GW最後の一日・編・3



いきなり目の前の車を「お前の物だ」などと言われても、実感が沸くはずもない。

「乗ってみろよ」

「う、うん」

それでも、三城に促されるがままに新車特有の匂いのする運転席に収まると、そこからの眺めは格別であった。

「わぁ・・・」

初めて乗る車である事ももちろんだろうが、なんといっても運転席というのは助手席とはまるで違う。

これが自分のマイカーになるというのか。

目の前のハンドルを握ってみると皮の感覚が手の平にしっくりと心地好く馴染み、足先をアクセルの上に置くとドキドキと胸が高鳴った。

先程他人事のように眺めていた車体を思い出し、無意識に頬が緩む。

あの丸っこく可愛らしい赤い車を自分が運転するのだ。

「良い眺めだろ?恭一専用だ」

「・・・うん」

そう呟く三城の声音は、しんみりと嬉しげであった。

何を考え、三城はこの車を幸田に贈ってくれたのだろう。

真意は定かでないものの、彼からのプレゼントそしてその想いが嬉しいと、じんわりと胸に広がってゆく。

「出かけるか」

「へ?」

感慨耽っていた幸田は不意に声を掛けた三城に気を取られ、その隙に彼は身を乗り出すとハンドル脇にあるボタンを押した。

どうやらそれはエンジンボタンだったらしく、低いエンジン音が身体に響く。

「わっ・・・」

いきなりなんて事をするのだ。

ただそれだけでは動かないとはいえ、幸田は弾かれたようにハンドルとアクセルから飛び退いてしまった。

「飯もまだだしフォトフレームも買いたいんだろ?折角だ、初運転しろ」

「え。・・・そんな事言ったって、いきなり公道なんて走れないよ」

まだ両親が生きていた頃は親が所有する車を借りていたものの、彼らが死んだと同時にその車も大破。

ここ数年は立派なペーパードライバーなのだ。

それ以来、買う事も借りる事もなく、車を運転する機会などなかったのでハンドルを握るのはかれこれ6年ぶりである。

三城は自分の車を乗れば良いとずっと以前から言ってくれていたが、いくら夫婦状態の相手だとしても他者のマイカー、それも高級車など怖くて運転出来るはずもない。

故に免許書は身分証でしかなく、ゴールドカードだという自慢にもならない状態だった。

「公道でなければどこを走るというんだ。大丈夫、運転など身体が覚えている」

前にもどこかで聞いた事があるようなセリフだ。

そして彼のそんな強気な言葉など、普通人の幸田にはなんとも当てにならないと身を持って知っている。

「でも、せめて人が少ない時間とか・・・」

「人が少ない?夜は暗くて危ないし、平日の朝になど時間が取れるのか?」

「それは・・・」

「だったら今で良いだろ。さぁ、出発しろ」

今も三城のように余裕を持った朝を過ごせていないというのに、これ以上時間を裂けるとは思えない。

乗るなら今だという彼の言葉は最もだろう。

それでも突然過ぎる状況に判断し兼ねてると、ほらほら、と三城が太ももを叩き、その手が徐々に不穏な動きを見せ始めた。

「っ・・・。春海さん、何処触って・・・」

「ん?車は密室だぞ?発車させないなら 別の用途で使うしかないだろ」

ニヤリと唇を歪め、三城は幸田の股間を握り締めた。

ジーンズ地の上から触れられたとしても、場所が場所だと思えば必要以上にそこに意識が集中してしまう。

息が詰まった次の瞬間、幸田は赤面を浮かべながら三城の手を払い退けていた。

いくら車内が密室だとはいえクリアーな窓から中は丸見えで、車や柱が多くある駐車場では何処で誰が見ているかなんて解ったものではない。

「止めて。・・・何考えてるんだよ」

「何?さっき言っただろ。運転しないなら・・・」

「する、するから。何処行く?今だったらモーニングよりもランチの時間かな。春海さんは何食べたい?」

再び伸ばされかけた三城の手から逃れるよう、幸田はしっかりとハンドルを握り運転体勢に入った。

裏返った声で早口に述べて見せると、三城はクスクスと笑いながら身を引く。

からかわれていただけだと気がついたのはそれからで、いくら三城といえどこのような場所で本気でおっぱじめようなどとは考えていだろう。

「そんなに嫌だったか?」

「嫌っていうか・・・そりゃぁ。どこで誰が見てるか解らないんだし」

「見せ付けてやれ」

「無理。・・・知ってるくせに」

フッと、三城が小馬鹿にしたような息を鼻から漏らした。

まるで、そんな事も出来ないのか、と言いたげであるがその通りなので反論の一つも口に上がらない。

「・・・行くよ」

助手席の三城がシートベルトを締めた音を聞き、幸田もそれに倣った。

シフトレバーを切り替えると、ゆっくりとアクセルを踏み込む。

「っ・・・」

久々に踏み込んだアクセルは、思った以上に軽い。

怖い。

やはり約6年というブランクは大きく、途端に強い緊張が押し寄せた。

その上、ふと周囲を見渡せばそこに並ぶ車は高級車ばかりで、この車も同じく、普通ならば幸田には到底手も届かない物であると思い出さされれば尚更である。

事故を起こすのは何処でだって恐ろしいが、けれどこの駐車場では大変どころの騒ぎではない。

「そんなに肩肘張るな。逆に危ない。いきなり公道を走れないと言うならここで練習して行くか?」

「無理。ここから・・・早く、出たい」

はじめは幸田もここを数周周ってから、と考えていたがそちらの方が余計に恐ろしく思えてきた。

幸い基本操作は問題なさそうである。

精一杯深呼吸を繰り返し、スピードの調整すら不安定なままとても遠くに見える地上を目指したのだった。



 
*目次*