清水の波紋・編・07



墓参りの日から数日が経ち、三城はいつもと変わらぬ様子でオフィスの執務机に向っていた。

仕事はこなしてもこなしても無くなりはしないが、この不況の世の中それはむしろありがたい事だ。

疲れたとも辛いとも微塵も表に出さず、ただふとした時にプライベート携帯の待ち受け画像を見ては心を和ませていた。

そこには最愛の恋人を不意打ちで撮影した写真が設定されており、盗撮まがいではあったがそれ故に素顔のままの綺麗な彼がそこに居る。

いつまで経っても一緒に過ごす時間に飽きる事のない幸田。

彼を言葉や戸籍で縛りつけてもまだ満足をしない自分に少し呆れもしている。

それ程までに愛している幸田を先日、大人気ない嫉妬心を露にし無理やり抱いてしまった事について、申し訳ない気持ちを抱いていないわけではないが、かと言って猛反しているかと言えばそうでもなかった。

幸田も27歳を前にした立派な大人の男で、自分と交際を始めるまでの人生に他の人物との出会いと別れがあったというのはもちろん理解している。

そもそも幸田と出会うきっかけにしても、彼が当時の元交際相手の男に残酷な仕打ちを受けた事が要因しているのだ。

けれど、頭で解っていても心が納得しているかというのは全くの別問題で、三城は一人きりである事を幸いとため息を吐き出した。

数日たった今でもはっきりと顔と声を思い出せるのはつまらない嫉妬心からか、それとも元来の聡明さ故か。

久しぶりに訪れた横浜の、たまたま選んだホテルにあの男が居るなんて。

そのホテルにあるレストランを選んだのは三城であり、まるで自分が数年ぶりの再会の手助けをしたようで、的外れな自己嫌悪すら感じてしまう。

三城程ではないにしても日本の平均男性よりも長身で、すらりとした引き締まった体躯からは自己管理が出来ていると伝えられる。

身なりにしてもそうで、何気なく嫌味にならない風に着ていたスーツなど全て名の知れたブランド品だ。

靴に至っては一足十数万はするだろう。

持ち物だけに気を配る者は多いが、短く切りそろえられた爪や乱れのない髪からあの男がそうでないと解る。

つまるところ、容姿も含め総合的に幸田の好みの男だという事だ。

幸田があの手の男に惹かれるというのはよく知っており、それがファン心理のような上辺の薄いものだとしても、三城としては容易に許してやる事は出来なかった。

今回のように、何処で何があるかわからない、という思考の元名刺は常に持ち歩いている三城と異なり、仕事中ですらそれを持っているか定かでない幸田には感謝する。

連絡をくれ、と言ったあの男の言葉をどう処理するのか、最終的な判断は幸田に委ねるしかないのだが、あちらからはアクションを起こす事は出来ないというのは良い事だ。

マンションにつくなり唇を奪った。

自宅に入ると有無を言わさず身体を求めた。

それだけで気持ちが伝わっていれば良いのだけれどと、三城はキーボードの上の左手に光る指輪を見て唇を結んだのだった。



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さらに数日が経ち、週末が訪れた。

先週は幸田たっての頼みとあり喜んで日曜を休みにしたが、そのしわ寄せもあり今週は土日両日出勤しなければならないようである。

副支社長と海外営業部長という二足の草鞋は予測していたよりも忙しく、若さと持ち前の自尊心そして幸田の存在を頼りに乗り越えているようなものだ。

三城の予測以上の忙しさ、というのは何も三城の憶測ミスではなく、短い間に以前よりも遥かに業績が伸びた結果だった。

それまで経営側にはノータッチであった為に詳しくは知らなかったが、日本支社の幹部連中が汚職により一斉に解雇された事でもわかるように、三城から言わせれば経営事態がずさんであった。

それを目の前に突きつけられ改善のサポートをしろ、と言われれば、三城は己の持てる力と人脈を使いサポートというにしては多くの事に手を出していた。

クラインにしてもサボっているわけではなく、互いに表と裏と役割分担を上手く分けているだけで、彼は彼で表で忙しく動き回っている。

己とクラインと、そして秘書として使っている北原の現状を把握しているだけに、彼ら二人が甘い生活をなかなか送れていなそうだと他人事ながら胸に浮かんだ。

自分達以上に出来たてのカップルで、近くに居るにも関わらずビジネスライフでしかいられないというのはさぞ辛いだろう、などと考えていると、その想い主の声とノック音が一人きりの執務室に響いた。

「───副支社長、失礼します」

短くけれど雑にならない礼を寄越し、北原が足早に三城の元へ歩みを進めた。

いつもながらのすまし顔で、面持ちが整っているだけに冷たそうな印象を与える。

「どうした」

「受付に副支社長へ面会の方がお越しです。お約束はなされていないそうですが、如何なさいますか?」

「アポなしだと?」

アポ無しで尋ねてくるとは非常識だ。

もしくは、あえてその非常識実行しているかだろう。

つまるところ、アポを取れば会ってもらえないだろうと考えている人物か、唯の馬鹿か。

前者であるならば、用件を聞いてやる程度の時間的余裕はあると、三城は幸田と揃いの腕時計をちらりと見やった。

「名前は?」

「松枝商事の日比谷様と仰る方で───」

「・・・え?」

様々な事態に対し、常に多くの可能性と選択肢を用意しているつもりだ。

だというのに、三城は柄にも無く間の抜けた呟きを零してしまった。

まさか、───幸田の元・恋人が尋ねてくるなんて。

秒針がやけにゆっくりカチリと一つ動くまでの間、三城は指先一つ動かせなかったのだった。



  
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