村崎郁の相談室−04



この日最後のベルが鳴らされたのは、月が一番輝いている頃だった。

「いらっしゃい」

「すみません、初めてなんですけど」

「構へんよ。どうぞ」

薄暗い店内に足を踏み入れ、恭一は恐る恐るスツールに腰掛けた。

たまたま通り掛かったバーに無性に引かれるものがあったのだが、しかし入って感じたのは、僅かばかりの後悔と不安だ。

なにせ店内は他に客が居そうにない。

カウンターの中に男が一人居るばかりで、そのやたらと艶美な彼がこの静かなバーに不釣り合いにも感じられた。

「何にする?カクテル?ビール?洋酒もあるけど」

「えっと、そんなにお酒に強くないんですけど・・・」

「やったら、軽めのカクテルにしとこか」

「はい、それでお願いします」

男が───村崎がカウンターの下で何か作業をしている。

大きな動作ではなく何をしているのかは分からなかったが、暫くして彼は細い指先でカクテルグラスを恭一の前に置いた。

「ありがとうございます・・・綺麗ですね」

「ありがとう」

グラスの中に納められた透き通る青色に、ふと意識を持って行かれるようだ。

思わず魅入ってしまいそうなそこから意図的に視線を外すと、恭一はグラスを持ち上げ唇をつけた。

「それに、美味しい」

「そういうてもらえて嬉しわ。それより、なんや悩みない?」

「悩み、ですか?」

「来る人の悩み聞いてるんよ。僕で良かったら相談に乗るよ」

「へぇ、そうなんですね」

初めて会ったばかりの目の前の男は一種独特の雰囲気だ。

だからだろうか。

誘いを断るという選択肢は、恭一には浮かばなかった。

「悩みっていう程、大げさなものではないんですけど」

「なんでもえぇんよ。揉め事でもなんでも」

「い、いえ。揉め事とかそういうんじゃないんです。ただ、春海さんが・・・」

「ハルミ?」

「同居してる、その・・・恋人です」

告げながら彼を思い出し、グラスを弄んでいた指先を止める。

彼を愛しているのは紛う事なき事実だが、しかしそれとこれとは別だとしか思えない。

美しい青色の液体を眺め、恭一は苦笑を漏らした。

「春海さんが、色々買って来るんですよ。そりゃ最初は戸惑いながらも嬉しかったんですけど。でも、こう頻繁だと・・・」

昨日もそうだった。

10日の海外出張から帰ったかと思うと、日本未発売の新作が出ていたからと靴や財布をプレゼントされた。

靴はまだ良い。

今履いている物も三城からのプレゼントではまだまだ使えるが、それでも毎日履いている消耗品なので、数ヶ月もすれば履き替えるだろう。

だが財布など、今使っている物は三城にプレゼントされた物で、あと数年は十分に使える品だ。

三城にプレゼントされる物は全て価格に見合った高品質だ。

故に長年使用出来る物ばかりだろうに、すぐに新しい物を買いたがる彼の感覚はなかなか理解出来ない。

「それにこの前だって、宅配便が届いたと思ったら海外メーカーのフライパンとかキッチン用品色々だったし。春海さんは絶対使わないのに」

あの時も、出張先でたまたま見た雑誌かテレビかで評判だったと買ってきた物だ。

他にも類似の出来事は頻繁にある。

三城が己を思ってプレゼントをくれるのは嬉しいが、そう思う一方、むやみやたらにというのは何か違う気がしないでもない。

「それから、その前は───」

「なんやのそれ、単なるのろけやん。そんなんは聞きたいんちゃうわ」

「え?の、のろけてるつもりは・・・」

「あんたにそのつもりなくてもな、十分、のろけに聞こえるんや。他ないん他」

「他、ですか?」

今の相談にしても本気で悩んでおり、少なくとも恭一としてはのろけけているつもりは微塵もない。

しかしカウンターの中では、あれほど艶美だと思っていた村崎がさも不機嫌そうに顔を歪めていた。

「なんかあるやろ。嫌な事強要されてるとか、嫌な事言われてるとか」

「えっと・・・」

もちろん、別々で育った二人が同じ屋根の下に暮らしているのだから、全てにおいて己の意志が通るとは考えておらず、多少の我慢は当然だと思っている。

むしろ何もかも思い通りにさせてくれると言われても恐縮をしていただろう。

日々小さな口論もあるにはあるが、悩み、そして人に相談をしたい事柄は特に思い当たらない。

「・・・ない、ですね。そりゃ、ちょっと春海さんの言い方がキツいなぁとか思う事はあるんですけど、元々そういう人ですし」

「なに。むかつけへんの?」

「春海さんの言い分の方が正しい事が多いので。春海さん文系の筈なんですけど、理詰めで話するのは理系の僕より上手いんですよね」

彼の言葉は理想と正論が多い。

しかしいくらそれが正しいと思ったところで皆が皆、正しく考えた通りに生きられる物ではなく彼の意見はハードルが高いのだが、本人はそれをこなせるだけに頭が上がらない。

結果、今の関係性と生活があるのだが、思い返すと不満は然程感じていなかった。

「そういうのも含めて春海さんかなって。僕に言い包められるような春海さんはあんまり見たくないですよ」

「・・・やっぱりのろけやない。そんなんいらん、言うてるやん」

「え・・・すみません」

益々損ねたらしい村崎がカウンターを叩く。

そしてまるで虫にでもそうするように、手の甲で払う仕草をした。

「もうえぇ。帰ってんか」

「あ・・・すみません。えっとおいくら・・・・」

「えぇ。そんなんえぇから帰って」

「はい、あの、すみませんでした」

「えぇ。言うてるやろ!」

まだ二口か三口しか飲んでいないカクテルを残したままスツールから立ち上がる。

まさかバーテンダーに追い払われるとは思っていなかった。

何故このバーに入ったのか、今となっては分からないが、けれど普段意識しない三城という人物像を改めて思い返せた気はした。

そういった点では、全くの無駄な時間ではなかっただろう。

追い立てられるように踵を返すと、恭一は会釈を残してバーを後にしたのだった。





++++++


深夜二時を過ぎ、バーの入り口の照明は落とされた。

もっとも、その明かりが目に入ったのはこの路地を通りかかった極一部で、その全員がバーへ足を踏み入れたようだ。

「なんやパッとせぇへん客ばっかりやったわ。もっとおもろいの来るか思てたけど。せやな、次はもうちょっとちゃう明かりにしてみよか」

狗が欲しいなら狗の好む光を、ネコが欲しいならネコの好む光を。

バーの扉を月明かりだけが照らす。

けれどその扉は太陽が姿を見せる前に、その場から跡形を消していたのだった。

いつの日か、またどこかに現れるまで。



【完】


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