花、香る+++5



片桐が出所し一週間が経ち、地堂組に正式に入会してからも六日が経った。

日々は順調に経過している。

「おい、いち。前が見えねぇ」

地堂組本部の屋敷の一番奥の部屋に片桐の声が響く。

元は一の私室だったその部屋の一角に、和室に似合う木製のロータイプのパソコンデスクと最新式のパソコン一式が鎮座している。

新垣との約束通り一の世話係としのぎを両立させようとした結果、一が過ごし慣れた彼の部屋で片桐がパソコンで株取引を行う、という形を取る事となったのだ。

パソコンの操作やシステムに慣れるのには数日掛かったが株の腕自体は衰えていないようで、片桐は今もモニターを眺めながら真新しい携帯電話を耳に当てていた。

「───さん、はい、はい、その件で。服部商事ですね、えぇ。いえ。ハハッ、お礼はまた改めて・・・とんでもない。では」

作ったような明るい声で会話を交わし、短く話を終えると片桐は携帯電話の通話を切る。

株で設ける一番の方法はインサイダー取引に他ならない。

ガセネタを掴まされる事もあるが、そこは賭だと片桐は教えられたばかりの情報で株を買おうとマウスを握り直した。

「いち、退け。モニター見えねぇだろ」

「・・・や」

けれど目の前の物、片桐の膝の上に座り正面から抱きついている一が邪魔で、真面にはモニターが見えない。

片腕と両足でしっかりとホールドもされており、身動きがままならずどうする事も出来なかった。

「いち、良い子」

「良い子じゃねぇよ。大人しくしてりゃぁどこに居ても良いってもんじゃねぇんだよ」

ぼそぼそと言いながらも、一は頑固に動こうとはしない。

まったく、これが本当にヤクザの息子で22歳だというのか。

眉間に皺を寄せ唇を結んだが、しかし片桐は一を退かそうとはせずに出来る限り首を捻りモニターを覗きこんだ。

「・・・、これだな。まぁ、とりあえずは信じるしかねぇなぁ」

あれは、一の世話係となった当日の晩だ。

『世話係』の職務の全てを把握しきれていない片桐に一は、───夜の世話すらもねだって来たのである。

片方しかない細腕で片桐の太い手首を掴み、一自身の股間に導かれては『ここが痛い』と言われた。

その瞬間、片桐は理性の全てを失ったかのように、一の『お世話』をしてしまったのだ。

もっとも、『お世話』『仕事』などというのは大義名分でしかない。

久しぶりのSEX。

自ら誘っておきながらSEXどころか自慰すらも未経験であった一の身体。

それは旨さよりも大変さが多くはあったが、満足感はなんとも大きい。

何より、一が初めて男としての身体の変化を強く感じたのが自分である、というのが片桐を喜ばせている。

そうして、早々と当日に『組長の息子とその世話係』の関係を大きく越えてしまった事もあり、片桐の一に対する態度も『組長の息子』に対するそれとはいえないものだ。

仕事だから一の傍にいる訳ではないい。

むしろ、一と過ごす合間に仕事───株取引を行っているような気持ちだ。

「ほら、せめて頭こっちだ。動くな、操作出来ねぇだろ」

新垣も、片桐自身も危惧を抱えていた一との生活は、今のところは大きな問題は出ていない。

今のように片桐の都合お構いなしに一が絡んで来るなど日常茶飯事で、腕が一つしかないというのに一は常にと言って良い程片桐のどこかを掴んでいる。

一は、まるで犬か猫だ。

それも仔犬か仔猫かそんな生き物だ。

表情は殆どなくて、感情を上手く伝えられなくて。

言葉にしても正確なそれは少なくて、ただただ片桐に甘えて絡みついてくる。

「いち、まさや好き」

「知ってる」

「まさやも、いち好き」

「何回も言ってんだろ」

「でも、いちの方がまさや好き。いちが一番まさや好き」

「はいはい」

片桐は、この成人男性の身体をした大きな仔犬が、可愛くて堪らない。

口ではなんと言えど、邪険に扱う素振りを見せてみても、そんな物は内心を隠す為の必死の取り繕いだ。

一が好き。

一を愛している。

それは多分、初めて公園で出会った時から始まっていた。

「おい、いち。顔の前に来るな。見えねぇだろ」

「いち、まさや、見てる」

「んなもん後でにしろ。俺は仕事してんだ」

それまでじっと片桐の肩に頭を預けていた一が、ふと顔を上げると鼻と鼻がぶつかる距離で片桐の真ん前に顔を向けた。

そんな風にされれば、首を捻ったところでモニターなど見えはしない。

後場の終了まで残り三十分。

後三十分くらい大人しくしていてくれれば良いものを。

けれどもう、説得をするのも面倒だ。

片桐が諦めてマウスから手を離す。

世話係としのぎと、両立出来るだろうと思っていた。

けれど思わぬ妨害が、先行きを不安にさせる。

「俺もふぬけたなぁ」

それとも三年間ものうのうと塀の中で暮らした為に忍耐力が衰えてでもしまったのだろうか。

大きな仔犬に───恋人に絡まりつかれている状態で仕事に集中するなど至難の業だ。

「まさや?」

「可愛い顔しやがって」

容姿も、内面も。

言動・行動、その全てが可愛くて愛しくて。

巷ではただそこに居るだけで恐ろしげだと恐れられ、つい先日まで刑務所にも入っていた根っからのヤクザものである片桐も、恋人にはめっぽう弱い。

苦笑を浮かべながらも力強く一を抱きしめた片桐は、もうモニターなど見向きもせず一の唇を奪った。

これから先いつまでも、一の世話係が変わる事はないだろう。

片方しかない一の手は、片桐と指を絡ませ合い離れる事はなかったのだった。





【完】




*目次*