花、香る+++3



まるで白昼夢を見ていたようだ。

始めは四人もの人間が居た場所に一人取り残された片桐が公園から出ると、その直ぐ二軒隣りに目的の屋敷の塀を見つけたのである。

それがあまりに唐突であったから、公園に居た時間が非現実的にすら感じられていた。

とはいえ、過ぎ去った出来事に囚われている片桐ではない。

高く長い塀は、所有者の権力を示すようで、近寄り難さも感じる。

それでも緊張を走らせながらも門を叩いた片桐は、その数分後には、此処───美しく造られた日本庭園を眺められる応接室らしき和室へ通されていたのだった。

「よく来たな。待ってたぞ、片桐」

「新垣さん。ご無沙汰しとりました」

「そりゃぁそうだろ。それとも、今日じゃねぇのか?」

「いえ、今朝出所してきたところです」

畳に両手をついた片桐が、そこへ額がつかんばかりに深く頭を下げる。

ここへ来るまで抱いていた片桐の心配など余所に、新垣は一部の隙もなくあの約束を覚えていた。

片桐が屋敷の門を叩き対応に出た組員に名を告げただけで応接室に連れて来られた事から、新垣が以前より組員に片桐の件を伝えていたと知れる。

それは十分に、片桐にとって頭を畳につけるだけの価値のある事だ。

もう迷う事はない。

瀬戸や荒尾と似たようなものを感じたこの新垣という男に、残された極道としての人生を託すと改めて心に決めた。

「頭あげろ。俺もこの日を心待ちにしてたんだ」

「恐れ入ります」

「で、約束の日に約束通り来たって事は、うちに入んだろ?」

新垣はニヤリと笑う。

地堂組は、的屋系地域密着型でどこの参加にも加入していない一本槍の老舗団体である。

この屋敷は大層大きいが、それだけだ。

正確な舎弟の数は解らないが、屋敷に来てから顔を合わせた人数を見る限り栄えているとは言い難そうな印象を受けた。

「うちはお前が前に居た組みてぇに活気がある訳じゃねぇ。元々ケチな商売しかしてねぇところに時代の波に呑まれてる。若い連中はよりつきもしねぇから、うちも俺の代で終わりかと思ってるくらいだ。そんな弱小団体で構わねぇつってくれんなら、うちとしてはお前を大歓迎で迎えるぞ」

「俺にどこまでの事が出来るかわかりません。ですが、この恩義一生忘れず、精いっぱい務めさせて頂きます」

「そうか」

新垣が片桐を欲している理由は片桐自身理解をしている。

弱小の一途を辿る地堂組に活力と、そして即戦力が欲しいのだろう。

片桐は以前居た組織で金庫番を務めていた。

経営や賭博もしたがしのぎの多くは株取引で、三年という年月が経ったものの未だその時に培ったパイプラインのいくつかは健在であることを、ここに来るまでに確認をしている。

世の中金だというが、金を作るのは人間だ。

その人間の繋がりや絆というものは、時として鋼の如く強い。

情報さえ手に入れば株などいくらでも設けられる。

それならばいっそ個人投資家となる道もありはしたが、片桐には微塵もその選択肢を選ぶ考えはなく、だからこそ極道として今此処に居る。

「よろしく、お願いします」

「そうか。入会は派手に祝うか。早い方が良い。今晩にも───」

頭を下げる片桐に、新垣は機嫌良く言う。

この規模の組織に地位も何も期待はしていないが、歓迎されての入会はやり易いものがある。

けれどもっとやり易くする為にも今後の事を詳しく決め己の有利に運ばなければ、そう考えていた時だ。

何の前触れもなく、突然廊下側の襖が開けられた。

「・・・、・・・」

「・・・ぇ」

「は、一[はじめ]。今は来客中だ、どうしたんだ?」

「・・・、居た」

やはりこれは夢なのかもしれないと思った。

それともまだ、夢から覚めていないのかも知れないとも思った。

突然開けられた襖、そこから無遠慮に室内に歩みを進めるのはどこからどう見ても───先ほど公園で助けた、あの青年だ。

一と呼ばれたその青年は、新垣をチラリとも見る事無く真っ直ぐに片桐の元まで来ると座布団に座る片桐を見下ろした。

見つめられる瞳を見返す。

改めて見て見てもその青年、一から受ける印象は然程変わりはしなかった。

儚げで、頼りなげで、人形のようで、片腕で。

ただ、蛍光灯の下に居る今は、透明感が薄らぎ彼の存在感が強調された。

だがそれらは彼が此処に居て然るべき理由にはならない。

「片桐お前・・・」

「これは───っおい!」

顔を見合わせる二人は互いに訳が解らずにいると、片桐は急に腕を強く引かれた。

反動で身体が傾ぎそうになった所をなんとか持ち堪え引かれた腕を見ると、ペタンと畳の上に座った一が、片方しかない腕で片桐の腕を抱き締めている。

視線は依然片桐に注がれているが、無言のままの行為に理解も理由も見あたらない。

疑問ばかりが増える片桐に、一は更にそれを強く引いた。

「待ってた」

「は?何を?」

「いち、来るの待ってた」

抑揚のない声だ。

待っていたというのは、片桐をだろうか。

しかし先ほど公園で会っただけの、その時も大した会話もなかった一と約束などしていない。

どうしたものかと答えにたどり着けずに居ると、先に疑問をぶつけたのは新垣であった。

「片桐、お前一と面識があるのか?」

「面識という程ではありません。ここへ来る途中少し・・・、もしや『はじめ』という字は・・・」

「あぁ、漢数字の『いち』だ」

なるほど、公園でも告げていた『いち』は己を指す言葉なのか。

多くある疑問の内の一つが解かれたが、けれど代わりに別の疑問が浮かぶ。

見た目は成人男性ながら、一の言行動は到底真っ当な大人のそれだとは思えない。

しかし気安く問える問題でもなく、片桐は言葉を呑み込むが如く唇を結んだ。

「それより、一に会ったのが少しだけだと?信じられん」

「俺は今日出所してきたばかりで、この辺りに来たのは初めてです」

「そう言われると、そうだな・・・」

どう思い返しても片桐が一と会ったのは先程の数分だけであるし、もしも以前に一度でも会った事があるならば見忘れるなどある筈がないと言い切れる。

それ程までに、一は容姿も存在も、片桐の中に強い印象を与えていたのだった。



*目次*