レンズ越しの・・・編・13



週末二日の休みを、久しぶりに何もせず自宅で過ごした。

「何もせず」は大げさではあるが、あまり記憶に残っていないという意味ではあながち嘘でもない。

食事を摂り、睡眠も取った。

久々に自宅を掃除もしたが、必要最低限の事をしただけでしかなく、そのうえ心此処にあらずであったのは否めない。

そうして身体の休息はともかく、心は休息がとれたのか否か、気持ちは晴れ渡らないまま月曜の朝を迎えた。

「出社・・・してらっしゃるかな」

直哉は大抵、三城が出社する十五分前にはオフィスに入り軽く掃除をする。

そうすると始業時間の三十分前にはつかなくてはならないが、もはや当たり前となっていた。

クラインの家に泊まった時は決まって、直哉が一足先に家を出てタクシーで出社する。

当初は電車通勤を希望していたが、ならばクラインが送ると譲らなかった為、譲歩をしてタクシーという事になっていた。

当のクラインはといえば車通勤で、彼の家に帰る時は直哉は助手席に乗る事も多い。

クラインとの関係を周囲に知られてはいけないと、プライベートは特に社屋周辺では彼と距離を置こうとしているし、彼にもそうするようにと頼んでいる。

だがクライン自身は、あまり納得をしていないようだ。

社屋のエントランスからエレベーターで最上階へ向かう。

一階で寿司詰め状態で乗ったエレベーターは、階を上がる毎に呼吸が楽になり、直哉一人を最上階でおろした。

支社長室と福祉社長室、それからそれぞれの給湯室などがあるだけのフロアは静まりかえっている。

この時間此処に居る人は思い当たる程度しかいないが、その内二人と顔を会わせたくないと思うと、直哉はエレベーターから副祉社長室までを小走りに走り抜けた。

エレベーターに対し、副支社長室の方が手前にある。

あらかじめ手の中に握っていた鍵でその扉を開く。

週末の夜、直哉が施錠をした時と変わらぬ様子のその部屋は、ただ昼間の太陽の日差しがブラインド越しに感じられた。

三城の部屋で、直哉は空に近い鞄を縦長のロッカーに入れる。

そうして身を軽くすると、給湯室へ足を向けた。

「今日の予定は・・・」

タクシーの中で確認したばかりの物を独り言だと口にする。

フキンを水道で濡らし、硬く絞る。

それを手に執務室に戻ると、正面に見える支社長室へ続く扉をふと見やった。

今日の予定で、始業前に水橋に確認をしなければならない事がある。

北原個人が何と思っていたところで、水橋との仕事上の接触は避けられない。

社会人として当たり前の事であるし、仕事に私情を挟むべきではないとも考えている。

だがどうにも、すっきりとしきれない。

もしもこれが彼に対する怒りや憎悪であるならまた違っていたのだろうか、などと考えていた時だ。

三城のデスクを拭いていた直哉は、不意にノック音を聞いた。

廊下から通じる正面の大きな扉ではなく、側面にある小さな扉。

そこをノックする人物など、この時間ならば尚更二人しか思いつかない。

ハッとするなり直哉は、フキンを手にしたままノックに応え扉を開けた。

「・・・おはよう、ございます」

「おはようございます。やっぱり北原さんは出社されてましたね。いっつも早いですよね。偉いなぁ」

朝から抜けるような笑顔を湛え、扉の向こうに水橋が居た。

出社したて特有のパリッとしており、隙も乱れた様子もない。

好印象しかないその姿に、いっそ胸が嫌に疼く。

彼を見ていたくないと思えばこそ視線がその奥へと向いてしまったが、そこに彼の姿もあった。

二日ぶりの、クライン。

朝一番の今は、遠目からでも鋭利な印象を受けた。

「今日の予定の事で確認があって」

「私も、水橋さんに確認をしなければと思っていました」

「会議の件ですよね」

「えぇ。午後の――」

スケジュール帳を取り出し、ページをめくる。

そうしていると直哉の気持ちも、ビジネス用に切り替わっていった。

だがそれはまだ、本調子ではなかったのかもしれない。

もしくは、胸がすっきりとしない今、完全にオンとオフを切り替える事が出来ないのかもしれない。

「――では、そういう事で」

「はい。そちらでお願いします」

「いいえ。北原さんは決断も対応も早くて、俺も見習わないとなって思っちゃいますね。まだまだ不慣れで」

「・・・いえ」

水橋の謙遜も、今の直哉には嫌味だ。

スケジュール帳を閉ざし、踵を返そうとした時だ。

それまで隣の部屋の中でチラチラとだけ見えていたクラインが、はっきりと顔をあげた。

「・・・ぁ」

クラインがこちらを、間違いなく直哉を見ている。

それどころか手にしていた書面をデスクに置くと、彼は直哉に――部屋を区切る扉の真ん中で話しをしていた二人の元に、足を向けた。

「ナオヤ、おはよう」

「・・・おはようございます、支社長。・・・出張、お疲れ様でした」

土日の出張で、休日の無いままの出勤だ。

体調は、崩していないか。

食事はきちんととっていたのか。

昨晩、彼の家に足を運ぼうか迷ったけれど、胸に掬う感情以上に彼の体調を考えると安易に動けなかったのだとも、伝えたかった。

しかし、水橋の前でそれらが叶う筈もない。

喉に上がりかけた言葉を直哉は、口を吐く前に全て呑み込んだ。



  
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