清水の波紋・編・20



真っ直ぐに向かったパーキング。

会話もなく車に乗り込んだ二人は沈黙のまま帰宅の路についていた。

自宅までの道のりはそう遠い物ではない。

現状変わらずとも良いではないかと思いもしたが、しかしその雰囲気に耐えられなくなった幸田は思惟の末、ようやく重い口を開いた。

「・・・、春海さん、ごめんなさい」

「・・・。それは、何に対する謝罪だ?」

「春海さんを疑った事と、日比谷先輩と飲みに行った事、です」

結局、三城への疑いは無実であり、幸田が日比谷と二人きりで飲みに行ったという事実だけが残ってしまった。

日比谷と飲みに行っただけならばまだ釈明も出来ただろう。

だが、日比谷にアプローチを掛けられ、彼の言葉に踊らされる形で三城を疑ってしまったのだから弁明の余地はない。

しかもそれが三城の出張中、彼は遠い異国の地で働いている最中に自分だけ他の男と、と思えば幸田に強い自己嫌悪の念を残したのである。

うなだれ肩を落とす幸田に、けれど三城の言葉は優しくはなかった。

「それと、もう一つだ」

「え?えっと・・・」

「俺に嘘をついた。作りものの笑顔で俺を迎え、何でもないと言っただろう」

「・・・あ」

「恭一の嘘など簡単に見破れるのだから、初めから俺に嘘などつくな」

「・・・はい」

鋭い声音は、サックリと胸に突き刺さる。

三城に嘘が通用しないだろうとは随分と前から予測が出来ており、それが命中し指摘されただけだ。

勘が鋭く洞察力に優れた彼には、たとえ些細な嘘であってもつき通せる筈がない。

「ごめんなさい。今後、嘘はつきません」

「必ずだぞ」

「・・・はい」

「ならばもう良い。俺は恭一のそんな顔が見たいわけではない」

そうは言えど、やはり三城の口調が和らぐ事はなく、幸田の緊張が解かれもしなかった。

いくら三城が「もう良い」と言っていても、それは到底本心からそう言っている風には思えない。

それも一種の「嘘」ではないのか、と感じたが反論する気分にもなれない幸田はそこには触れない事にした。

「うん。・・・でも、なんでもっと早く気づかなかったんだろう、秋人さんのお店だったって。自分が情けないよ」

「まぁ、普段兄さんの話しなどしないからな」

確かにそうなのだが、それにしてもだ。

ゲイではないと公言して憚らない三城が二丁目に居たと言われれば、すぐに特別な理由があると考えられてよさそうなものを。

何度思い出しても己の思惟の浅はかさが情けなく、俯き加減でつい自嘲のため息を吐き出してしまった幸田は、しかしふと視界に入った違和感に顔をあげた。

「春海さん?」

三城は、今しがたまでの冷たい眼差しとは異なり、暗がりの車内でもはっきりとわかるどこか張り詰めたものを感じさせない面持ち、苦笑を浮かべていたのである。

「ま、嬉しくもあるがな」

「え?」

「恭一が嫉妬してくれた」

「嫉妬って・・・」

「違うか?俺が浮気してると思って腹が立ったのだろ?」

「腹が立った、ってうか、ショックだったっていうか・・・」

信じられない気持ちと、裏切られたという気持ちと。

怒りの感情はあまり起こらなかったが、何よりも混乱が先に立ったのだろう。

真っ当な判断や分析が出来ていたならもっと違う結果が導かれていたのではないか、と思えばどう考えても今の自分は情けないだけだ。

乾いた笑みを見せる幸田に、傍らの三城の反応は予想外のものであった。

「それに、俺も一つ恭一に嘘を吐いた。だからおあいこか」

「・・・春海さんが?」

「あぁ」

「何を?全然、わからない」

信号が赤になり、車が停車する。

幸田に視線を注いだ三城は、意味ありげに笑ってみせた。

彼が嘘をついていたという。

だが、やはり幸田には何一つ嘘を吐かれていたらしい心当たりはなく、それでも「あれかこれか」と頭を回し眉を潜めていると、信号機が示す色が青へと移り三城はアクセルをゆっくりと踏み前を見ながら唇を開いた。

「あの男に言った言葉だ」

「日比谷先輩?」

「あぁ。あいつに俺は、『恭一が俺の元から離れないと言い切れる』と言った。だが、あれは嘘だ」

「・・・え?」

「そんなモノ、言い切れる訳がない。そうでなければ、恭一が日比谷と二人きりで会っていたと解っただけであんなにも怒ったりするものか」

「あ・・・」

「俺は一生、恭一を愛している限り永遠に、この不安に駆られ続けるのだと諦めがついているよ」

呟くような、独り言のような三城の言葉。

あの自信家の三城が。

彼が不安に駆られるというなど俄かに信じがたく、それがまさか己に対してなどと言われればサラリと聞き流す事など出来はしない。

そうこうしているうちに車は見慣れた場所、自宅マンションの地下駐車場へと降りていった。

人工的な明かりがこれでもかと灯されている空間は、夜の暗がりからの変化に眩しいくらいである。

指定の場所、真っ赤な幸田の愛車の隣へ少ない切り替えしで車庫入れをする三城を眺めながら、幸田は彼のハンドルを握っていない手に触れた。

「春海さん、ごめんね。僕は春海さんだけだから」

「どうした、急に」

「ううん。春海さん、大好き」

嫉妬を嬉しいと感じてしまったのは幸田も同じ。

彼を信じながらも、愛しているからこその不安を感じてしまうのも同じなのだろう。

人気の無い駐車場、密室の車の中、幸田は三城の手をしっかりと握り頬を緩めたのであった。



  
*目次*