クライン×北原・03

*注意*『』内のセリフは英語です。

C&G日本支社の社屋ビルから程近いシティーホテルである。

クラインのチェックインを済ませた北原は、ボーイに頼らず客室まで彼を案内すると代わりに押していたスーツケースから手を離した。

さすが本社CMOと言うべきか当然のようにスイートだ。

『私はこれで失礼いたします。また明日朝、お迎えにあがります』

ここに来るまでも二人の間に会話らしい会話は殆どなかったが、北原としてはやりやすかった。

ビジネスに関係のない無駄話や興味の無い自慢話をダラダラとしたがる重役は多いが、そんな奴らに相槌を打つのが面倒でならない質だ。

愛想笑いの一つも浮べない男に頭を下げ、北原は踵を返そうとした───が、生憎それは叶わなかった。

『・・・っ?』

北原の二の腕は、クラインによって掴まれていた。

彼の骨ばった指が、ジャケット越しに二の腕に食い込む。

何が起こったのか瞬時に判断出来ぬまま、振り返った先のクラインの表情は相変わらず冷ややかだ。

掴まれている彼の腕とその面持ちを交互に見比べてしまった程で、彼が咄嗟に口よりも手が先に出るタイプには思えないだけに驚きは大きかった。

『君は、この後予定はあるか?』

『・・いえ、特には』

『なら、食事に付き合ってはくれないか?大切な、話もある』

静かで落ち着いた口調である。

それだけに微かに痛みを感じるまでに握られた腕の感覚が不思議でならないが、大切な話という物に引っかかりを感じた。

幸いというべきかこの後の予定もなく、むしろ夕食を食して帰ろうと考えていた所なので北原は二つ返事で頷いた。

『それは、構いませんが・・・』

『そうか、ありがとう・・・すまなかった』

了承の意を伝えると、クラインはハッとしたように北原から腕を離した。

さすがにバツが悪いと思ったのか、顔を背けてしまった彼からは感情を伺う事は出来ない。

『・・・いえ』

ただの沈黙よりも幾分重い空気になりながら、スーツケースだけを客室に放り込み、乗って来たばかりのエレベーターを更に上昇する。

数階分昇った先にあったのは、このホテルで最も高級なレストランだ。

北原もビジネス関係で何度か訪れた事のある場所だったので、いくら周りがカップルばかりだといっても男二人で入る事を恥ずかしいとは思わなかった。

これも仕事。

それだけの話である。

ボーイに案内された席に落ち着くと、何気なくメニューを見る北原に対しクラインはそれをチラリと見ただけで閉じてしまった。

『君は、食べられない物はあるか?なければこちらでオーダーして構わないだろうか?』

『嫌いな物は特には。オーダーはお任せします』

クラインに従いメニューを閉じると、彼の合図に気づいたらしいボーイがすぐにやって来た。

丁寧過ぎるほど丁寧な対応に、彼がどのクラスの客であるか知らされているのかも知れない。

「───コースと、それからワインを───」

初めて聞いた彼の日本語はとても綺麗だった。

淀みの無い声音、そしてイントネーション。

日本人そのものと現すには美声に深みが在り過ぎて、長年日本に住んでいる外国人と現すには言葉が美し過ぎた。

「・・・」

そちらに気が奪われてしまった為、オーダー内容にまで意識が向いたのは一瞬後である。

彼がオーダーしたのはこのホテルのツインルーム一泊分と同等ではないかと思われるコース料理で、もちろん二人分。

ワインには詳しくないが、北原のグラスにも注がれたその深い色合いを見る限り、決して安い物ではないと容易に知れた。

静かなBGMの中、上等のワインが唇を濡らす。

グラスが空に近づけばクライン自らがワインを注いでくれるのでむしろ恐縮しきってしまう。

けれど、やはり会話は生まれず前菜から始まった料理が次々に運ばれて来てもそれは変りはしなかった。

クラインは大切な話があると言っていた。

それは直ぐに終わってしまう部類の物なのか、それともとても深刻な話なのか。

ただ黙々とした食事が続いた。

あまりの重苦しい雰囲気に、高級料理の味も解らない。

メインディッシュも終わり食後のコーヒーが運ばれて来る頃───ようやくクラインは口を開いた。

『まだオフレコではあるのが、ハルミが帰国するのを待って私は日本支社の支社長に襲名する』

『・・・』

手にしていたカップがビクリと震えた。

現在空席である日本支社のトップにクラインが立つ。

本社のCMOから一支社長というのは昇格なのかその逆であるのか解らず、「おめでとうございます」と伝える事は出来なかった。

チラリと視線をやったクラインは、尚も感情を見せない表情のままである。

『ハルミが副支社長につく。現職の部長職もそのままだ』

『部長が、ですか』

彼の実力は、一番近くで見ていた自分がよく知っている。

何故「まだオフレコ」な話を自分に教えてくれたのかと思ったが、三城が絡んでいたのか。

『彼の昇格はそんなに嬉しいか?』

『え?』

『はじめて笑った』

指摘されるまで気がつかなかったが、言われてみると確かに頬が緩んでいるような気がしないでもない。

「・・・・」

嬉しいかと問われれば素直に「嬉しい」と答えるだろう。

尊敬してやまない三城の昇格は、己の事のように嬉しいのだと身に染み渡ってゆく。

『・・・・君は何故、私が日本支社の支社長に就いたか解るか?』

三城の昇格だと心震わせていた北原は、クラインの涼やかな声にハッと我に返った。

『それは、前・幹部クラスの出した負債の返上の為でしょうか?』

『いや。それだけならばハルミがトップに立っても同じ事だろう。だが私はそれを阻止し、自ら名乗りを上げた』

クラインの瞳が、射抜くように北原に突き刺さる。

三城がトップに立てば、というならばビジネス関係の理由ではないと想像はつく。

それ以外に何が───

『───君が、居るからだ』

『え・・・?』

『ナオヤ、君が好きだ。君に会いたくて日本支社長になった』

何を言われているのか、直ぐには理解が出来なかった。

思わず取り落としてしまいそうなカップをきちんとソサーに戻し、そろそろと見やったクラインの表情からはやはり感情は伝わって来なかった。

『・・・ご、ご冗談を』

『ジョークなど言うタイプではない。君は、以前パーティーで会ったというのを覚えているか?その時に、とても綺麗な人だと思った』

『・・・』

まさか。

自分が「綺麗」などという形容詞であるはずがなく、その言葉は三城のパートナーである幸田にこそ当てはまるだろう。

北原が反応を返せずにいると、クラインは視線を落しテーブルの上で緩やかに組む両手を見つめた。

彼の前に置かれたコーヒーは、運ばれたままの姿でそこに置かれている。

『今すぐ返答が欲しい訳ではない。今日はただ、私の想いを伝えたかっただけだ』

冷ややかだとさえ感じていたクラインの表情は、どこか寂しげにも見えた。

今すぐに返答を求めないという事は、いずれ何らかの形へ回答をしなければならないという事だ。

彼の気持ちに応えられると、今の段階では言えはしない。

北原には片思いながらに想い人が居るし、第一クラインの事は何一つ知らないのだ。

金や名誉や地位だけで恋人を、しかも同性のそれを得たいと想うほど浅はかで下賎な思考は持ち合わせていなかった。

「イエス」と答えられないだろう質問を先延ばしにしても、相手を針の筵に追い詰めるばかりではないだろうか。

それならばいっそ今の内に、と開きかけた唇はクライン自らによって遮られてしまった。

「職権乱用だと君は怒るかもしれないが、ハルミが戻るまでの数日間だ。私と過ごしてほしい」

それは、クラインから初めて聞くほど熱い感情の込められた強い言葉であった。

その上日本語で告げられたというのが駄目押しだとばかりに、北原は反射的に頷いていたのである。

三城が戻るまで数日。

何も変らない。

何も変るはずなどありはしないのだと心の中で呟きながらも、三城が今誰と何処に行っているのかと考えれば、目の前の男を直視出来なくなってしまったのだった。




 
*目次*