清水の波紋・編・18



交差する鋭い視線を先に反らせたのは、日比谷であった。

「で?その用って何なんだ?」

背もたれに寄りかかり足を組んだ日比谷は、吐き捨てるよう言うとスラックスのポケットから煙草を取り出す。

「・・・ぇ?」

その様子は、どこか幸田の知らない彼であるような印象であった。

何処がどう、と言われても上手く言い表せないが、6年前そして昨日会った時ですら感じなかったものだ。

それはただの気のせいか、それとも三城が同席しているからか、単に騙された事に対する憤りからか。

見慣れないと感じでしまった日比谷の様子におろおろとせずに居られない幸田の隣で、三城もまたジャケットから煙草を取り出すと一本を咥えた。

「そんな風だから、お前は駄目なんだ」

「え?」

「・・・。・・なんだと?」

一瞬、三城が口にした「お前」の対象が誰であるのか解らず、情けなくもおろおろとしてしまっている己に対してだろうかと幸田は身構えたが、そうではなかったようだ。

心当たりがあるのか口調で察せられただけなのか、面前の日比谷が苛立ちを深めたとありありと解る面持ちで僅かに身を乗り出す。

三城と日比谷はいつの間に「お前」などと呼び合う仲になったのだろうか。

そういえば、先ほどは「社外」がどうのと言っており気になっていたのだと思い出したが、幸田がそれを問えるよりも先に、日比谷は本格的に身を乗り出すとテーブルに腕をついた。

「あぁ、確かにこの間は謙ってやったさ。一応はC&Gの副支社長様だからな。だが、此処は会社じゃない。だから俺がお前に謙る必要も、お前が俺に偉そうな態度を取る理由も無いんじゃないか?」

「え?」

阿呆のように、幸田は首を傾げるしか出来ない。

ただ、どう考えても二人の間には自分の知らない「何か」があったようで、けれどその何かが「何」であるかを、これだけのヒントで推測出来るタイプでは決してない幸田は疑問を抱えたまま三城と日比谷を眺めていた。

「そうだな。お前が俺に謙る必要はない。だが、俺の態度如何は俺が決める事であり、お前に指図されるものではない」

「・・・、初めて幸田とお前と会った時お前の態度がやけに丁寧だったから、オフィスでの面会の後てっきり幸田は人当たり良く取り繕っているお前に騙されているのかと思ってたが、どうやら違うみたいだな」

「あぁ。理解が早くて感謝する。恭一に常日頃から取り繕った姿など見せている訳がないだろう。お前と一緒にするな」

何処までも高圧的であり喧嘩腰の口調を緩めない三城に、幸田は口を挟む隙すらない。

三城の言う通り、機嫌の良し悪しを別として彼は大抵このような感じだ。

オフィスでの彼の姿こそ知りはしないし、日比谷が何を言っているのかも解らなかったが、ただ自分は騙されてなどいないだろうとだけは言える。

高圧的な態度と共に口が達者だというのも三城の性質で、そんな彼に1でも反論すれば10になり返って来る事は身を持って知っている幸田からすれば、日比谷はよく三城とラリーを続けられるなと感心すらしてしまう。

「俺と、だと?」

「今の俺に対する口調と、俺が現れるまでの恭一への口調が一緒だったとは思えん。どうせ、適当に甘い言葉でも言っていれば恭一は落ちるとでも考えたんだろ?」

「っ・・・」

「だから、『お前は駄目』なんだよ。何事にも詰めが甘すぎるし、いっそ浅はかだ」

「・・・好き放題言ってくれるな。詰めが甘い?浅はか?まるでお前の判断の全部正しいとでも思っているみたいな傲慢なセリフだな。何様のつもりだ?幸田もよくお前みたいな奴と居れるもんだ。近いうちに振られるんじゃないのか?」

ドンッと音が聞こえそうな勢いで、日比谷は元のように背もたれに寄りかかるとあざ笑った笑みを向ける。

だが三城は一向に動じた素振りを見せず、さも悠然と紫煙を天井へ吐き出した。

「ありえないな。俺は、己の判断の全てが正しいとまでは考えていない。精々9割程度だ。だが、恭一が俺の元から離れないというのは言い切れる」

「・・・春海さん」

9割でも十分過ぎるだろう、と思ったのは幸田だけではないようだ。

それまで饒舌であった日比谷の返答が途切れ、苦虫を噛み潰したよう面持ちでけれどまだ言葉を捜しているようにも思える。

口を挟むべきか、とも一瞬考えたが結局何とアクションを起こせなかった幸田はただ三城に寄り添うだけで、手持ち無沙汰に彼の用意してくれたグラスを持ち上げた。

「・・・ぁ」

喉が渇いていた訳ではない暇つぶしに近い行為であったというのに、一口それを口にした幸田はその旨さに飲むのを止められなかった。

マンゴージュースに似たオレンジ色をしたそれはただのマンゴージュースではなく、アルコールも感じられなかった事からノーアルコールのカクテルだろう。

三城はあまり幸田が外でアルコールを飲むのを快く考えていないらしく、二人でバーに行っても幸田は酔う前にノーアルコールのドリンクにさせられる。

元々アルコールが大好きだという訳でもないので、代わりに用意されるノーアルコールカクテルに満足しているので不満はない。

普通のカクテルもノーアルコールのそれも、オーダーは三城が通す場合が殆どで大抵が美味しいのだが、今日のこれは別段に幸田の好みの味わいである。

「・・春海さん、これ美味しい」

「当たり前だ。俺が恭一の好みに合わせてオーダーしたのだからな」

今しがたまで日比谷といがみ合っていたのが嘘のように、フッと口元を緩めた三城の眼差しは高慢とは違う、けれど自信に満ち溢れたものであった。

そうだ。

三城はいつでも抜かりなくて、だからこそ、日比谷が指摘したような傲慢な態度など霞んでしまうのだ。

数週間ぶりに会いすぐに口論となってしまった三城に、彼らしい優しさを伝えられれば幸田は堪らなくなった。

「・・・春海さん」

本題を忘れた訳ではないが、それよりも今は三城と二人っきりになりたい心境だ。

バーテンダーの件は気になるがまた後日でも、などと考えてしまっていた、その時。

スッと人影が現れたかと思うと、三人が囲むテーブルへほんの些細な音を立て、グラスが3つ並べられた。

「───私からの、サービスです」

「あっ・・」

「・・・ぁ」

「・・・。遅かったですね」

凛とした声を響かせた主がひっそりと微笑み、元から居た三者の三様な声が重なり合う。

何が起こっているのか、瞬時に察知出来ない己が情けない。

此処へ来たそもそもの理由を忘れてしまう程の衝撃を与えられた幸田は、声の主を見上げ、また一つ頭上に疑問符を増やしたのだった。



  
*目次*