偶然か運命か・編・09



 ふと、綾瀬と会った日の事を思い出した。
 相変わらず綾瀬以外の顔は大して思い出せない。綾瀬にしても、決して顔を思い出させた訳では無い。ただ、その目だけは思い出した。
 智が散々、恋人という関係になった筈の男から数ヶ月で振られ続けてきた理由。
 ただ他人よりも性行為が好きというだけではなく、その性癖。
 智は、マゾヒストだ。
 一口にマゾヒストと言っても様々な壁や種類・ジャンルがあるが、智は痛みや羞恥的な物が好きだった。
 恋人とも、初めは普通にセックスをするが、しかしすぐにそれだけでは満足出来なくなる。好きな相手だからこそ、その手で、声で、虐めなじって欲しいと考えてしまう。そしてそれを求めると、最初は応えてくれる場合が多くても、徐々について行けなくなるのだ。
 本来加虐の性癖がない相手にとって、恋人を痛めつけるというのは精神的に辛くなるらしい。
 そして振られる。
 しかし真性マゾヒストであり、性に恥じらいが少ない智だ。恋人が居る間は大人しくしていても、居ない時は性癖だけで相手を選び、遊ぶ事は少なくなかった。
 真性サディストと出会え恋人となる事が出来れば良いのだが、少なくとも智の出会ったサディストは特定のパートナーが居る中での火遊びであったり、サディスト故に智のような性格の男を恋人にと考えない相手であったり、交際に至る事は一度もなかった。
「酒は……散々飲んでいたか」
「あぁ。そんな物は良い。さっさとしよう」
「焦るな。まぁ、時間はそんなにないか。明日も仕事だろ?」
「そりゃそうだろ。今日は水曜だ」
「少しは寝たいか?」
「……そりゃね」
 綾瀬が意地悪く笑う。ただ唇の端を動かしただけのような、笑みとは呼びたくないような物。
「なら、シャワーを浴びて来るか」
「そうだな。僕は、後で良い」
「そうしろ。大人しく待ってろよ」
「あぁ。あ……あの」
「なんだ」
 スーツのジャケットを脱ぎハンガーを掛ける綾瀬の横顔に声をかける。振り返った彼は、もう笑ってはいなかった。
 ネクタイも外そうとしている。その手つきに視線が奪われそうになった。
 やはり彼は、何度見ても智の理想だ。
「先に言っておくが、僕はマゾだが主従関係に興味はない」
「主従関係はSMの基本だろう」
「そう言われるが、僕は違う。大多数だか誰かが作ったルールだかは知らないが、何にしても分類分け出来ない物は出てくる」
 ふとどこか不遜に智が笑う。それもまた、笑みとは呼びたくはないような物だ。
 好みの外観と振る舞いをする綾瀬を前に可愛い態度を取れば良いのにと頭では思う。始めくらいは綾瀬の好きにさせてやれば良いのかもしれないとも思うのだが、それが出来ない。智の性格がどうにもストレート過ぎる。
 もっとも、そのような行動が出来ていれば今頃恋人に困らなかっただろう。
「まぁ、一言で言い表せない性癖がマゾの特徴とも言える。十人十色だ。それに、その外見と口調で真性のマゾなんてな。同僚が知ったら驚くだろう」
「同僚どころか友人にもカミングアウトした事などない。今は外見など関係ないだろう」
 振られ続けている理由をこのタイミングに言われ、苛立ちを隠せない。
 あからさまに眉間に皺を寄せた智に、綾瀬はシャツのボタンを数個外し近づく。そして、男らしくも細く綺麗な手で、キスをした時と同じように智の顎を掴んだ。
「そうだったな。だからこそギャップがあって面白いというものだ」
「っ」
 不意の行動に息が詰まる。思わず目を反らした。
「照れているのか。可愛いな」
「可愛いなど言うな。男だぞ」
「男かどうかなど関係がないだろ。ゲイだぞ」
 それを言われてしまえばもう何も言えないし、綾瀬の手からも逃れられない。
 絞り出した声は、みっともない程に掠れていた。
「お、お前の好みも聞いておいてやる」
「好み?」
「好きなプレイだ」
 自分だけして欲しい事をして貰うのは違う。それは自慰行為と変わらない。
 二人もしくは複数で行う行為故に、互いの目的を譲歩すべきだ。
 しかし威圧的な眼差しで智を見つめる綾瀬は、興味なさそうに続けた。
「俺の好みは良い。別に智に合わせてやるつもりはないが、互いに問題はないだろう」
「は?」
 咄嗟に綾瀬を見る。
 けれどその時にはもう、彼の指はそこから離れ、背を向けられていた。
 つまりは、綾瀬の好みと智の好みは同じなのだろうか。
 まだ始まってもいない「プレイ」。智の希望も伝えていない。
 この後何が行われるのか不安が襲う反面、期待せざるおえない身体がたぎっていた。



    
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