フィルター・6



徒歩20分の距離を、全力で走り抜けた。

「はぁはぁ」

息を切らしながら、智也は施設の入り口、学校のそれを思わせる、鉄のスライド式鉄格子に触れる。

来たとしても、会わせてもらえる可能性なんて皆無に等しいだろう事に今になって気がついた。

どうする手立ても思いつかず、智也はその場に立ち尽くしてた。

「、、、宮元、さん?」

鉄格子の横から、「第一発見者」である女性職員が顔を覗かせた。

その途端、「鬼の形相」とばかりの面持ちに変貌した彼女は大声で怒鳴り上げる。

「何しに来たんですか。帰ってください」

取り付く島もない、とは正にこの事だろう。

女性職員は「帰って」を連呼するばかりで、智也が口を挟む余裕もなかった。

これでは(当然といえば当然だが)中に入れてもらえそうにない。

「すみませんでした」

智也は小さく頭をさげると踵を返そうとした。

だが、その時。

「とーやしゃんっーーー」

「っ!」

幸喜の声が聞こえ、智也は反射的に振り返った。

「来ちゃダメ」

女性職員は声を張り上げたが、幸喜は走り寄ってくる。

鉄格子にしがみ付き、片手をこちらへと伸ばすと必死の形相で智也を見つめた。

その顔は、不安げで、今にも泣きそうで、弱々しくて。

智也の庇護欲の全てが掻きたてられるかのようだった。

「とーや、しゃん、どうしていなくなったの?」

幸喜の声が張り上げられる。

その声が、この世の全ての音のようにも思えた。

「コウくんがしゃんの事、一番好きって言ったのが嫌だったの?とーやしゃんもコウくんの事一番大好きって言ってくれたの嘘だったの?」

「コウくん」

智也は動くことが出来ず、幸喜を見つめ続けた。

職員がぞくぞくと集まり幸喜を引き離そうとするが、懇親の力で鉄格子を握っているのか離れない。

「あのね、コウくんもうとーやしゃんに触って、って言わないから、戻って来て欲しいの」

幸喜の頬には、とうとう涙が流れた。

辛そうで、辛そうで、見ていられない。

智也は幸喜の元へ走りより、周囲の職員を省みず、こちらへと伸ばされている幸喜の手を強く握った。

「コウくん、ごめんね」

「とーやしゃん?」

「僕はコウくんを傷つけたのかと思ってね。だったら謝らないと、と思って来たんだよ。」

「きず、つく?」

「コウくんをね、嫌な気持ちにさせたかな、と思ったんだよ」

「コウくん、嫌じゃないよ。コウくん、とーやしゃんが一番好きなの」

「コウくん、やめなさい。コウくんの「好き」と宮元さんの「好き」は違うのよ」

涙声の幸喜の言葉を制したのは、この施設の施設長を勤める初老の女性だった。

問題が起こる前は、智也の事も大変気にかけてくれていた面倒見のいい人だ。

それ故に、住人である「障害者」の保護欲は人並外れているのかもしれない。

施設長の言葉を聞いた智也は、幸喜の手を握り締めていた力を僅かに緩めた。

そうかも知れない。

そうじゃないかも知れない。

智也はずっと、幸喜を好きになってからずっと考え続けていた事を、口にしようとした。

「いい加減にしなさい」

だが智也が口を開くよりも早く、「威厳」としか言いようの無い、低く威圧感のある声が響いた。

この施設のオーナーだ。

御年60を越えてなお、意思の強い眼光が印象的な男で、福祉施設をいくつも運営していた。

その為この施設に顔を出す事もめったに無かったが、今日はどうしたのだろう。

「その子を離してあげなさい」

「でも、所長、、、」

「早くしなしさい」

オーナーには逆らえず、職員の手から離れた幸喜は、出口の格子を開けようとガチャガチャと打ち鳴らした。

側に居た職員がカギを開ける。

幸喜は扉が開くと外へ飛び出し、智也へ抱きついた。

人目など気にしない幸喜の行動が、智也には何より嬉しい。

「知的障害があるからと言って、何も解って居ないとでも思っていたのですか?介護にあたる者として、恥ずかしい」

オーナーの言葉は、正に智也が言いたい事そのものだ。

職員のざわめきが静まる。

所長はそれ以上何も言わず、二人の前に立った。

「君が問題にされていた職員ですか。」

「はい」

幸喜は智也にしがみついたまま、智也はその頭をそっと撫でながらオーナーを見返した。

「職種は何ですか?」

「ヘルパーをしていました。」

「貴方さえよければ戻って来てください」

「え?」

「問題にされていたような性的虐待がなかったのであれば、解雇にする必要はないでしょう。施設内ので性的行為を相応しいとは思いませんが、それは今回の自宅謹慎で十分です。」

オーナーの声は、先ほどとは打って変わった優しいものだった。

「でも、しかし」

「こんな事があり、貴方が働きにくいというなら無理にとは言いません。ですがこの不況の中、新たに職場を探すのは大変だ。それに介護士不足の福祉業界でヘルパーを不正解雇するなど勿体がない。」

そう言うとオーナーはニコリと笑い片手を差し出した。

「貴方が居たほうが、この子も喜ぶでしょう」

その一言がきっかけになり、幸喜の頭に手をやったまま序縛のように固まってした智也はハッとし、自分に抱きつく幸喜を見下ろした。

顔を上げた幸喜が、意味も解っていないだろうに嬉しそうに笑っている。

「そうですね」

小さく頷くと、差し出されたオーナーの手を握り返した。



   
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