クライン×北原・05

*注意*『』内のセリフは英語です。

日常的に利用しているそのホテルは、やはり連休とあってか普段に見せない賑わいであった。

都心にあるシティーホテルのロビーなど、通常ならばビジネスマンと旅行客が通り過ぎる程度だというのに、今日は旅行客の中でも家族連れがどこそこに立ち止まり溜まるという状況だ。

大型連休が客の掻き入れ時だというのは解るが、観光地の旅館やファミリー向けホテルさながらの状態にため息が出てしまう。

仕事中だというのに意欲が削がれてしまうというか、張り詰めていた気が一気に吸い取られてしまったようだ。

この調子では、やはり電車に乗らずで正解という事か。

雑多とするロビーを見渡し、北原はフロントへと足を向けた。

予定よりも早くに到着をしてしまった為、いきなりクラインの部屋へ押しかけるのは迷惑だろう。

本来ならばメールや電話の一本でも入れるべきなのだが、生憎北原はクラインへの連絡手段を持っていなかった。

クラインのアドレスを、携帯どころかパソコンの物まで何一つ知らないと思い当たったのは、自宅に着いてからである。

慌てて、三城に伺いを立てようかとも考えたが、いくらビジネスとはいえ個人的なアドレスを他人に聞くのはどうかと思い、幸いホテルに宿泊中の彼はフロントで内線を繋いでもらう事が可能だろうと落ち着いたのだ。

つまり端からフロント頼みの予定だったというのに、そこには予想を遥かに超える人だかりが出来ていた。

その中の何人が本当に用があり何人が付き添いなのかも解らない。

行楽地で見られる整頓が出来ていないグネグネとした列を目の前に、北原は壮大なため息を飲み込んだ。

ここはホテルであり遊戯施設ではない。

チェックアウトの時間帯に重なってしまったのが不幸か、この分では列の先頭にたどり着く前に約束の時間が来てしまう。

列に並ぶべきかと躊躇していると、背後から大きな声が掛けられた。

『ナオヤ!』

それは、ただ大きなだけではなく雑音に交じらない美しく澄んだ声音だ。

反射的に振り返った視線の先には、人波を縫うように駆け寄るクラインの姿があった。

『ナオヤ、おはよう』

微かに上がる息を落ち着かせ、クラインは感情の読み取りにくい表情で北原の前に立った。

白人特有の鼻筋の通ったはっきりとした面持ちに、透き通る宝石のような碧眼、そして輝くばかりの金髪。

180cm半ばだろう長身に引き締まった体躯。

昨日とは違う、けれど見る者が見ればかなりの上質であると一目で解るスーツと、派手ではないが決して地味でもないシャツそしてネクタイに身を包んだクラインはやはり目を惹く事この上ない。

『おはようございます。こちらにいらしたのですか?』

『あぁ、ラウンジで朝食を摂っていたのだがナオヤの姿が見えたので追いかけて来た』

さも何でもないとばかりにサラリと言ってのけるクラインに、北原は言葉が詰まる。

いくら連絡手段が無かったとしても、閉鎖的なホテルにおいて自ら走って追いかけてくる上司・しかも重役なんて北原は知らない。

たとえ三城であったとしても、彼ならば迷わずホテルスタッフを使うだろう。

『・・・お食事中に申し訳ありません。私が連絡先をお伝えしなかったばかりに』

『気にする事は無い。食事は既に終わっていたし、連絡先を教えていなかった事については私にも非はある』

言いながらスマートな仕草で名刺を取り出し、クラインはそれを北原に渡した。

外資系企業という事もあり北原の名刺も日本に有り触れるそれに比べてはそっけない物ではあるが、クラインの名刺はそれ以上である。

役職や社名も日本の物のようにダラダラと書かれていないというのが一因だろう。

クラインに見習い北原も名刺を渡すと、彼はまじまじとそれを見つめた。

大した役職が書かれている訳ではないのであまり見ないで欲しい。

北原の内情など知らず、たっぷりと名刺に視線を落としていたクラインは顔を上げるとそれを胸ポケットに滑り込ませた。

『では行くか。今日はまず日本支社の現状を把握したい』

『はい。CMOの来日を受け、各部署に報告書を製作し正午までには揃えるよう指示しておきました』

歩き出すクラインの隣に並ぶ。

身長は三城よりも幾分高く腰の位置もそれに比例しているだろうに、クラインの歩調は彼に比べて北原がついて行きやすい速度だった。

ロータリーに到着すると数名が並んではいたが、それよりも多くのタクシーが待っていたので順通り迅速に乗り込む事が出来た。

極近い距離ではあったがC&G日本支社の社名を告げ、クラインと並んで座る。

一応の伺いを立てたのだが、対話をする為助手席ではなく後部座席に、と言ったのはクラインだ。

『君は仕事が的確で早いな。ハルミが手放したがらない訳だ』

『部長が、ですか?』

『あぁ、ハルミの代わりに本社に誰が召還されても構わないが、ナオヤだけはダメだと言ったらしい。せっかくの出世のチャンスを潰されて怒るか?』

『いえ、そんな事は・・・』

むしろ、とても嬉しかった。

三城が、敬愛する彼がそんな風に評価してくれていたなんて。

自然と鼓動がドクンと大きく鳴る。

『・・・やはり君は。ハルミが絡んだ時だけ嬉しそうな顔を見せるのだな』

『え?』

喧騒にかき消され、彼の独り言のような呟きは聞き取れなかった。

けれど、どこか空気が変ったような気はする。

『何でもない。それよりも報告書の件だが』

『あ、はい。それは───』

『・・・なるほど。わかった』

数ラリーの会話に区切りがつくと、静やかなクラインの瞼が伏せられた。

長い睫が頬に影を作る。

窓に頭を軽く預ける彼は、やはり芸術品のように美しかった。

「・・・あ」

不意のクラインとの合流にすっかり忘れてしまっていたが、彼には大切な話しがあったのだと思い出した。

窓の外には高層の社屋ビルが見えている。

早くしないと到着してしまい、そうすれば話す時間が取れなくなってしまう。

そうと思ったのと同時に、そういえばあのビルもいずれは彼の所有物になるのだと思い当たれば、やはり次元の違う世界に昨日の話は間違いだったという思いが色濃くなる。

『CMOお伺いしたい事が』

『なんだ、改まって』

そっと瞼を持ち上げると、クラインは真っ直ぐに北原に視線を向けた。

『はい、仕事中に申し訳ありませんが、本格的な業務前にこれだけはお許しください』

『・・・と、いう事はビジネス以外の話しという訳か。昨日の事か?』

察しの良い事だ。

北原は一言を話すと一気に言葉が唇を吐いた。

『・・はい。あれは、何かの間違いではないのでしょうか?一晩考えたのですがやはり信じられません。私はCMOが言うような・・・・っ』

今回は、はっきりと解った。

彼の空気が変った、と。

明らかにクラインの纏うオーラが冷たく、そして鋭い物へと変化していた。

無表情だとばかり思っていた彼の面持ちも、合流した時とはまるで違うもので、あぁこれが彼の「表情」かと納得する。

彼は今、間違いなく機嫌を損ねているのだと肌で理解が出来た。

『君は、私が軽々しい気持ちでCMOの地位を置いてきたのだと言いたいのか?』

『そうではありません。ですが・・・』

『私は、昨日も言ったように以前のパーティー会場で君に一目惚れをした。そして昨日会話を交わし、やはり想像していた、いやそれ以上に理想通りの人物であると確信したんだ。外見も、同じくだ。それを、何故君に否定されなければならない?』

『否定とは・・・』

『「間違い」だと言ったではないか。それは私の判断を否定しているのと同じではないのか?』

言われて初めて気がついた自分の愚かしさに、いっそ恐ろしい物を感じてしまう。

そうだ、自分はクラインの意見を全面的に否定していたのだ。

これが自分の関わる事であった為に意識が薄れてしまっていたが、そうでなければ上の者に盾突くなどサラリーマンにとって好ましくないと直ぐに理解出来そうなものなのに。

「・・・」

加えて、こうまでも自分の予想をバッサリと切られ、その結果相手を不愉快にさせたなど滅多にある事ではない。

その事実にも動揺を隠せなかった。

『・・・申し訳、ありません』

『理解してくれればそれでいい。もう一度言おう。私はオナヤが好きだ。そしてそれは当分変りはしないだろう。覚えておくといい』

それ程までに意思は固いのか。

彼が捨ててきた物を思えば、その本当の「重み」をようやく実感した気がした。

『・・』

北原が返事を返すよりも早く、タクシーは見慣れた社屋のロータリーへと滑り込んだのだった。




 
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