クライン×北原・04


都内に構えるワンルームマンションの室内は、北原の性格を現しているかのように隅々まで綺麗に整えられている。

自分の生活に必要な物だけを最低限置いてあり、見た目にも機能的にも几帳面さが伺えた。

一人寝には少々大きく感じられるベッドも、睡眠は一日のリセットとして妥協してはならないという彼の拘りである。

そんなベッドの中、残念ながら本日ばかりは熟睡を感じられないまま、北原は翌日の朝を迎えた。

目覚まし時計のアラームが鳴るよりも僅かに早く目を覚ましてしまったというのも、すっきり感を遠ざけてしまった一因だろうか。

アルコールを多量に摂取した訳でも、胃に残るような物を食べた訳でもないが、それが何処から来る感覚であるかは解りきっている。

単なる寝不足だ。

昨日は自宅に帰ってからもクラインから告げられた言葉を悶々と考え込んでしまい、それを断ち切るため眠ろうとベッドへ入って尚思考は途切れなかった。

「・・・」

低血圧で重い身体をようやく起こし、北原はベッドから抜け出す。

毎日の習慣であるようにシャワールームに向かい、全裸になると常温に近い温度設定の水を頭から被った。

身体のだるい感覚は徐々に薄らいでゆき、ぼんやりとしていた頭も覚醒すると、思い浮かぶのはやはりクラインの事である。

本来は答えの出ない物事に頭を捻るような無駄な時間を過ごすタイプではない。

だというのに、彼からの告白はそんな北原を容易に変えてしまえるだけの力を持っていたようだ。

クラインは、どういうつもりであんな事を言ったのか。

からかっているのか、企みでもあるのか、本気なのか。

どれもありそうで、けれどどれも無さそうでもあった。

シャワーのコックを閉めるとパウダールームで身体を拭き、既に用意をしておいた衣類に着替える。

スラックスとシャツだけを身に着けると、馴れた手つきで朝食の準備に取り掛かった。

メニューは大体毎日同じで、多めのサラダとトースト、それから卵料理を一品とフレッシュジュース。

一日は朝食で決まる、というのも北原の持論の一つだ。

出来上がった朝食をダイニング代わりのコーヒーテーブルに並べる。

一人暮らしにはこれで十分だ。

ちゃぶ台やローテーブルの方がもしもの来客時に融通が利くのかも知れないが、「もしもの来客」などここ数年一度も有りはしない。

だからこそのワンルームとも言えた。

朝食を終えれば、食後のコーヒーを片手にノートパソコンで最新のニュースを確認する。

愛機は持ち運びタイプの小型の物ではなく、収納に便利だというだけで家庭用のデスクトップと大差の無いモニターの大きさと内部スペックを併せ持つ物だ。

「・・・・」

特別気になる変化も見受けられず、流すように記事を追う。

それも直ぐに終えてしまうと、メールチェックだけをしてパソコンをシャットダウンさせた。

そろそろ出社しなくてはならない。

クラインを迎えに行く前に、三城が居ない間に従来こなそうと考えていた仕事も少しは片付けたかった。

大した仕事ではないが、一日それだけをこなせられればどれ程良かった事か。

昨日は「本社のCMOの接待」が嫌で仕方がなかったが、今はただクラインとどのような顔をして会えば良いのかが解らない。

「昨日のアレはやっぱりジョークだった、と言って頂ければ・・・」

口にした独り言に、北原自身がハッとしてしまった。

彼はあぁ言ったものの、今日になればクラインは本当にそうと───冗談だったと言うかも知れない。

なぜなら目の前の鏡に映る己は昔から評価されている通りに無愛想で、この顔の何処を見て彼が「綺麗」と称したのか理解が出来なかったからだ。

一度目に会ったパーティー会場ではきっと煌びやかな照明がマジックを起こし、彼の目には絶世の美女にでも映ったのかもしれないが、昨日は素のままの自分を見ている。

きっとこんな自分の為にCMOの地位を捨てた事を深く後悔しているだろう。

そして予定通りに「好きだ」と伝えてしまった事に、もっと多くの自己嫌悪を感じているのではないか。

そう考えると、全てがしっくりと胸に収まった。

今ならレストランへ行く前と同じように戻れるかもしれない。

スッと落ち着いた気分になり、北原はようやく動き出す事が出来た。

これは何も自分が嫌いだとか貶めている為の考えではない。

ただ、半日の間あれやこれやと考えあぐねた結果、どう考えても昨日のクラインの言葉に賛同出来なかった故に出てきた答えだ。

ネクタイを締め、ジャケットを羽織る。

中身が殆ど入っておらずあまり意味の無いビジネスバックを片手に靴を履けば、普段よりも時間が押してしまっていた。

「・・・タクシーにするか」

ここから社屋へはそれほど離れていないし、通勤ラッシュならばともかく家族連れが多いと予想される電車には乗る気になれず、大通りへと足を向ける。

歩きながら腕時計を見ると、中途半端な時間になってしまっていた。

この分なら、今日は片付けたかった仕事をするのを諦めて直接ホテルに向かった方が良いだろう。

幸いホテルへもここからは差ほど距離はない。

クラインにペースを乱されている、などと八つ当たりな感情が一瞬芽生えそんな自分を叱責した。

大通りに到着しても、空車のタクシーは中々通らなかった。

「・・・」

所詮世間は大型連休の真っ只中。

スーツ姿の自分がやけに浮いている風にすら思えてしまう。

来ないタクシーを待っていると、ふと見た先に磨き上げられたウインドーがあり、不意にそこに映った自分と目が合ってしまった。

どこからどう見てもただのサラリーマンでしかない。

三城やクラインのような風格も当然のように感じられない。

「こんなものの良いはずが無い」

北原としては、己の顔の美醜になど拘った事はない。

女性にとっては美しいか否かは一大事であるかもしれないが、自分は男であるのだからそんなものよりも知識や技術を磨きたいと考えている。

その為に愛想の悪い表情はどうにかしなければと思うものの、いくら笑ったとしても「綺麗」とは別物であろう。

綺麗というならば、幸田やクライン本人の方が余程当てはまる。

クラインに会えば一番に伝えようと思う。

昨日の話は全て無かった事にしてください、と。

きっと彼もすぐに同意をしてくれるに違いない。

どこか確信めいたものを感じながら、北原はようやく止まったタクシーにいけ高なまでに堂々とした仕草で乗り込んだのだった。




  
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