清水の波紋・編・09



定時そこそこに仕事を切り上げた三城は車を近くのシティーホテルへ走らせていた。

どうせ明日も休日出勤は確定で、ならば今晩くらい息抜きもしなければやっていられないと、夕方幸田に連絡を入れデートに誘っていたのである。

急な誘いであったにも関わらず、幸田は二つ返事で了承を返してくれ、たったそれだけの事でどこか癒された気分になった。

幸田にも幸田の予定があるだろうに、こんな事くらいでグチグチ言ってこない恋人を自慢したい気分だと思えば、その「自慢したい相手」を思い浮かべてしまい眉間に皺が寄る。

そもそも、今夜突然幸田をデートに誘ったのも幸田に会いたくなったのも、そいつのせいだ。

週末に初めて会ったいけすかない男。

アポ無しで会社に押しかけて来た見掛け倒しな男。

日比谷の姿が脳裏を過ぎり、幸田とのデートを待ちわびての幸福感は半減してしまう。

互いに名刺を交換したが三城は日比谷の名刺などあの時以来触れても居ない。

一方、それをツテに使おうなどと考えた奴はなかなかに貪欲な男と見受けられる。

それは突然思いついた事ではなく、装いからして少なくとも今朝出かける前には計画をしていたのだろう。

もしかすると、あの企画書自体C&Gに、否三城に持ち込む為に作られた物かも知れない。

今日の日比谷は以前見た時よりも隙が伺えず余計に嫌な男だというイメージだけが上がった。

だが、三城が日比谷の持ってきた企画を断ったのはそのせいではない。

日比谷がいくら幸田の元恋人であり気に食わないタイプだとしても、例えそれが同属嫌悪の部類であったとしても、仕事に私情挟むつもりはなかった。

どんな相手が立てたプランでも、良い物は良いと正統に評価するのが三城だ。

逆に、誰が考えていようが悪い物は悪いとキッパリと言いもするので敵を作り易くもある。

今回は正にそれで、きっと自信満々の企画を持参したのだろうと解る日比谷に、あまりにストレート過ぎる言葉を浴びせかけていた。

あの状況であってもこれ以上に頑張ろうと思える者は余程の強者だろう。

後ろで控え一部始終を見ていた北原は、三城が執務室を出た後何か言いたげにして居たが、普段からでしゃばる事のない彼はその時も結局何も言いはしなかった。

日比谷の企画が格別に悪かった訳ではない。

奴に言った通り、C&Gでも他の部署に持ち込んでいたならば通ったのではないかと思う。

だが、三城ならば入社一年目で立てていただろう程度の企画でもある。

つまるところ、日比谷にとって相手が悪かったのだ。

ため息と共に頭から日比谷の面影を捨て去り、三城は車を駐車場へ停めると慣れきった足取りでホテルのエントランスへ向かった。

いつものシティーホテル、幸田との待ち合わせの定番になっているラウンジで彼の姿を見つければ、自然と早足となり頬も綻んでいた。

「恭一」

「あ、春海さん。早かったね」

「そうか?恭一こそ早かったじゃないか。突然呼び出して悪かったな」

「ううん。週末だし、僕は学校が終わったら暇だから」

はにかんだ笑みを浮かべ、幸田は席から立ち上がった。

何気なく着ているスーツは三城が与えた物には違いないものの、幸田がビジネス用にしているそれではなくワンランク上の物だと一目で解った。

テーブルに置かれているコーヒーカップも空で、更に底が乾いていることから随分と待っていたようだ。

普段仕事を終えている時間から考え、急がせたり待たせたりとしてしまったのだろう。

だがそんな様子を微塵も見せず、伝票を取り上げる三城に「ありがとう」とだけ言う幸田に愛しさがこれでもかと込み上げた。

ここが公共の場でないなら、幸田さえ嫌がらないのであれば、今すぐに抱きしめたい感情だ。

「恭一、何が食いたい?」

「特に何、とはないかな・・・春海さんは?」

「そうだな。たまには和食で、天ぷらはどうだ?」

「うん、良いね。天ぷらにしよう」

言葉を交わしながら駐車場へ戻り、専用と言っても過言ではない助手席に幸田が納まる。

目的地となったてんぷら屋へ向かう道中、今日の出来事を何気なく話す幸田の声に耳を傾け、三城は時折相槌を打っていた。

「そういえば、春海さん土日お仕事?」

「あぁ。悪いな。何だ?用事があったのか?」

「そうじゃないけど、ずっとお仕事だから身体大丈夫かなって」

「先週は休んだだろ」

「仕事は休んだけど、遠出してるから休息は取れてないじゃないか。それに今日だって」

「身体は問題ない。それに、この間にしても今にしても、十分休めている」

「え・・でも」

「身体を休めるよりも、恭一と共に過ごしている方が何倍もリフレッシュになるという事だ」

三城にとっての一番の癒しは幸田だ。

今までは人どころか物にすら癒しを求める事など稀だったというのに、やはり幸田という存在は特別なのだろう。

幸田と共に過ごす時間、彼の表情一つ一つが疲れた心や身体にも浸透してゆくのだ。

「春海さん・・」

しんみりと言って見せた三城に幸田も声を震わせたが、だがしっとりとしていた車内の空気をぶち壊したのもまた、三城であった。

「だが、もっと俺の疲れを取りたいと言うなら構わないぞ?」

「へ?」

「その身体で」

意味有りげに三城は、ニッと唇を吊り上げる。

一瞬の間を置きその真意に気がついたのだろう、幸田は赤面を浮かべると三城を見つめ返した。

二人で暮らしてすらいるというのに、その程度に───性行為を暗示させる言葉くらいに顔を赤らめる幸田が可愛くてならない。

「だっ・・そっ・・そんなの一々言わなくたって!」

「そうだな、恭一とSEXをするのにわざわざ了解を得る必要もない」

クスクスと笑う三城は到って上機嫌だ。

仕事で何があろうが、誰と会おうが、一度[ひとたび]幸田と過ごせば悪感情の大抵はリセットされる。

それを改めて実感しながら、三城は路地にひっそりと佇む目的の店の近くへ車を停めたのだった。




  
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