人生の門出・編・5



区画の一つに足を踏み入れいくらと行かないうちに幸田は一つの墓の前で歩みを止めた。

「ここです。」

後ろを歩いていた三城を振り返った幸田は、手のひらで小さく墓を指すとどこか嬉しげな笑みを浮かべる。

「立派な墓だ。」

「ありがとうございます。」

特別な所の何も無い極有触れた墓だったが、「幸田家」という文字だけが三城の視線を奪った。

幸田などよくある名前だというのに、これが「幸田恭一」の両親のものであると思うと他の何とも違う特別なものに思える。

社交辞令のようなお決まりのやり取りを交わしながら馴れた手つきで手早く花を生けていた幸田は軽く笑み、流れる様に手を合わした後、桶に入れられた水で墓を清めた。

墓石を洗い、周囲の雑草を抜き、最後にもう一度綺麗な水を掛け流すまで二人の間に会話らしい会話は無い。

空になった桶を脇に退け一息吐くと、幸田が墓標の前にしゃがみそっと両手を合わせ瞼を閉じたので三城もそれに習い隣に腰を落し同じ様に手を合わせ目を閉じると、何かを脳裏に描くよりも早く幸田の静かな声が隣から聞こえてきた。

「父さん、母さん。夢が叶って明日から高校で教鞭をとれる事になりました。それに、恋人・・・っていうか一生を添い遂げたい・・っていうか、その・・添い遂げる約束を交わしてくれた人も出来ました。」

「・・・・」

早々に目を開けた三城は立ち上がり、一歩下がって目を閉じたまま墓に語りかける幸田を見つめた。

明るい口調で何でもないように話し、少しだけ苦笑が混じる。

強い悲しみを負っていた時期はとっくに過ぎ去ったのだろうか、普段と変わらない様子に辛さも寂しさも、少なくとも三城には見受けられなかった。

二十歳になったばかりの頃両親を同時に亡くし、親戚も居なかった為天涯孤独となって早6年。

大学在学中に両親の保護から外れてしまったが、バイトをしながらも夢の為に必死に大学を出たというのに、少子化の影響もあり希望する学校からはことごとく不採用を受けた。

幸田の話を聞く限り辛くてもそうと言える人は居なかったようで、夢への挫折はもちろん女性を愛せない性癖からも逃れられず、一人苦しみ悩んだのだろうか。

過去の出来事は想像するしかなく、いくら気に病んでもどうも出来はしないのだが、ただ言える事は、今は自分が幸田の隣に居る、という事実だ。

生涯幸田と共に歩むと決め、その強い決意が揺らぐはずも無い。

楽しいだけが人生でなく、辛さや悲しみもあるし、互いに喧嘩だってするだろうが、それでもそれを踏まえて誓ったのだ。

自分が幸田の家族になろうと。

けれど。

「幸田の家族」は三城一人しか居らず、子を成せない二人の間に新しい家族が増える予定もない。

『貴方が死んだらどうなるの?』

沙耶子の声が妙に鮮明な響きとなって脳裏に蘇る。

三城が先に死ぬか幸田が先に死ぬか、はたまた幸田の両親のように同時に生を断つか、そんな事は誰にも解らない。

だが沙耶子が危惧するような事態になれば、幸田はまた一人きりになってしまう。

「僕は今、すっごく幸せだから。心配しないでね。」

何だかんだと話していた幸田がようやく話を締めくくると、「はい、おしまい」と立ち上がった。

後ろに立つ三城に笑みを向け、空の桶と柄杓を手にすると何処か寂しげに足元を見つめる。

「来るのに何時間かかったって、来てしまえばコレで終わりなんですよね。他にする事もないし。」

「墓参りなんてそんなものだ。」

「そうですよね。・・・・春海さんが一緒に来てくれて嬉しかったです。」

「俺も来なければと前から思っていたんだ。これからは何度でも来ればいいだろう。」

「ありがとうございます。きっと父さん達も喜んでくれます。僕、いつも一人で来ていたから。」

「そうなのか。」

「えぇ、他に誘う人なんて居ませんでしたし、友達と自分の両親の墓参りに来るのも変でしょ?・・・さぁ、行きましょうか。」

「あぁ、そう、だな。」

片手に桶と柄杓を持った幸田が軽い足取りで来た道を戻る。

すぐに後を追おうとした三城だったが、最後に視界に入った墓標から視線を外せなくなってしまった。

数歩先に居た幸田は三城がついて来ていないと知ると少し離れた場所で立ち止まり、振り返り様子を伺っている。

「・・・・・」

遠くで鳥が鳴き、近くで木々を揺らしバサバサと飛び立った。

それが何かの合図だったかのように、三城は墓標を見つめたまま深々と至極丁寧な仕草で頭を下げた。

もう惑う事など何もない。

意思は固まった。

ここに、恭一の名前を刻む事はないだろう。

「頂いていきます。」

数日間の悶々とした感情が嘘のように無くなっており、さっぱりとどこか吹っ切れた表情で顔を上げると、不思議そうな面持ちでこちらを見ている幸田に微笑を向けた。

「行くか。」

早足に歩き幸田の隣に並ぶとその手から桶や柄杓をそっと奪い、代わりとばかりに片手を差し出した。

「はい。」

三城の指に触れた幸田は、フワリと春風のように微笑む。

何処から誰が見ているとも知れない霊園で握り返された手のひらは、とても温かくて優しかった。



 
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