レンズ越しの・・・編・1



C&G日本支社ビルの最上階。

東京の街並みを一望出来る壁一面の窓を背にパソコンへ向かう男へ、北原直哉[きたはら・なおや]は静かにコーヒーカップを置いた。

「ありがとう」

一応は返された礼の言葉も、心此処に非ずたどひしひしと感じる。

だがそこに不快感もなく、もはや日常だと直哉は盆を手に軽く頭を下げた。

直哉の主な職務スペースが数回下の役員及び重役の個室の執務室の集まるフロアからこの最上階へと移り役三ヶ月。

公私ともに充実した日々を送っている。

毎日が順調。

些細なミスやトラブルはあったとしても、数日の間には解決や打開策の出る程度の物ばかりだ。

それもまた、公私共に言えた。

「北原、明日の午前中の予定はどうなっていた」

「朝一番で部内会議、十時から大阪支社の海外営業部長と面会予定です」

「そうか。面会は正午まで掛かるか?シアトルのダフニ社に電話をかけたい」

「では、先方に一時間でとお願いをします」

「そうしてくれ」

ジャケットの内ポケットから取り出した手帳に走り書きをする。

記憶力に自信はあるが、しかし絶対などはありえない。

黒いレザー調の表紙を持つ北原の手帳は走り書きのメモで溢れていたし、スケジュール調は調整の後だらけだが、それでも見やすく書かれていた。

直属の上司・三城には「つい」も「うっかり」も通用しないと、十分過ぎる程知っている。

元は秘書を目指していた訳ではないが、入社し配属された海外営業部も合っているとは言い難い。

今にしても正式に秘書という訳ではないものの、限りなくそれに近い職務にやりがいを感じていた。

もっとも、直哉が「正式に」秘書と肩書きを変えるのも近い未来だ。

初夏に、日本支社の経営陣陣の大半が大きく入れ替わった。

そうして新支社長の元に新体制となり、秘書課の体制も変わろうとしている。

現在、秘書課は各個人ではなく、秘書課全体で役員全員をサポートする体制をとられている。

その為、この部屋の主・三城のように、自身の直属の部下を手元に置いているケースも多かった。

だがそれでは効率的ではないと、役員全員をサポートする制度を廃止、秘書課は看板のみで各人それぞれにつくようにと変更予定だ。

直哉としては、元の営業業務に戻されるのではなく現状の職務内容を継続出来るならば所属がどこであれ関心はない。

元よりデスクなど、あってないような状態だ。

現在はその先駆けとして、一人の男が元の部署から新体制の秘書課へと移動となった。

以前より北原も知っている人物で、彼もまた元は海外営業部の所属だ。

C&G特に日本支社の東京本部において花形とされる海外営業部の為、誰の贔屓目などでもなく、優秀な人材を選ぶと必然的にそこからの抜粋となるのだろう。

三城専属となり海外営業部のオフィスになど滅多に顔を出さなかった事を思うと、近頃は頻繁に顔を合わせている。

元海外営業部所属の新秘書、水橋。

年齢は北原の一つ上で、一般的に容姿の整っている部類だろう。

良く言えばポーカーフェイス、悪く言えば無愛想だと子供の頃より言われ続けている直哉とは違い人当たりもよく、いつも笑みを浮かべている。

当たり障りのない好印象。

頻繁に顔を合わす事となった男がそうであるなら、直哉にとっても普段ならば良いに決まっている。

だが今は、あまり心穏やかではなかった。

「北原、今晩だが――」

それまで、会話を交わしながらもパソコンモニターから顔を上げなかった三城が、ふと顔を上げた。

だがそれを遮るタイミングだ。

執務室の側面にある、飾り気のない木目調の扉が外側からノックが聞こえた。

そこに通じるのは廊下ではない。

隣に隣接した、此処よりも一回り広い執務室、支社長室。

そしてそこからの訪問者など、大抵の場合二名のうちのどちらかだ。

「・・・特に用もない筈だが――はい」

あからさまに面倒だと言わんばかりの口振りで、三城は声を張り上げた。

隣の部屋からの訪問者は、日本支社内において三城の唯一の上司である日本支社長、もしくはその秘書だけだ。

二分の一の確率で、否、使用頻度でいうならばもっと高い確率で上司の訪問であるというのに、立ち上がらないどころか直哉を向かわせようともしない。

そのうえ、あの言いぐさだ。

それが殊更、三城らしい。

「仕事中にすまない」

「そう思うなら来なければ良い」

「ハルミはつれないね」

「忙しいだけだ。いつでもな」

カチャリと小さな音を立て部屋へと入った訪問者、支社長レイズ・クラインはまるで気にした様子もない。

慣れきっているのだろうし、それこそが二人の間の深さを示しているようだ。

そこに羨望こそあれど、妬ましさなど少しも感じない。

だがそれは、三城であるからだ。

「こんにちは、北原さん」

「・・・こんにちは水橋さん」

嫌味のない笑みを浮かべ、クラインの後ろから男が姿を見せた。

三城やクライン程ではないにしても、日本人の平均を考えるならば長身の域に入るだろう彼は、皺のないスーツに身を包みそこに居るだけで目を引く。

それをやはり今も、面白くは思えない。

日本支社長にしてC&G社社長子息・レイズ・クラインと交際を初めて三ヶ月あまり。

充実した日々の中の小さな陰は、直哉の中にも確実に存在した。




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