清水の波紋・編・14



新宿で落ち合った幸田と日比谷は、食事もそこそこに「その手の」バーへと場所を移していた。

大衆向けの店では出来ない話しが今回の主題である為、日比谷も幸田も示し合った訳ではないにも関わらずレストランでの食事は手早く済ませたのだ。

今回は待ち合わせが幸田一人で時間も多少余裕が有った為、一旦自宅に戻り車を置いて来ており、何の気兼ねも無く酒が飲める。

幸田は店内を軽く見渡し、昔は頻繁に訪れていた、今となっては久しぶりである雰囲気の中でカクテルグラスを傾けていた。

この店にしても以前は何度か入った事がある。

「こういうとこ、久しぶりです」

「そうなのか?この間の彼とは来ない?」

「彼、元々ノンケの人なので。こういう所はちょっと」

ゲイ同士ならば恋人となった後もカップルで訪れたりもするが、三城とは一度も無い。

誘った事すらなかったが、きっと三城はあまり良い顔をしないだろうと思えた。

三城はゲイに差別的な訳ではなく、幸田が真正のゲイであると解っているからこそ、同類の溜まり場に来させ妙な虫が付くのを嫌がっているのだが、幸田はそこまでは解っていない。

「・・え?・・へぇ。ノンケと付き合ってるのか。そりゃぁまた苦労性だな」

あからさまに驚く日比谷に幸田は苦笑が浮かんだ。

幸田も三城と付き合うまでは、否付き合ってからも暫くは同じように思っていた。

ノンケに恋いしたところで報われず傷つくだけで、例え一度は叶ったとしても、その後別れるまでずっと心労に苦しむのがオチだ、と。

「今の人は、大丈夫です」

「信じてるんだ」

「えぇ、まぁ。先輩の恋人さんはゲイの方なんですか?」

この間の飲み会の席で言っていた事を思い出せば、日比谷の恋人は、彼との再会のきっかけともなったホテルで一緒に居た男性だ。

おぼろげに成りつつある記憶を遡り、その面持ちを脳裏に描く。

「そ。それにあんまり恋愛経験もないみたいでね。二十代の男とは思えない奥手っぷり」

「可愛らしい方でしたね」

「そうか?それ、お前が言っても嫌みなだけだぞ?」

「え?どうしてですか?」

嫌味など微塵も考えず、ただ本当にそう思っただけだというのに。

目を白黒させる幸田に、今度は日比谷が苦笑を浮かべた。

「お前は相変わらずだな」

「へ?」

「で、その彼氏さん、今日は大丈夫なのか?ノンケだったら、男と会うくらい何も言わない?」

「いえ、今日は彼居なくて」

「居ない?・・・え、もしかして同棲してるのか、お前ら」

「あ・・・はい」

誤魔化すような、けれど本心は自慢したいような。

頬を染める幸田を、日比谷はマジマジと見つめた。

ゲイにとって同棲とは一つの区切り、結婚が無いが故により深い関係だという証でもあったが、勢いだけの若い頃ならともかく、ある程度の年齢を越えると世間の目などを気にしてなかなか踏み切れないというのもあった。

現に、幸田も三城以外の相手とは同棲などした事がない。

「じゃぁ、その指輪は本物って訳だ」

「まぁ・・はい。え?先輩のは違うんですか?」

この間の飲み会の時見せてもらった、日比谷の左の薬指にも光る指輪。

ふと見た日比谷の指には同じものが嵌っていたが、彼は微笑を浮かべそれに触れると、そっと外しカウンターへ置いた。

「こんな物はポーズに過ぎないよ。会社に居て、特に他の企業のお偉いさんとかと会った時は、独身よりも既婚者である方が喜ばれる年齢になってね。ま、教師をしてるお前には解らないかもしれないけど」

確かに、既婚者である方が喜ばれるというのは幸田にはあまり解らない感覚だ。

だがそれ以上に解らないのは、仕事を円滑に進める為だけならばともかく、その指輪を社外でも付け続ける日比谷の意識である。

しかも前回はさも意味ありげにその指輪を掲げたというのに、何故今はそれを外したのだろう。

「で、その彼氏さん、今日は居ないって?どうして?」

「え、あ。えっと、出張に、行っているので。アメリカの本社だとかで、明日帰ってくるんですけど」

「ふーん。じゃぁ、今日は彼氏さんが居ない隙に、って訳だ」

「そうじゃ・・・ない、事もないですけど」

居ない隙に、などと言うと聞こえを悪く感じたが、結局のところはそういう事だ。

三城が居れば日比谷と会いにくくなる、と考えて今日を了承した記憶は新し過ぎる。

バツが悪くアルコールに口を付ける事で逃れようとした幸田は、けれど残念ながらそれは叶わなかった。

グラスに伸ばした指が、それを持ち上げるよりも先に日比谷に触れられたのである。

「・・・ぁ」

「だったらさ、今日くらい良いんじゃない?」

「え」

「今晩は、俺と過ごさないか?」

触れられた指が、幸田の指に絡みついてくる。

それをどうする事も出来ないまま、幸田は呆然と日比谷を見詰めた。

「・・・先輩」

まさか、そんな。

動揺とショックを隠し切れなかったかったが、けれど幸田はハッとすると触れられていた手を引いた。

日比谷とは昔、学生の頃関係があったとはいえ、6年も経った今もう何もない思っていたのに。

前回の飲み会の時も、彼は「疚しいことは無い」といった部類の事をはっきりと言っており、それを信じていたのだ。

だというのに結局はそういう事だったのかと、裏切られたような気持ちになった幸田は眉を下げる。

けれど、そんな幸田を前にしても日比谷は悪びれた様子も無く、手持ち無沙汰となった指先を小さく振った。

「おいおい、そんな顔しないで欲しいな。何も俺はお前たちの仲を裂こうとしてる訳じゃないんだよ?俺は絶対に口外なんてしないし、今晩何があろうが、ただ幸田が黙っていれば済む話だ」

「・・・」

「男同士なんてそんなものだろ?ベタベタしてるのが偉いと思ってる女なんかとは違う。恋人以外の相手と寝たって、心が恋人にあれば問題はないんじゃない?」

確かに幸田も昔はそう考えていた。

身体だけの関係もありだと思っていたし、SEXと恋は別だと思っていた時もある。

けれど、今は。

「彼氏の出張っていつから?アメリカに行っていて明日帰国って事は、離れて2日3日じゃないんだろ?その間あっちの方はどうしていたんだ?一人で?それとも他に慰めの相手が居たりする?」

「まさか、そんな・・・」

「だったら、そろそろ辛くなってるんじゃない?いいじゃないか、一人でするのも二人でするのもそんなに変わらない。ただ滾るモノを収める為だと思えばさ」

耳元に日比谷の唇を寄せられ、下品ながら刺激的な言葉を甘やかに囁かれる。

ゾクリとしたモノが背中に走ると、幸田は咄嗟に日比谷の肩を押し返した。

「やめて、ください。あの、僕、そういうお誘いはお受けできません」

「どうして?」

「どうして、ってそれは・・・、その」

小恥ずかしくて口にするのは憚られたが、そんなもの、三城を愛しているからに他ならない。

三城を裏切る行為に手を出すなど、どんなに身体が飢えたとしても在りえないと言い切れる。

「真面目だね。さすが先生」

「そっ、そういう事じゃなくて」

「幸田は可愛いね」

こんな時になんだというのだ。

今更容姿を褒められたとしても嬉しくも何とも無い。

裏切られた悲しさが怒りの燻りへと変化すると、下がっていた眉が吊り上がる。

それに気が付いたのは幸田本人よりも日比谷が先で、幸田を見つめたまま彼はおかしそうに笑った。

「怒るなよ。お前は本当、甘いというかなんというか。そういうところが可愛いと思ってね。その彼氏を信じて一途になっているみたいだけど、それはお前だけじゃないのかな?」

「そんな・・。春海さんがそんな、浮気とかそんな事する訳・・・」

「それが、『甘いな』なんだよ。幸田は本当に彼が何もしていないって言い切れる?嘘を吐かれてないって、言えるのか?」

「それは・・・」

そう、嘘など吐いている筈がないと、言いたい。

けれど、もしも三城が嘘を吐いているとすれば、何事にも完璧主義の彼からそれを見破るなど不可能だろう。

しかしそれは「もしも」の話しであり、あの三城が嘘を、それも浮気などしているなどありえない。

指輪の嵌る左手を握り締めた幸田は、瞳を尖らせ反論の為に口を開こうとした。

だがその時、それを遮るよう余裕の微笑を浮かべた日比谷が悠然と口を開いたのである。

「お前、こういう店来るの久しぶりって言ってたよね。ノンケの彼氏とは来た事がないって?じゃぁ、そのノンケだっていう彼をこの界隈のバーで見た、って言ったらどうする?」

「・・・。・・・え?」

衝撃は、日比谷に今夜を誘われた以上。

見開いた瞳で日比谷を見つめる幸田を、彼はただゆったりと笑み返すだけであった。

日比谷は嘘を吐いているのだ。

誘いを断った自分を揺さぶろうとしているだけだ。

そうは思えど、胸の中心でそう思い切れない幸田が居た。

三城がこの界隈───所謂二丁目と呼ばれる辺りのその手のバーに居ただなんて。

言葉一つ喉を突かない幸田に、日比谷は幸田のグラスのおかわりをバーテンダーに指示したのだった。




  
*目次*