クライン×北原・10


*注意*『』内のセリフは英語です。

夢を、見ているのだろうか。

唇を結び己に視線を向ける北原を見つめ返しながら、クラインは指先一つ動かせずにいた。

まさか北原から食事の誘いがあるなんて。

つい数分前まで考えもしなかった出来事に、ビジネスにおいて有能だと謳われるクラインも順応出来ずにいる。

いくらC&Gの内外で功績を残していようとも、北原の前では唯の恋に不器用な男でしかないのだろう。

喉を詰まらせるばかりのクラインに、北原は視線を反らすと口ごもりながら胸元から取り出した物を見せた。

白地の封筒に描かれているロゴマークには見覚えがあり、鼓動が小さく脈打つ。

『ご予定がありましたら結構なのですが・・。三城部長のお兄様のお店の食事券を以前頂いていたのを思い出しまして、良ければ・・・』

『あ、あぁ。以前話していたあの?』

『はい。覚えて下さっていましたか』

北原は、どこか安堵したよう息を吐いた。

その時の話を忘れている筈などない。

クラインと北原の共通の話題は多くはなく、趣味も趣向も違う事が多いし、第一互いに互いをあまり知らないというのもある。

その為、少ない会話の話題に上るのはビジネスの話しかその関係者、特に三城の身辺についてだ。

本人の居ないところで噂話をするのも良い事ではないのだが、会話を繋ぐ為に自然と口についてしまう。

そんな話の一つで、三城の兄は有名なレストランを数件経営する敏腕社長であると北原から聞いていた。

あの三城の兄にして社長。

それも高級店を多く抱える人物とあり、クラインはとても興味を惹かれた。

きっと只者ではないのだろうとは予想に硬くなく、一度レストランにも行ってみたいと───それならば北原を独占出来る最終日の今日行ってみようと考えていたのである。

北原の手の中にある封筒を目にした時から「もしや」とは思っていた。

今日はまだ彼を食事には誘っていない。

だからこそ北原からの誘いがあったのだが、つまりクラインがどの店に行こうか考えているなど知らないというのに、北原もまた同じ系列店を思い描いていたという事になる。

こんな偶然は、頻繁に起こりえる事だろうか。

いや、否、だ。

これは特別な何かに違いないという想いが、止められない波となってクラインを襲った。

『レイズが興味を持っていたようでしたので。でも、その・・ご都合が悪ければ・・・』

『いや!問題はない。是非、行ってみたいと思っていたんだ』

都合が悪い筈などある訳がない。

無意識なのか作為的なのか、視線を伏せる北原に早口で伝え僅かに身を乗り出した。

『・・・あ、ありがとうございます。では、その、終業後に・・』

歯切れ悪く呟く姿が初々しい。

見た目は学生のように若いというのに、北原は気を張っている場面が多いからか実際の年齢よりも上に感じられる時が多々ある。

そんな彼の今の仕草は、クラインにとっては可愛らしい以外の何物でもなかった。

手にしていた封筒を胸に戻しながらの北原の言葉を最後まで聞くことが叶わなかったのは、事務室の扉がノックされる音が響いたからだ。

いつの間にか時計の長針は真上を随分と過ぎてしまっている。

「・・・どうぞ」

クラインが声を張り上げる事で、その場の空気はガラリと変わった。

プライベートからビジネスへ。

公私混同を良しとしないのはクラインも北原も同じくで、定時を迎えるまでいつもとなんら変らない時間を過ごした───とは残念ながら行かなかった。

いつもならば、前日にデートをしようが終業近くに食事に誘おうが、それまでは一切プライベートの会話は交わされないのであるが、この日ばかりはどうだ。

余計な話はしていないものの、どう考えても互いがどこかぎこちない。

ぎくしゃくしていると言えば少し違い、目が合えば直ぐに反らす、会話をすればそれがどんな内容であれ言葉切れが悪い、そんな感じだ。

原因がどこにあるのかなど考える余地もなく、これを「公私混同」と言わずしてなんと言えよう、といった気持ちではあるのだ改善はされなかった。

書類一つ、コーヒー一つ受け取るにも妙な緊張を要いながらの午後はとても長く感じたが、何とか終業を迎える事が出来た。

仕事効率はとても悪かったが、幸いな事にミスは一つもしていない。

元々、週明けからは支社長に専念する為今行っている業務を必ず全て今日のうちに片付けられるようにと、本日の仕事量は少なく設定していたのは結果的に助かった。

定時を一時間ばかり過ぎてようやくキリをつけると、クラインは内心ソワソワとしながら、なんでもない風を装い立ち上がる。

これからデートなのだ。

それも想い人直々に誘われたそれとあり、連日自分から申し込んでいた時とはまるで違う心境であった。

北原がわざわざクラインを誘ったのだから何らかの理由があるのだろう。

それがクラインにとって悪いものなのか良いものなのか、判断は出来ないままである。

仕事の合間にも、何を言われるのか色々なパターンが脳裏を過ぎっていった程だ。

『ナオヤ、今日はこれで終わろうと思う』

『はい、ではその書類を担当部署に届けて参ります』

『解った。・・・待っている』

特別深い意味を込めたつもりはなかったのだが、一際熱の篭った口調になってしまった。

それはこの後のデートを思春期の少年さながらに待ちわびているからか、それとも。

「失礼します」

北原はただ一礼を残し、ワークデスクの上から書類の束を取ると事務室を後にした。

黒髪に隠されたその横顔が、僅かに赤く染まって見せたのは照明の悪戯かもしれない。




 
*目次*