レンズ越しの・・・編・11



寝て待っていて良いと言われど、それは些か図々しいように思えた。

風呂から上がり、特に何をする事もないまま、北原は二杯目のコーヒーに口をつける。

まるで興味のないテレビを一応つけてもみたが、三十分としないうちに今日来ていた女性タレントの一人を画面に見ると途端にげんなりとしたものを感じて消した。

そんなこんながあり、今は無音の室内だ。

「・・・遅・・・いや、そんな事を言うべきじゃない。分かっている」

壁に掛かる大振りの時計を見上げ、吐いた言葉を曖昧に濁す。

唇にコーヒーカップを当てる事で言葉を飲み込むと、視界さえ遮るように瞼を閉ざした。

落ち着かない理由は、大きくは気がついている。

会食が始まっただろう時間から随分と経っても、クラインが帰宅しない。

なまじこういった場面でのタイムスケジュールが頭に叩き込まれているだけに、今がもう食事が終わっている事も、レストランを出ているであろう事も、無視を出来ない。

大方、二件目へなだれ込んでいるのだろう。

それがクラインの提案なのか、あちら側の提案かは分からない。

ただ一つ分かるのは、三城が言い出す筈がないという事だけだ。

隣の芝生はなんとやらという。

だがどうにも、三城のきっぱりとした態度がいつになく優れて思えた。

「人を比べるなど、最低だ・・・」

それももう何度も考えては、納得をした筈だというのに実行には至らない。

好みの調合で入れた筈のコーヒーも今は味がよく分からず、ただ熱いだけの飲み物にすら思えてため息が出た。

再度時計を見上げる。

時間の進みの遅さを実感してからも随分と経ったが、疲労ばかりが積み重なってゆく。

なんとも不毛な時間だ。

このような気持ちで無駄な時間を過ごしてもろくな事はなく、風呂上がりの顔も随分きつく作り上げられていそうだ。

このような顔で待つくらいなら、彼の言うように寝て待っていた方が良いのかもしれない。

そうすれば彼の帰宅時間を気にする事もなく、寝て気持ちがリセットすると翌朝には何事もない気持ちの良い朝が迎えられる可能性もある。

そう思い立つと、直哉は中身の残るコーヒーカップを手に立ち上がった。

「申し訳ない気もするけど、寝よう」

普段ならば、ただ疲れているだけならば、眠くても彼の帰りを待っていただろう。

だが今は、眠さなどなく酷い疲労はなくとも、胸ががやけに重い。

「・・・ぁ」

だが汚れたカップ一つだけを洗えばすぐに寝よう、そう決意をした時だ。

キッチンへ向かう直哉をまるで遮るように、玄関から音がした。

この家に帰るのは、主だけだ。

指先で摘んでいたカップを取り落としそうになるのを寸前で持ち直し、無意識のうちに背が伸びる。

日常的に笑みに溢れているとは言い難いが、今はより唇が結ばれる思いがした。

一瞬固まったものの、ハッとするなり手にしたカップをシンクに置き、手櫛で洗い晒しの髪を整える。

パジャマの襟元を整え、そうしていると直哉が足を向けるよりも早く、玄関から続く仕切扉が開いた。

「あ・・・」

「ナオヤ。ただいま、起きていたんだね」

「あ・・・お、おかえりなさい。あの・・・」

「もう、ベッドへ行くところだっただろうか。それとも、私を待っていてくれたのかな」

アルコールでも入っているのだろう。

白い肌を僅かに朱に染め、クラインが軽い足取りで直哉へ向かう。

深夜に近い時間帯でもよれた印象も乱れもなく、ネクタイ一つ緩められていない様に彼という人を感じさせる。

そうしているうちに、クラインは立ち尽くす直哉の前まで来るとあっさり、さも当然とばかりに直哉の腰へ腕を回した。

「もう、眠ってしまったかと思っていたよ」

「いえ・・・もっと、遅くなるのかと思っていました」

「若い女性も居たからね。あまり遅くなってはいけない」

「そう・・・ですか」

いつもならば、ただ落ち着くばかりのクラインの腕の中だというのに、今はあまり安らぎは感じられなかった。

両腕はただだらりと下がり、彼の背に回される事もない。

頭上の彼を見上げる事も出来なくて、されるがままにしかなれなかった。

「お疲れさま、です。こんな、遅くまで・・・」

「普段交流のない分野の人と話すのは、面白いものだね」

「そう、ですか」

「ハルミも来れば良かったのにと、今なら思うよ」

「え?副支社長は、行かれなかったのですか?」

反射的に、顔が上がる。

視線の先にはクライン。

けれど直哉の瞼に映るのは、今日一日見ていた不機嫌な顔。

胸が揺れる。

けれど元から表情の薄い直哉の些細な変化など、クラインは気づかなかったようだ。

「レストランでのディナーの後、すぐに帰ってしまったよ。私もそうするべきなのかと思っていたが、引き留められてしまってね。近くのバーで飲み直していたんだ」

「・・・そう、ですか」

「それより、ナオヤ。今日は週末の夜だね」

「・・・え」

「少し待っていてくれるかな。すぐ、シャワーを浴びてこよう」

耳元で囁かれる、アルコールの香りのする熱い声。

その意味するところは分かったけれどだからこそ直哉は、その胸を押し返していた。

終業後三城に、何故三城のサポートは上手くこなせてクラインの心情は読めないのかという趣旨の事を問われた。

その答えが、今なら分かる。

三城の行動はストレートだ。

頭脳故に複雑に入り組んだ理論を持っている場面も多いが、けれど導かれる答えはいつもぶれていない。

だがクラインは、言うなればまだそのパターンが直哉の中で理解が出来ていないのだろう。

お国柄、個人の性格、接した時間の差、そのどれが一番の理由かは分からないし、この先に理解が出来る日が来るのかも、今は分かりそうにはない。

「すみません、もう、眠くて。今日は・・・寝ます」

「ナオヤ・・・」

「寝ようと思っていたところで・・・」

「・・・そうか。なら、無理は言えないね」

思えば今まで、眠くても疲れていても、彼を拒んだ事などなかった。

けれど今は、そのような気分には到底なれそうにはない。

クラインの腕が、あっさりと離れていく。

その手に再び引き留められる前にと、直哉は寝室へ飛び込んだ。



  
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