま
されねぇんだよ」

「はぁ?なにそれ」

萩尾の威圧感は、黒川のそれに似ている気がした。

フロアにいる夏樹を含む全員の視線が二人に注がれる。

まっすぐに流を見下ろす萩尾の眼差しは鋭い。

強気に反発をしていた流から言葉が消える。

顔を背けばつを悪そうにした彼を見て、前に向き直った萩尾は軽く腰を折った。

「授業中に、すみませんでした」

「い、いえ……えっと、では始めましょうか。シャンジュマン、シャンジュマン……」

場に気圧されていたのは夏樹も同じ。

夏樹が収められなかった場を萩尾が収めてくれた。

彼が謝る理由はない。

いくらバレエが出来ても講師としては全然駄目だ。

レッスン語に萩尾へ礼を言おうと胸に決め、夏樹はコンポから音楽を流した。




    


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