偶然か運命か・編・03



 数杯目のビールを呷り、智はようやく顔を上げた。
 思えばここ数時間、ただカウンターの上ばかりを、それも険しい面持ちで眺めていた気がする。
 ふっと息を吐き出し、肩の力を抜いた。
 何故ここに来たのか。出会いが欲しいからだ。
 だというのにあのような顔で居れば、誰だったとしても声など掛け難いだろう。
「時間の無駄だったな」
 自分自身に呟く。
 一体何がしたかったのだろう。マスターの言うように急ぎすぎている。自身に対する苛立ち任せにここに来て、苛立ち任せにアルコールを飲み、その苛立ちの原因を今度こそ幸福な物にしたいと思うがばかりに周りが見えなくなり、結果世間話すらしてもらえない程の雰囲気を出していたなど。
 合理主義が聞いて呆れる。
「……はぁ」
 上手く、スムーズに、生きて行きたい。その為には合理的な選択をする方が良い。
 そう、強く思っているというのに。
 現実はどうだ。上手くいかない事の繰り返しだ。
 だからこそだろうか。少なくとも智の目からスムーズな選択と生き方をしている人間、得に男を見ると惹かれ、恋をしてしまう。
 智は真性のゲイだ。いつからだと言えば物心がついた時から、恋愛などという言葉を知らずとも心惹かれ恋をしているのは男だった。
 よくよく考えれば、そもそも恋愛対象が同性の男である時点で、「合理主義者」などと名乗る資格などない。恋愛に対してこれ程までに不合理な茨の道などあるものか。もっとも、智自身が自分を「合理主義者」などと言う場面は殆どない。
 面食いの時と同じだ。
 どのような評価であれ、飾った言葉で自分を表すなど自分を勘違いしている者がする事で、気恥ずかしい行い以外の何物でもない。
 グラスの中身が半分になったそれを眺め、一気に飲み干してしまおうかと持ち上げた。今夜はとことん飲んで、考えれば考える程嫌な自分を忘れてしまいたい。
 肩で重いため息をついたが、その時だ。
 智の隣のスツールが引かれた。
「おにぃさん、隣り良い?」
 投げかけられた言葉に返事をする間もなくそこに座った男は、茶色に染髪された肩まで伸びた髪を揺らしながら智の顔を覗き込んだ。
「あ……あぁ」
 急の事だったので、男の声や言葉が本当に自分に向けられた物なのか半信半疑だ。この数時間、マスター以外誰も話し掛けて来なかった。カウンターの一番隅であったというのもあるだろうが、険しい面持ちでアルコールを飲み続けて居たのだからそれも頷ける。
 そのような中だったからこそ、いっそ馴れ馴れしい態度の男が隣りに座り、無遠慮に顔を眺めて来るのを止められなかったのだろう。
「さっきからずっと一人で飲んでるけどさ、今夜は帰らないつもり? もう電車ないでしょ? あ、タクシーとか?」
「だったら何だ」
 男の質問に答えとは言い切れない言葉を向ける。しかし彼は、それで十分だったようだ。
 カウンターに肩肘をつきそこに頬を預けると、良く言えば人なつっこい、悪く言えば軽薄な、笑みを智に向けた。
「そんなの決まってんじゃん。おにぃさん、俺と遊ばない?」
 じっとりと男を眺め返す。酔いを感じて居なくてもアルコールを多く摂取した唇はきっちりと結び着る事が出来ず、眼差しも然程鋭い物にはならなかった。
 その智に男は、相変わらずの笑みを浮かべるばかりだ。
 年の頃は二十代前半から半ばだろうか。学生という雰囲気はなかったが、サラリーマンとも到底思えない。会社員という意味であればそれは分らないが、服屋のショップ店員やカフェのウエイターのような印象がある。
 それは言葉や表情から来る物もあるだろうが、それよりも外観の印象からだろう。
 人というものは第一印象で相手を判断してしまう。だからこそ智は、この髪型でこの眼鏡、この喋り方だ。
 自分は中流でもそれ以下でもない企業の会社員。その意識が必要以上に強くなる。
「何何、黙っちゃって。迷ってるのかなぁ?」
「あぁ、迷っている。どうやってお前を追い払おうかとな」
「何、またまたぁ。そんな堅苦しい事言っちゃってさ。おにぃさんだってここが何処か知ってて飲んでんでしょ?楽しくやろうよ」
「もちろんここが何処で、どのような店かは知っている。だがそれと、お前とまで仲良くする理由にはならない」
 この男には智がどのように映っているのだろうか。
 店に不釣り合いのお堅い人間か。そうならば、険しい顔で一人アルコールを呷るそのような智が物珍しいだけだろう。
 自分とは違う人種をからかってみたいのかもしれない。
 智が過去に出会った、「振られた理由を受け入れてくれる」男達は決まって、今のこの男のような調子だった。外観やそこから感じられる職業こそ違っていても、印象という意味では似たり寄ったり。
 辟易としたため息が漏れた。
 一言で言って、この知性が感じられない話し方自体が智の好みではない。
「……良いかも知れないな」
「え?え?何、何?」
 どのような言葉を使えば効果的に男が離れていくか考えた。だが俯きかけていた顔を上げ、智は男を眺めた。
 いっそ、好みなどどうでも良いかもしれない。そんの物が関係ない間柄になってしまえば良い。
 それよりもこの男を、そう、利用すれば今夜の自分の苛立ちをいっそ忘れられるだろう。
「一緒に飲むか?」
「え?良いの?どーしちゃったの、急にさ。まぁ、俺は嬉しいけど」
 きっと夜が明ければ虚しい結果しか待っていない。
 それでも男のアルコールをマスターにオーダーしてしまう智は、一方で自嘲と諦めで頭が一杯になりそうになっていた。


    
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