清水の波紋・編・08



何故日比谷が三城を尋ねて来たのかという用件に関しては不明であったが、けれど世間一般の勤務時間中に会社へ来るあたりビジネスとして捉えるべきである。

公私混同は基本的に行わず相手が誰であれ私情を挟まない、というのは社会人として当たり前の事。

北原に面会を承諾する旨を伝え、三城はここへ日比谷を呼んだ。

専用の執務室には応接セットも備えられ、大きな商談や営業報告それから来客時に使用している。

突然アポント無しで押しかけて来た日比谷を自室に招き入れる価値があるか、と自問すれば否で間違いなかったが、己が他所へ行くのも煩わしいと感じた結果だ。

程なくして執務室の扉がノックされた。

「どうぞ」

「副支社長、日比谷様をお連れいたしました」

「本日は突然の訪問にも関わらずお目通り頂けありがとうございます」

北原に促され現れた彼より長身の日比谷は、微笑を称え滑らかに言ってみせ、先日よりも一段と「出来る男」といわんばかり印象を与えられた。

あの日は休日か勤務後であり、今日は初めから三城に会うつもりでいた為の差だろう。

これでは益々幸田が、などと柄にもなく私的な思考を一瞬脳裏を掠めたが、そんな己を叱咤し三城は日比谷をソファーに勧めると自分は上座に腰を下ろした。

「で、用件はなんだ?聞くに価しないものであればお引き取り願う」

先日受け取った日比谷の名刺には、名前の上に社名とそして開発部1課・企画リーダーと書かれていたのを覚えている。

松枝商事は日本国内であればそこそこの規模の企業で三城自身にも聞き覚えが十分にあり、つまらない嫉妬心から調べたところ、どうやらC&G日本支社も大阪支部は松枝商事の大阪支社と取引があると知れた。

日比谷の役職についても、企画部というのは松枝商事の花形部署のようで、松枝商事程の規模の企業の本社でリーダーというのは、この年齢であればそこそこの出世頭ではないだろうか。

もっとも、「この年齢」とは言ってみても彼は入社したての新人ではなく、幸田の一つ年上という事は三城の一つ年下なだけで、三城と日比谷の立場の差は比べるまでもないのだが。

加えて、院卒の三城と大卒の日比谷であれば、入社年数は日比谷の方が長い。

つまり、三城にとっては対等に接する価値もない人物、という事である。

「失礼しました。是非三城副支社長にご覧頂きたい企画がございます」

いけ高に言った三城に日比谷は一瞬息を呑んでみせた。

だがそんな様子を見せたのは瞬きをするよりも短い時間で、すぐに営業スマイルを浮かべるとビジネスバックから企業ロゴの入ったファイルを取り出し中の書類を三城に差し出した。

ホテルで会った時はさも「幸田の大学の先輩」といった風であったが、今は出来る男といった雰囲気ばかりだ。

きっと内心とは異なっているのだろうに三城に謙ってみせるさまにしても、相手によって駆け引きが出来る男だと伝わる。

三城はそういったタイプが嫌いではなかったが、けれどそれは己も同じタイプだと認めているからだ。

幸田が隣りに居る時ならともかく、ビジネスの場において格下の相手に感じの良い笑みを取り繕ってやる理由など三城にはない。

研ぎ澄まされた冷淡な面持ちに鋭い眼差しを湛え、受け取った書類に視線を落とした。

「───、松枝商事本社とうちの取引は無かったと記憶するが?」

いくらC&G大阪支部と松枝の大阪支部が取引をしていようが、それはこちらには然程関係のない事である。

「はい。現在貴社の大阪支部と御社の大阪支部がお付き合いをさせて頂いている限りです。ですので、是非本社としてもC&Gの日本支部さんと関係を持たせて頂きたいと考えております」

「それで、私に企画書持参で会いに来たと?」

「はい。先日お名刺を頂きましたご縁、ということで」

ニッコリと笑ってみせた日比谷の瞳に、口元とは異なる表情を見た気がした。

どうやらただの馬鹿ではなさそうだ。

とはいえ、日比谷という男の人間性と手の中にある処理の出来は全く切り離して考えるべきであり、一通りに目を通した三城はそれをセンターテーブルへと放った。

「どんなものでもコネを最大限に使う心意気には感銘する。だが、生憎この程度の企画では話にならない」

「・・・は」

「直接どこぞの部署に持ち込むなら私の知るところではないが、少なくとも、私が副支社長ないしは海外営業部長の名で推薦するにはあたらない代物だ、と言えば伝わるか?」

いつの間にか北原が用意したコーヒーをブラックのまま口に付ける。

コーヒーブレイクタイムに雑文を読んだ、と思えばこの無駄な時間を過ごした気の紛らわし程度にはなるだろう。

「何処がご不明でしょう?企画書を直し・・・」

「その必要はない。どこが不明?不明な点と疑問点、憂慮点が多すぎる。それを一々指摘してやるほど私は暇ではないのでな。そろそろ次の予定に移りたい、お帰り頂けるか」

「っ・・・」

空になったコーヒーカップをソサーへ戻し、三城は立ち上がった。

これ以上この男にも松枝商事にも用はない。

どれ程やる男なのかと半ば期待すらしていたというのに、蓋を開けてみればなんて事のない代物である。

最後に見た日比谷の面持ちは、苦虫を噛み潰し何か言いたげなものではあったけれど、三城はそれに構う事無く背中を向けると日比谷を残し執務室を出たのだった。




  
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