清水の波紋・編・12



ワイワイガヤガヤと楽しげな声が周囲から聞こえるモダンな居酒屋。

その中で肩を縮こませる幸田は、ビールジョッキに唇を添えながら視線をさ迷わせていた。

大石と三人であってもなかなか口を開けなかったのだ。

それをいきなり二人きりにされても、と内心焦る幸田の心情を察したのだろう、日比谷は余裕の眼差しで幸田を見つめるとクスリと笑った。

「大丈夫、取って食ったりしないから」

「いっ・・いえ。そっそんなんじゃ、ないんです」

「そう?だったらいいけど?」

そろそろと視線を上げると、日比谷は柔らかい微笑を称えていた。

6年前も彼の面差しは好みであったが、それがそのまま年を重ねたようだ。

思わずドキリとしてしまった幸田は、自己嫌悪を抱えながらビールジョッキへ視線を戻した。

日比谷とは、互いに嫌いあい別れた訳ではない。

若気の至りで本気に成れなかったというのと、時期が悪かったからだ。

もしもあの時幸田の両親の死さえなければ、二人の想いは本気のそれへと発展していた可能性は十分にあったかもしれない。

そう昔を思い出していた幸田へ、日比谷は片手を振りながらその指を翳して見せた。

「何警戒してるんだ。大丈夫、俺はお前の恋人の事を大石に言ったりしないし、俺にもほら、こいつが居るから」

「・・・え?」

「この間も隣に居ただろ?俺もあいつに本気なんだよ」

だから安心しろと、日比谷は翳した左手、その薬指に嵌められている指輪を示した。

シルバーカラーの細身のリング、それは一般的にはマリッジリングと判断されるだろう物だ。

「・・・あ」

「な?今日幸田を呼んで貰ったのも、ただ昔話がしたかっただけなんだ。この間会った時、どうにも懐かしくなってね。どうせ幸田からは連絡くれないだろうと思って」

「日比谷先輩・・・」

「あの彼氏さん、厳しいそうだからさ。お前大丈夫か?無茶な規則とか押し付けられてないか?」

「え?いえ、大丈夫です」

眉を下げ、さも心配そうにする日比谷に驚きと苦笑が浮かぶ。

先日の三城は随分と日比谷にも愛想を振りまいてはいたが、一端の商社マン然とする彼はあれが作り物だと見抜いたのだろう。

確かに三城は厳しいくキツい面もあるが、それは全て自分を思ってくれて故だと今の幸田はよく知っている。

数日離れている三城を思い浮かべ、幸田は無駄に緊張を走らせていた気持ちが解れていった。

無意識に頬を緩める幸田に、日比谷は眼を細めてみせた。

「それにしても、幸田、変わったな」

「・・え?」

「良い意味でだぞ。前も言ったかもしれないが、綺麗になった。生き生きとしているし、楽しそうだ。昔から綺麗だったけれど、あの頃は常に何か・・・そう、後ろぐらい物を抱えているように見えてたんだ」

「そう、ですか?・・そうかも、知れませんね」

後ろ暗い物、という日比谷の表現に幸田はつい笑ってしまう。

昔は自分の性癖がただ心の重荷となっており、それが日比谷のいう「後ろ暗さ」の要因だろう。

好きな人が出来ても、例え恋人同士に成れたとしても、幸せだけで胸が満たされる事などなかった。

いつも何処かで自分を非難し、罵倒していた。

それを、そんな自分を変えてくれたのは、誰あろう三城だ。

彼がいつでも堂々としているから、元々ノンケであったにも関わらず両親に自分という恋人を紹介してくれたから。

幸田もまた、彼の揺るぎない愛情を確信出来、幸せだけに包まれる事が出来たのである。

「何にしても良かったよ。俺の幸田の最後の記憶は、暗い顔をしてるとこだったからさ。・・・そういや、お前の両親が亡くなったのって今頃の季節じゃなかったか?」

「あ、はい。この間、先輩とホテルで会った日がちょうど命日だったんです。よく覚えててくれましたね」

「まぁな。お前と疎遠になったのって今頃、梅雨頃だったなって思い出してな」

「そう、でしたね」

意外だと、幸田は内心目を見開く。

まさか日比谷がそんな6年も前の事を覚えていたなんて。

仮にも当時交際をしていた相手の両親の死は、それ程までにインパクトのあった出来事だったのだろう。

「そういや幸田あの時・・・あ。なぁ、また今度時間取れないか?もっとゆっくり話したいんだ」

「え?・・ぁ」

妙な所で日比谷が言葉を切り急に早口になったものだから、幸田は反射的に彼の視線を追い己の背後を振り返った。

なるほど、大石がこちらに向かい歩いて来る。

大石が居れば出来ない話は多くある、というのは言われなくても解る事だ。

「えっと、はい。解りました」

「本当か?良かった。じゃぁ、近々連絡くれよ?絶対だぞ?」

「はい、連絡します」

「何話してるんだ?楽しそうじゃないか」

「大石先生」

「お前こそ長かったじゃないか。彼女からか?」

「そんな相手いねぇよ」

戻った大石は元の席、幸田の隣りへ腰を下ろした。

軽い口調の大石と話す日比谷の姿は、今しがた幸田と二人きりで話している時と大差はなかった。

日比谷との出来事は6年も前の昔の事。

今は互いにパートナーが居り、三城が憂慮するような特別な感情が起こるとは思えない。

大丈夫、自分が愛しているのは三城だけだ、と心の中で呟いた幸田は、どこか晴れ晴れとした様子で積極的に二人の会話へ入っていったのだった。





  
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