偶然か運命か・編・01



 都内一等地に路面店として店舗を構える評判の良いフレンチレストラン。
 予約を取り訪れた、一番奥の席。
 そこで向かい合って座る男・加藤は、仕事終わりの時間だというのに乱れを知らない装いで、横山智(よこやまさとる)に真摯な目を向けた。
「別れて欲しい」
 人目を気にして小さな声だった。けれど良く通る声だったので、聞き違えはない。
「何を」
「もう、終わりにして欲しい」
 彼が何を言っているのかは分る。言葉の意味ももちろん分り、智は黒縁眼鏡に縁取られた目で彼を眺め返した。
「分った。それで良い」
「智?」
「どうした。引き留めてでもして欲しかったのか?」
「いや……それは」
「そんな面倒な事、お前は好まないだろ?」
 加藤が口を噤む。
「どこに不満を感じていたとしても、僕はお前に合わせるつもりはないし、お前に合わせて欲しいとも思わない。なら、この結果が良いというのは少し考えれば分る。お前もそう考えたから、話し合いも持たずに別れ話をしてるのだろ?」
「……」
 無言は肯定か。
 別れを切り出されるという事は、大なり小なり何かの不一致があったから。
 場合により、それは性格なのか日常生活や生活態度なのか違いはあれど、何にせよ大人がそれらを変えるような面倒事をするくらいなら、さっさと別れた方が手っ取り早い。なんとも合理的で、智にしても賛同するしかない意見だ。
 バツが悪そうに顔を背けていた加藤は、少しの間を置いて、卑屈に歪んだ唇を一瞬だけ見せた。
「そういうところだよ」
「どういう所だ」
「聞き分けが良くて、結果主義だ」
「そうだな。遠回しなやりとりは好まない」
「あぁ。そういうところが良かったんだよ、俺は。だっていうのに、蓋を開けてみたら。騙されたな」
「騙したつもりはない」
「だろうな。けどどう考えたって、想像していたタイプじゃなかったんだよ」
 想像していたタイプ。
 またか。
 内心、憤りとも呆れともつかないため息が出そうになる。
 智は今年で二十八歳になるが、今まで交際をしてきた男には決まって、平均二ヶ月程度の交際しか持たず、似たような事を言われ振られてきた。
 どいつもこいつも、加藤も、芸がないにも程がある。
「聞き分けがない事をしたつもりも、結果を優先しなかった事もないと思うけど」
「そうじゃない。分ってるんだろ? お前があんな――」
「こんな場所でする話しじゃないだろ。まぁ、冗談が通じないのはお互い様だったね。色々、慣れて欲しいとは思ったけど、無理だったのなら仕方がないだけの話しだ」
 変化と慣れは違う。
 変化とは、元ある物を覆していく事だが、慣れは諦めに似ている。
 聞いてもいない別れの理由をわざわざ言ってくる加藤から視線を外し、まだ前菜も来ていない伝票を持ち、智は立ち上がった。
 別れを切り出された時点で想像していたし、言ってしまえば思い当たるのはそれしかない。
 だというのに改めてそれを突きつけて来るなど、悪趣味としか言えない。
「帰るつもりか?」
「ここに居て不味い食事をしたくないし、ゲイの痴話喧嘩なんて言う見世物にもなりたくない」
「料理を食べずに帰るのも妙だろう」
「なら、お前だけ食べて帰ってくれ。支払いは済ませておく」
 勢いで立ったのだろう加藤を冷ややかな目線で一瞥し、智は会計レジに向かった。視線は感じても、加藤が追いかけて来る気配は感じない。
 世間体を気にするタイプだ、お互いに。ただ少しばかり、気の仕方が違うだけ。
 堅物で真面目で、真っ直ぐに言葉を向けるタイプで、冗談が通じない。それもお互い様。
 似たような性格の人間が二人居て仲良く出来るのは初めだけで、少しのすれ違いが始まればただただ擦れ合うだけ。潤滑剤気質が二人居れば違うのだろうが、そうなろうとしない人間二人なら壊れゆくまでが早い。
 そう、何度も失敗を繰り返していても、好きになるのは同じタイプ。
 智にしてみれば、好ましいと思う人間になりたくて自分の性格が出来上がり、好ましいと思う人間に好意を抱く。極々自然な流だ。
 そういった考え方からして、「堅物」と言われる所以だろう。
 皺のないスーツにシャツ。左右に撫でつけられた髪と堅く結ばれた唇。
「堅物」に相応しい外観。
 だが、人間は一つの言葉で表せられる程単純な物なのか。少なくとも智はそうではない。
 会計担当スタッフにさっさと二人分の代金を支払う。
 別れを告げたばかりの男に未練は驚く程なかった。
 未練など、過去の執着。時間の無駄。未練を抱くくらいなら現状を変える努力をするべきであるし、そうでないなら忘れるが勝ち。
 ドアベルを鳴らし、スタッフの声を聞きながら店を後にする。もう二度と、加藤を振り返る事はなかった。



  
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