清水の波紋・編・04



エレベーターの扉が閉まりきると同時に、幸田は振り向いた三城に肩を強く掴まれた。

「あいつとはどういう関係だ?」

今しがたまでとは打って変わった、不機嫌な感情を隠そうともしない声音。

よくもあそこまで表面を取り繕えるものだと感心する余裕もなく、息を呑む程鋭く突き刺さる視線に幸田は無意識の内に三城から顔を反らしていた。

「だから、大学の先輩で・・・」

「それだけではないのだろ?あいつは恭一が男色家である事を知っていたぞ。恭一は同類以外にそれを話していなかったのではないのか?」

容赦なく投げかけられる問いかけ。

質問ではなくもはや詰問と呼んで良いだろうそれから逃れられるとは思えない。

だというのに、なかなか口が上手く動いてはくれなかった。

「えっと・・・」

重い沈黙は実際の時間よりもずっと短かったけれど、高性能のエレベーターの移動時間も短いものである。

口ごもる幸田が言葉を発する前にエレベーターは目的の駐車場へと到着するとスッと扉が開いた。

「恭一」

「えっと、車、乗ろうよ」

ぎこちない笑みを浮かべ提案する幸田に、三城は何も言わずただ黙ったまま車に向かったが、彼は運転席へ乗り込むと不必要な程大きな音を立て扉を閉めた。

三城が物にあたるなど珍しい。

どこか第三者的に考えてしまった幸田は、慌てて三城の後を追うと助手席に乗り出来る限りそっと扉を閉めた。

二人きりの狭い密室。

いつもなら甘やかな雰囲気すら漂うそこは、今は重苦しいだけである。

運転席に付いても三城はエンジンもかけようとはせず、腕組をして前方を見据えていた。

どうせ勘の鋭い三城の事だ。

日比谷のあの言い方で、薄々ではなくはっきりと二人の過去の関係には気がついているだろう。

それをわざわざ幸田の口から確認したがるあたり何とも意地が悪い。

「春海さん・・・」

「なんだ?」

「えっと・・・」

日比谷は、幸田の大学時代の元交際相手である。

それも、偶然というべきか、今日が命日である幸田の両親が亡くなった時期に交際していたのがこの日比谷だ。

互いに若かった故に、苦く辛いばかりが記憶に残る思い出。

それでも、その苦い思い出も日比谷と付き合っていたという事実も、今となっては過去の話しで隠す理由もない。

三城とて、幸田が三城と出会うまでの過去に恋人が居た事くらい理解している筈だろう。

だというのに、三城の不機嫌さを前にすると胸を張っていられないのが幸田である。

「・・・日比谷先輩は、昔、ちょっとだけ、付き合ってた・・けど。でも、今は何の関係もないし、久しぶりに会ったのも本当だしっ」

知らぬうちに早口で、悪いことはしていないと言い切れる筈だというのに、どうにも弁明口調になってしまう。

日比谷は日比谷で男を連れていたのだ。

あの男性と日比谷との関係は知れないが、意味深に腰を抱いて見せていたので、恋人かそうでなくても一夜の相手程度の関係はあるのではないか。

「昔の話だから」

「・・・。そうか」

ね、と作った笑顔を浮かべて見せた幸田に、けれど三城はそっけない様子で一つ頷いただけであった。

ようやくエンジンをかけ車を出発させたものの、車内に穏やかな空気は戻りはしない。

重苦しくて息苦しい。

日比谷との関係をあれ程言及したというのに、幸田が「元交際相手」と認めればそれ以上は何も言ってはこなかった。

会話も詰問も何もなく、ただ雑音だけが耳に入ってくる。

何も言ってこないからといって三城の不機嫌さが収まったのか、といえばそれま全く違っており、無言の三城は普段では考えられないような運転の荒さを見せていた。

「春海さん・・・」

何故三城は機嫌をそこねたままなのか。

縋るように何度か呼びかけても、取り付く島はなし、という態度の三城に幸田の心も折れてゆく。

何故こんな風になってしまったのだろう。

つい先程まで幸せであったというのに、と思い返せば、考えるまでもなくあっさりと日比谷が現れたからだと答えを見つけた。

懐かしくはあったし、会いたくないという強い感情すら持っていなかった、本当に過去の人。

こんな事なら会いたくないと念じておくべきだった、などと内心呟き、幸田は片すタイミングもなく手にしていた日比谷の名刺に視線を落とした。

「日比谷先輩・・・」

有名食品メーカーのロゴも彼の役職もどうでもいい。

「・・・」

「っ・・」

つい彼の名を口にしてしまったと気がついたのは、三城の痛い程の視線を感じてからであった。

車は赤信号で停車し、三城に無言のままじとっと見つめられている。

弁明すら口にするタイミングもなく、信号が青になると三城は再び前を見据え車は動き出した。

空気の悪さは、赤信号前の倍以上だ。

そこは既に自宅近くで、地下の駐車場に車が下りてゆくと所定のスペースに向かった。

真っ赤なプジョーの隣りの今は空きのそこに、少ない切り返しで真っ直ぐに枠の中へ車が納まる。

「春海さん・・・っあ・・」

車が停車すると、すぐさま運転席から降りた三城は 助手席から幸田を引きずり降ろした。

腕を掴み足が縺れそうになる程強引に歩かされ、そしてそのままちょうど待機していたエレベーターへと乗せられる。

「・・・春海さっ」

すると、何故このような事をするのだ、と問うよりも早く、三城は幸田の唇を塞いだ。

噛み付くような口付けは甘さよりも激しさばかりを感じ、幸田は受け入れる心積もりが出来ていなかっただけに戸惑っていた。

三城がこのように乱暴にする時は何かある時だ。

その何かが日比谷である事は解っているが、そこから先は見えてこないままである。

「んっ・・・」

散々に口内を蹂躙しようやく三城の唇が離れていったのは、エレベーターが目的階階へ到着したからだ。

幸田の腕を掴んだまま三城は直ぐそこに見える自宅へと足早に向かう。

彼の不機嫌さは怒気を伴ったものではなくむしろ焦燥なのではないかと、その時ふと感じたのだった。




  
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