レンズ越しの・・・編・9



そして三城は、随分と評価もしてくれているようだ。

普段ならば静かに心躍らせる彼の言葉だろうが、しかし生憎今は動揺しか残らなかった。

「それは・・・それは、やはり職務とプライベートでは勝手が違いますので」

「そんなものか?」

「・・・はい」

「そうか。意外だな」

「え・・・」

「どこでも理性的にこなすタイプかと思っていたが、案外そうでもないんだな」

「それはどういう・・・」

自身で考えなければと思う間もなかった。

咄嗟に口をついた質問は、けれど三城がそれに答える間も同じようになく、直哉の言葉を遮るように唐突に執務室の扉がノックされた。

「ハルミ、支度は出来たか?出かけるまでに話がしたい」

「・・・聞き耳でも立ててたんじゃないか?」

「レッ・・・支社長はそんな」

「分かっている。なら、盗聴器でも仕掛けられているのかもな――今開けるからそう何度もノックをするな」

あっさりとデスクから身体を離した三城は、灰皿に煙草を押しつけた。

直哉と話していた時の気を抜いた様子ではなく、今日一日中みせていたさも不機嫌な顔をすぐに作り上げると、支社長室と繋がっている扉の鍵を開けた。

「俺に用か?それとも北原か?」

「もう、ナオヤに用でも構わないのかな?」

「あぁ、定時は越えているし、俺はともかく北原は仕事を上がっている。俺が止める権利はない」

「あぁ、ありがとうハルミ」

両手を広げたクラインが三城の背を抱こうとする。

しかしクラインの肩を一突きした三城は、踵を返えした。

「此処は日本で、俺も北原も日本人だ」

「どうしたんだ、ハルミ。そんな事は分かっている」

「分かっていない。渡米経験も、あちらでの暮らしにも慣れていたところで、日本では日本の文化に従えと言う事だ。抱きつくな」

いつにもまして、三城の言いぐさはきつい。

これが単なる上司であれば、ただでは済まなかっただろう言葉の羅列を並べ立て、デスクに戻るとビジネスバッグを持ち上げた。

「北原、鍵をかけて帰ってくれ」

「はっ、はい」

「俺も電話の一本でも入れるか・・・」

もう北原に視線も寄越すことなく、三城はさっさと部屋を後にした。

後ろ姿の彼は表情を伺い知れないだけに颯爽としていて、延びた背筋が終業後の疲れを感じさせなかった。

そうして、扉が閉まる。

三城の執務室に取り残された直哉は、ゆっくりとクラインへ顔を向けた。

「し、社長・・・」

「もう仕事は終わったのだろ?ならレイズだ」

「レイズ・・・あの、お疲れさまです」

「あぁ、お疲れさま」

思えば毎日顔を合わせ今日は半日以上同じ空間に居たというのに、恋人同士としての時間を過ごすのは二日ぶりだ。

ふと、肩と頬の力が抜ける。

それでもみっとも悪くなってはいけないと、背にだけは緊張を走らせた。

靴音を一つ立て、クラインが直哉へ身体を向ける。

その彼の面もちは、やはり形良く笑みが浮かべられていた。

今日、半日以上見ていた笑み。

それと今のこれは、同じものなのだろう。

「ハルミを追い出してしまった。申し訳ない事をしたかな」

「副支社長はそんな・・・」

「それでも少し、ナオヤと話がしたかったんだ」

「レイズ」

クラインが直哉の前で足を止め、そっと指先を伸ばすと、申し訳程度だけ腕に触れた。

いつもなら、どのような場面であってもクラインはスキンシップが多い方だ。

抱きしめられるのかと思ったがそうとしなかったのは、先ほどの三城の言葉故なのかもしれない。

視線の先では腕にクラインの指がある。

けれどジャケットとシャツに覆われたそこでは、腕にまで彼の感触を感じる事は出来なかった。

「先ほども伝えたが、今晩これから会食となってしまったよ」

「はい、伺っています」

「突然の事で申し訳ないね」

「いえ」

「出来るだけ早くに終わらせるけれど、先に寝ていてくれても構わないよ」

「え?」

「そうなると今晩に明日の予定は立てられないが、明日の予定は明日の朝考えても良いね」

「え?あ、あの」

「どうかした?あぁ、ナオヤは明日のリクエストでも・・・」

「今晩、私はレイズの元に行っ・・・ても、良いのですか?」

言葉尻を、一瞬迷った。

それが不自然な間になってしまったが、一度出た言葉は引っ込められないので言い切るしかない。

クラインの会食が決まり、当然のように今夜彼と会う事はないと思っていた。

それだけに、さも当然とばかりの彼に呆けてしまう。

今夜、彼の家で彼を待つ。

決して嫌ではないと瞬時に分かったそれは、けれど喜ばしいとまでは分からなかった。

無意識のうちに、一歩クラインから離れる。

するとただ添えられていただけの彼の指先もまた、あっさりとそこから離れた。

「何を言っているんだ。良いに決まっている。元からその予定だったじゃないか。あぁ、私の会食が決まったからだね?けれど私は構わない」

「レイズ・・・」

「ナオヤはどうなのだろう?もしかすると、誰かと約束でもしたのだろうか?」

「そ、そんなわけ・・・私は・・・」

他に、誰も誘う相手など思いつかない。

クラインと過ごすはずだった夜を埋める相手など、探す気にもなれない。

背けていた顔を遠慮がちに彼へと戻す。

真っ直ぐに見つめる事の出来なかった眼差しは、上目使いになった。

「僕は、待ってます。貴方の家で」

「そうか、嬉しいよ。出来るだけ早く、帰るよ」

「はい・・・」

クラインは、仕事だ。

そんな事は分かり切っている。

胸の中でもう何度と唱えた言葉を繰り返す。

嬉しげに笑ってみせる彼を目にしても、ただ見慣れた笑みだとしか思えなかった。



  
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