偶然か運命か・編・06



 まるで引きずられているようだ。
 ドアベルの音を響かせ店を出てようやく、男は智の腕を放した。
「いきなり、何なんですか」
 目の前に立った男を見上げる。口調に苛立ちが混ざるが、それも当然だ。
 見ず知らずの男に突然店を連れ出されたのだ。それが、妥協をするしかなかった誘いの最中でも。
 視線を尖らせる智に、男はしれっと口を開いた。
「あんな奴らについて行くな」
「お前に関係ないだろ」
「あいつらがどんな奴らか知っているのか?」
「は?知らないけど、お前は知ってるって?」
 スーツのポケットから煙草を取り出し唇に咥える様子を眺め、智は腕組みをする。
 この男に構わず帰るか店に戻っても良かったが、会話が成立してしまった以上、話しを終わらせるまでキリがつかない。そもそも、家に帰るにはタクシーを選ぶしかなく、一人ホテルに泊まるのも虚しく、店に戻るのも今更だ。
「レイプまがいの性交をして、弱味を握った上で金を取るらしい」
「……え?」
 眉一つ動かさずに告げる男を、智はマジマジと眺める。
「そ、そんな噂。だ、だって、そんな事していて店に来られる訳……」
「ここ二ヶ月程の事だ。同じ店には頻繁に行かないらしいからな。それに、自分達の顔を写真などに残させない。名前も変える。証拠を残さないし、弱味を握られているから相手も動けない」
「弱味って、そんな簡単に握れるものじゃ……」
「こんな店に来る男の弱味なんて、犯されてる写真と会社の名前さえあれば十分だろ」
「で、でも。そんな状況ならなんでお前が知っているんだ」
「俺は別の店で被害者から聞いた。その店はその後出禁にされたが、やはり弱味を握られているのを気にしてな。公にはしなかったようだ」
「そ、そんな……」
 そのような噂、聞いた事がない。もっとも、噂が立ったのは二ヶ月程だという。ちょうど、智がこの手の夜遊びをしていない時期だ。
 この男を信じるべきか。信じるならば、危機一髪であったところを助けられたのだ。
 その手の事をする奴らが、一度金を奪っただけで満足するとは思えない。弱味を握られているのなら、半永久的に金をむしり取られていただろう。
 黙るしか出来ない智に、男は冷ややかな視線を落とした。
「分かったか、自分の置かれていた状況が」
「……あぁ」
 今は男の言葉を信じるしか出来ない。まさか店に戻り、カズ達に事実を確認など取れるものか。
 疲れのような物がどっと押し寄せる。虚しい。
 恋人に振られた挙げ句、このような状況に陥るなど。ついていないとしか思えない。
 重いため息しか出てこない智を、男はじっと眺めた。
「俺の事を、覚えていないか?」
「は?」
 突然の言葉に、智は呆けた顔になる。
 いきなり腕を掴み、レイプ紛いの犯罪集団から助け出された男。
 見覚えの無い、初対面だと思っていた男を見る。
 バーの入り口を避けて立つ、薄明かりの中。
 しかし、暫し眺めていると、智は小さく息を呑んだ。
「いつだったか、ホテルのスイートで……」
 6Pをした時の、部屋を押さえた男。
 つい先ほどカズ達に話した男。
 連絡先どころか名前も何も知らなかった男。
 その男が、今目の前に居る。
「覚えていたか。いや、思い出したか」
「えぇ、まぁ」
 一度思い出すと、芋ずる式に色々と思い出された。
 あの時も、恋人と別れて間もなくだった。ゲイバーで出会った男はそこそこ智の好みだったが、交際をする関係にまでならず、あるパーティーを開くと言った。
 それが一流ホテルのスイートで行われた六人でのセックスだ。
 乱交パーティーと言えばそうかもしれないが、受け手は智だけだった。それは決して、タチネコで言うところのネコという意味ではない。
「知り合いだったから助けてくれたんだな」
「それもあるが、それだけではない」
「他に何か?」
「あるだろ。そんな事も分からない身体か?」
 息を呑む間もなかった。
 煙草をアスファルトに捨てた男の手が智の顎を掴み、そして互いの唇が、触れ合った。
「んっ」
 さも当然のように、名前も知らない男の舌が智の口内に入る。舌がふれ合い、ねっとりと絡まされる。
 自然と瞼が閉じていった。元よりこの手の行為が好きな智にとっては、極上の口づけを拒絶する理由は無い。
「俺がお前を欲しかったからだ」
 唇を離した距離で、男が囁く。
 智より高い身長は百八十センチ後半だろうか。
 すっきりとした目元も、通った鼻筋も、心地よい声も、その口づけも。どれも智の理想そのものだ。
「あの日は、キスなんてしなかっただろ」
「あぁ。お前はそんな立場じゃなかっただろ。それに今は、特別だ」
 それまで不機嫌そうでしかなかった彼が、小さく不敵に笑う。
 そのような顔も、あの日は見なかっただろう。
 そもそも、あの日の誰の顔も覚えていない。あの場を設けた男の事さえ曖昧だ。
 覚えているのは、あの日の感想だけ。楽しかったと、満足したと、それだけだ。
 先ほどまで智の唇に触れていた彼のそれが、耳元に触れる。
「部屋を取ってある。来るだろ?」
 それは、答えなど聞いていないような、断言的な言葉。
 頷くしか出来ない智は、ただ彼の後に続いた。



    
*目次*