レンズ越しの・・・編・10



思えば、一人でこの家に訪れるのは初めてかも知れない。

交際間もなくの頃に合鍵を貰った。

けれどそれを使用したのも数度しかなければ、そのたった数度は彼よりも一足だけ先に部屋に入るか部屋から出るか、その程度だ。

「何か、しておいた方が良いのかな・・・」

社屋にてクラインと別れ、駅までの道中目に入った丼屋で味も分からない親子丼を食べ、いつになく緊張しかないまま気が付いた時には厳重なセキュリティーを潜りクライン邸の部屋前まで来ていた。

気がそぞろで真っ当な思考は回らない。

だが余計な事ばかりは頭を支配していて、どうにもすっきりとなりきれない。

「・・・おじゃま、します」

スペアキーで玄関扉を開錠し、部屋へと上がる。

暗闇の玄関で手探りで室内灯のスイッチを探り、パチンと小気味良い音を立てスイッチが入ると広い玄関は光に包まれた。

けれど、明るくなった事で閑散とした空気が強調される。

今此処には、直哉しかいない。

この後も暫く、数時間は一人きりだ。

週の半分は訪れているとはいえ、自宅ではない場所に一人で居るというのは不思議な気分だ。

しばし玄関に立ち尽くしたものの、そうしていても仕方がないと直哉はリビングルームへ足を向けた。

「掃除とかするべきなのかとも思ったけど・・・必要はなさそうだな」

二日に一度ルームクリーニングが入ると言っており、週末前の今日は丁度その日の筈だ。

昼間にプロの手で清掃のされた部屋は、当たり前のように直哉が手を出す隙はない。

人気がない故の冷たい空気。

いくら部屋を見渡しても、そこにあるのはクラインの趣味で固められた彼の持ち物ばかりだ。

ビジネスバッグ一つその場に下す事無く、直哉はただ広いばかりの部屋から顔を背けると与えられているウォークインクローゼットへと向かった。

そこもまた、塵一つないように清掃されている。

バッグを隅に置き、ジャケットを脱ぐ。

それをハンガーに掛ける手前でふと手首に視線がゆき、そこに嵌られている時計の文字盤へ視線を落とした。

「・・・そんな、時間が経っている訳がないな」

もう何度も、数分置きにそこを見てしまう。

夕食を食べる前に見て、食べながら見て、食べ終わり見て。

電車を乗っても降りても歩いても、今に至るまで同じ事の繰り返してしまうが、このようなペースなのだから一度に大幅に針が進む筈がないというくらいは分かっている。

だというのにこんなにも時計を気にしてしまうのは、自分自身に降りかかる事柄故ではない。

「今頃何してるかな。魚料理・・・まだスープかな。確か副支社長のお兄様の・・・prosperityグループのレストランだとか言ってたけど」

ネクタイを解き、ネクタイ掛けに通す。

ワイシャツのボタンを上から二つ外すと、手は完全に止まった。

prosperityグループのレストランと一口に言えどピンとキリはある。

その中でも、今夜訪れると言っていたのは「ピン」のレストランだ。

予約がなかなか取れないと有名で、味はそれに見合うだけの価値がある。

田町はさも得意げにクラインと三城に説明していたと三城の隣で聞いていたが、二人共にただ頷いているだけであったもののどちらもそのレストランには数度訪れているだろう事を直哉は知っている。

それどころか、直哉にしても三城の共で彼[カ]のレストランで会食した。

予約の取れないレストランなどと言ったところで、本当に予約を取れない場面は極一部だけだ。

prosperityグループは三城のツテがあるが、そうでなくてもなんらかのツテなど彼らの肩書があれば容易に作れるもののようだ。

「魚料理から肉料理に続いて、それから・・・、何考えてるんだ、馬鹿らしい」

だがその馬鹿らしい考えが、頭から離れてくれない。

振り払っても振り払っても、今この時のクラインを考えてしまう。

今頃彼はどのように過ごしているのだろうか。

大人としてのモラル置いておいて、あれ程不機嫌を隠さない三城そして彼の帰りを待つ恭一が無性に羨ましくなった。

「本当、何を考えてらっしゃるんだろうな・・・僕には、やっぱり分からない」

終業後のオフィスで聞いた三城の言葉を思い出し、胸に突き刺さる。

あれがどういう意味であったのか聞きそびれてしまった。

それを今更後悔しても、もう三城も忘れてしまっているだろう。

隣り合った、一回り大きなウォークインクローゼットにはクラインの私物がこれでもかと詰まっている。

鍵の掛からないその部屋の中には、サラリーマンでは夢にも見れない桁外れの高級時計や宝石の嵌ったカフスがある。

それらを無防備に晒してながら直哉に与えたスペアキー。

その意味は、正しく理解していたつもりだった。

けれど今は、スペアキーになど大きな理由がなかったのかもしれないなどと、考えてしまう。

「とりあえず、お風呂頂こうかな・・・うん」

そっと、ウォークインクローゼットを出る。

すぐ隣にクラインのクローゼット。

けれど視線一つ向けないまま、直也はバスルームへと走った。



  
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