クライン×北原・06

*注意*『』内のセリフは英語です。

クラインへの日本支社の現状報告はつつがなく終わった。

一支社とはいえ日本支社の規模は日本の大企業と同等程度あるので、報告書の確認にしてもその全ての見るのは並大抵の事ではないだろう。

その結果、幹部の横領以外は各部署に目立った問題も無いようである。

中でも、さすが若手の花形と言われるだけあり、三城の納める海外食品営業部の報告書を見ている時のクラインの表情は関心しきったものであった。

「お疲れ様です、CMO」

重役用の事務室が並ぶ階の給湯室にのみ置かれているサイフォン式のコーヒーメーカーで要れたブラックコーヒーを、北原は音を立てずクラインの前に置く。

コーヒーの高い香りが辺りに満ちた。

ここは支社長室である。

クラインが日本支社のトップに立つとはまだ北原以外知らないのだが、空室のここを彼が使用する事に誰も疑問を持たなかったようだ。

三城の事務室よりも倍はあろうかという広さのこの部屋は、既に彼の使いやすいように整えられている。

「ありがとう」

クラインの白い指が、カップに掛けられる。

上客用の落ち着いた花柄のそれは、とても彼に見合っていた。

「・・・」

休憩時間はここぞとばかりにクラインから離れたが、それ以外は一日彼と一緒に居た。

そして側で彼の仕事振りを見て感じたのは、三城に勝るとも劣らない「社長の息子」ではなく「CMO」の名が似合うビジネスの実力だ。

日本語も完璧、洞察力や判断力も迅速で的確であり、部下への対応も決して奢った態度を取らない丁寧なものだった。

「これはナオヤが淹れてくれたのか?とても美味しい」

「ありがとうございます」

一日を共にして気が付いたのは、彼の仕事振りだけではない。

無表情で冷ややかだとばかり感じていたクラインの面持ちは、決してそうではなく彼は表情が薄いだけのようなのだ。

良く見れば、常人のように大きな動きはないものの、瞳や眉、唇の端に微かな変化を感じ取る事が出来た。

その全てを正しく解釈出来ているのかは疑問であるが、今コーヒーカップを手にする彼の機嫌はきっと良いのだろうと推測する。

「今日はこれで終わろうと思う」

「解りました。明日のスケジュールについてですが───」

「あぁ、そうだ。それで構わない、進めてくれ」

「はい、そのように」

了解の意を伝えるかのように北原は腰を折った。

明日は大きな動きを見せず、今日解った小さな問題を解決していくのだという。

北原からしてみれば、そんな事はただの時間潰しのように思える。

本社からの視察という扱いでしかないクラインの立場は微妙だ。

彼の権限としては幹部が一切いない日本支社の中で断トツ強いものなのだろうが、「本社の人間」であるクラインが今何か大きな決断をくだしてしまえば社内に混乱が起こりかねない。

特に部長不在の海外営業部では、三城の秘書として認識されている北原がクラインの側に付いているというだけで様々な憶測が飛び交っている程である。

ただでさえ上層部の不正に揺れる日本支社で、これ以上騒ぎを立てさせたくはないはずだ。

その為「時間潰し」をするしかないのかも知れないが、ならばこそ一刻も早く支社長に襲名してしまえば良いだろうに、クラインの考えはそうではないらしい。

頭脳の構造の差か、お国柄の差か、北原には理解の出来ない行動である。

『ナオヤ、もし不都合がなければで構わないのだが、今夜も食事に付き合ってはもらえないだろうか』

「・・・え」

コトンと小さな音が広い事務室に響きカップがソサーに戻されると、クラインは蒼い瞳で北原を見上げた。

真っ直ぐな視線が、まるで射抜くように北原へ突き刺さる。

この後の予定は無い。

もしも「不都合」があるのだとすれば、それは昨日の一件のみだろう。

『大した意味は無い。ただ、一緒に食事が出来ればと考えただけで・・・』

返答を返せないでいる北原に、クラインは睫を僅かに伏せた。

突き刺さっていた視線から開放されたが、そこに安らぎは一切感じられない。

大きな変化が無いながらに、伏せられた瞼に彼が悲しんでいると見て取れてしまえば、嘘を吐こうかと考えてしまっていた自分自身に苦くなる。

彼は、どんな思いで自分を誘ったのだろう。

『いえ、不都合はありません。CMOにお誘い頂き恐縮してしまっただけで・・・』

『ナオヤは優しいな。ありがとう。だが、一つ。プライベートな時間にCMOは止めてくれないか?レイズ、と呼んでくれれば嬉しい』

デスクに手を付き立ち上がったクラインは、北原の目の前に立つと首を捻るような仕草で見下ろした。

こうしてみると、彼が大きいと圧倒されてしまう。

白人であることや、金の髪、そして見つめられる瞳の蒼さがその想いを増幅させているのかもしれない。

身長的には見慣れた三城と大差はないとはいえ、彼とはここまで近い距離になる事などなかった。

『え?・・・・はい、レイズさん、でよろしいでしょうか?』

『敬称も不要だと言えば困るか?私は勝手にナオヤと呼んでいるのだから、ナオヤも・・・』

「・・・・」

困る。

正直、とても困る。

いきなりCMOを呼び捨てに出来ない。

彼は自分となど比べ物にならない程上層部の人間であり、いずれは日本支社どころかC&G全体・巨大すぎるピラミッドの頂点に立つ人物なのだ。

社会的な思いが北原の脳裏を飛び交ったが、だが見上げた彼を見るとその考えも薄れていった。

───そこに居るのは「本社のCMO」ではない。

ただ、自分を「好きだ」と言った、実質会ってまだ二日のアメリカ人でしかないのではないか。

クラインの唇が僅かに震える。

それはまるで苦笑をしているように北原には見えた。

『・・わかりました。では、プライベートな時間はレイズと、呼ばせて頂きます』

『ありがとう。やはりナオヤは優しい。・・・私はその優しさにつけ込んでしまいそうだ』

クラインの手が、北原の髪をそっと掠めて直ぐに離れていった。

彼は不思議だ。

優しい、など北原は今までに言われた記憶はない。

自分にそんな言葉をかけるなんて、それはむしろ彼にこそ相応しい言葉なのだと思う。

けれど、繰り返し伝えられた馴れない言葉に無性に照れてしまい、クラインにそれを伝える事は叶わないのであった。




  
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