クライン×北原・07


クラインが来日して数日。

日中はビジネスにおいてクラインをサポートするのは当然の事ながら、終業後彼と夕食を共にするというのも北原の日常となっている。

夕方になるとクラインは毎日決まって北原をディナーへ誘うのだが、それが日課となっていても彼は少しも怠慢な態度は見せなかった。

いつでも丁寧で紳士的、少し緊張したような面持ちで告げられる言葉からはストレートな優しさが伝わってくるものだ。

そのうえ、まるで上流階級の女性をエスコートするかのような細やかな気遣いを施されれば、慣れない環境に戸惑いながらもとても居心地が良い。

己に男としての自尊心を問いかけながらも安堵感や満足感に満たされ、そうと自覚する一方で、けれどこの感情の名前をまだ見つけ出せずにいる。

自分は一体クラインをどのように感じているのか、彼が己へ向けてくれる感情と同一であるのか、答えは出ないままだ。

考えれば考えるほど答えの出ない闇に落ちて行きそうで、同時に一人の別の男の顔が脳裏を過ぎる。

とても憧れていて、これでもかと惹かれていたはずだというのに、今となってはその有能過ぎる男に感じていた感情すら、どのような部類に当てはまるものであるのか言い表せなかった。

後数日でその男も帰国する。

そして北原は今まで通りその彼のサポート役に戻るのだろう。

クラインの隣には一体誰が立つのだろうと考えたが、皆目検討もつかない為すぐに思考は中断させた。

「・・・・ハァ」

近頃浅いため息が頻繁に出るようになってしまった。

こんな姿など誰にも見られたくはない。

完成ランプが点灯したしたばかりのコーヒーメーカーからサーバーを取り出し、クライン専用と化している来客用のカップにそれを注いだ。

コーヒー特有の高い香りが辺りに満ちる。

クラインのコーヒーの好みはアメリカンで、通常はブラック。

給湯室の壁掛け時計に視線をチラリと向け、北原は棚からシュガースティックを一本取り出すとそれをソサーに添えた。

彼は疲れている時にだけ砂糖を少し入れる。

頼まれた訳ではないが、今彼は必ず砂糖を要望するだろう。

時間帯もあるが、先ほどのクラインからそれが推測出来る。

一日の大半を共に過ごしていると彼の癖や好みが知れるというもので、一つを知れば他にも理解したいと考えてしまうのは秘書業の性か。

北原は簡単にコーヒーメーカーを片すと、盆にカップとソサーを乗せクラインの居る支社長室へ足を向けた。

誰にすれ違う事もなく短い距離を移動し、小さな音を申し訳程度立て室内へ滑り込んだ。

広い事務室では、出てきた時と何も変らずクラインが真面目な表情でパソコンに向っていた。

その冷ややかな視線はとても厳しい人物なのだろうという印象を与えるというのに、北原に気が付いたのかふと顔を上げた彼の瞳は柔らかく細められている。

「コーヒーを淹れてくれたのか。ナオヤ、ありがとう」

クラインは手早くデータを保存すると、傍らに広げられていた書類を退けカップを置くスペースを作った。

「いえ」

愛想なく返しソサーそしてカップを空けられたスペースに置く。

機嫌が悪い訳でもましてやクラインに不の感情を抱いている訳ではないが、北原の無愛想さはデフォルトである。

営業業であるにも関わらず愛想笑いの一つも浮べられない北原に、クラインは一度として嫌な顔を向けなかった。

今までマウスが握られていた手がカップに触れ、そしてシュガースティックを持ち上げる。

「さすがナオヤだ」

どこか嬉しげな声音で呟いたクラインは北原の予想通りそれをサッとコーヒーに混ぜ、長い指がカップを持ち上げると薄い唇に添えられる。

流れるような動き全てがどれも様になっているな、と考え北原は己がクラインを目で追ってしまっていた事に気が付いた。

ハッとして視線を反らせても、気が付けばやはりまた彼に視線が引き寄せられているのだ。

そんな自分に何故かとても罪悪感を感じてしまう。

盆を戻してこよう、という言い訳を内心呟き、北原は逃げるように事務室を後にしようとしたがその背中にクラインの声が降り注いだ。

『ナオヤ、今夜も食事に誘っても良いだろうか』

なんてことのない、毎日の誘いだ。

昨日もその前も、そしてたぶん明日もあるだろう、単なるディナー。

だというのに、こうも胸が締め付けられる想いがするのは何故だろうか。

『・・・はい、もちろんです』

いっそ事務的に。

ニコリとも笑えない北原は、表情を隠すかのように一礼すると盆を握り締めそそくさと事務室を後にしたのだった。



*************

昨日の食事も旨かった。

昨晩のディナーは日本料理で、ビジネスでも滅多に利用する機会のない高級料亭の懐石料理だ。

クラインは箸使いも完璧で、指先がとても綺麗だった。

小出しにされる料理を食べながらもやはり二人の間に会話は少なかったが、不思議なもので今となってはそれを重い沈黙とは感じない。

彼と居るあの雰囲気を北原は気に入っていた。

こんな生活がいつまで続くのだろうか。

三城が帰国しクラインのサポートから離れるまでか、単に彼が北原に飽きるまでか、それとも───。

考えた所で答えなど見えてくるはずがない。

はっきりとしたビジョンを現せない思考など忘れてしまおうと、毎日代わり映えのしない朝食を口にしながら珍しくTVのスイットを入れた。

「・・・」

たまたま映ったニュースを見ていたがそうこうしているうちに食事も終え、TV番組は興味の無い芸能ニュースや流行のファッション情報を伝えている。

北原にとって、人気のスイーツやらアイドルの新曲など、人生の役に立たないどうでも良い事でしかない。

出発時間も近づき、第一興味の無いものを見続けるタイプではない為リモコンをモニターに向けたが、その時朝の情報番組は定番の占いへとコーナーが移った。

『「こんにちわ〜。さぁ、今日もカウントダウン星占い、いってみよ〜」』

妙に高いテンションの番組キャラクターが踊りながらコーナーの進行を始める。

ウサギをモチーフとしたそのキャラクターが百面相のように表情を変える様から何故だか目を離せなかった。

占いなんてバカらしい。

それもこんなTV番組のコーナーのものになど、信憑性を感じられる筈がない。

そうは思えど、リモコンの電源ボタンに掛けられた指に力を加える事が出来なかった。

『「今日の8位はおとめ座!」』

「・・・っ」

興味がない。

興味などあるはずがないというのに、自分の星座が画面に表示されると、自分でも驚いた事に肩に力が入ってしまう。

今どのような表情をしているのか、出来るならば知りたくは無い。

うさぎのキャラクターが、画面に映し出された文字を独特のアニメ声で読み上げた。

『「おとめ座の貴方は、嫉妬しちゃう日!自分に素直にならないと素敵な出会いにも気づけないかも!?ラッキーアイテムは「忘れていた贈り物」、だよ!続いて、今日の7位はー』

───ツッ

ウサギが次の動作に移ったと同時に、北原は電源を切った。

液晶TVのモニターが暗黒に包まれる。

「・・・バカらしい」

有り触れた、誰にでも当てはまる内容だ。

人間関係など友情間でも上下関係の中でも嫉妬が起こりうるものであるし、この時期新しい出会いなど誰にでも溢れている。

自分だけでは、ない。

そうは思えど頭の中では彼の───クラインの面影がちらついて離れてくれなかった。

彼の指先の動きが。

微かな動きでも理解できるようになった彼の表情の変化が。

思い起こすだけで鼓動が一つ大きく鳴った。

「・・・だから、なんだっていうんだ」

自分は彼をどう思っているのだろう。

けれど今はそれどころではない。

今日も細々とした懸案が山済みなのだ。

何かを振り払うように唇を結び、北原はビジネスバックを手にすると自宅を飛び出したのだった。




 
*目次*