清水の波紋・編・22



三城の仕事も落ち着いたある週末。

新宿のシティーホテルで待ち合わせをした幸田は彼と一緒にFall・Dominionへ───秋人の店へ訪れていた。

「まさか本当に来てくれるなんて思っていなかったよ」

カウンター越しの秋人は、今日も白いシャツに黒いベスト、バーテンダーの装いである。

「俺としては来るつもりはなかったんですけどね。恭一がどうしてもと言うので」

「だろうね」

スツールに座る二人に向かい合い、秋人は悠然な笑みを浮かべた。

前回訪れた時はそれどころではなかったが改めて見渡した店内は、薄明かりの照明とクラシックのBGMが良く似合う、ホテルのバーにも負けず劣らずの落ち着いた大人の雰囲気だ。

場所が場所、ハッテンバというだけあり客が男ばかりだというのは幸田は気にはならない。

「そんな。だって、この間はご迷惑お掛けしてしまったし。きちんとご挨拶にお伺いしなきゃ、と思って・・・」

憮然とした三城の隣で幸田は慌てて頭を振った。

三城の言葉通り、彼は秋人へと礼も挨拶も一切必要ないと言ったのだ。

だが幸田としては「はい、そうですか」とは簡単に流せる事ではない。

あの日比谷に踊らされる形で幸田が大騒ぎをしてしまった日、元々の予定もあっただろうに突然秋人を呼び出す結果となってしまったのだ。

他にも、ドリンクをサービスしてくれた礼をきちんと言えなかった事や、帰りの挨拶、それどころか会計すらせずに店を出てしまったというのが気がかりでならなかった。

いくら三城と秋人が兄弟と言えど、ここが店である限り無銭飲食をしてしまった事に変わりはない。

店に行く必要などない、何か言いたいなら電話で済ませ、という三城をようやく説得し今日こうして二人揃って来店をしていたのだ。

「恭一くんは律儀だね。さすが先生だ。先日の事はもういいからさ。今日は飲むんだろ?何にする?」

サラリと笑顔で流す秋人は、さすが大人だな、という印象を与えられる。

今日は飲む前提で来ている二人は車を置いてきており、彼の質問に肯定を見せた。

「えぇ。俺はその為に来たようなものですよ。恭一は飲みすぎるなよ」

「過保護だね。行き過ぎるとウザがられるよ?」

「放っておいてください」

「はいはい。で、春美はアレ、ロックで良いのかな?恭一さんも同じモノを?それとも水割り?」

「いえ、恭一は別のを」

「そう。あ、メニュー一応あるよ。これ以外でも何でも作るからね」

「あ、ありがとうございます」

じゃれるような軽い言葉を交わしあい、秋人は幸田に革張りのメニューを渡すと背後にあるアルコールのボトルが並ぶ棚に手を伸ばした。

このような様子を見ると、つくづく二人は兄弟なのだなと感じる。

一人っ子の幸田には羨ましくすらあった。

「春海さん、アレって何?僕もそれで良いよ」

「ヘネシーだ。コニャックだぞ?恭一は飲めないだろ?」

「コニャック・・・ブランデーだよね。あんまり得意じゃないかも」

飲めるか飲めないかで言えば飲めない事はないとは思う。

だが、旨いか否かと問われれば、まだその旨さを理解出来はしないと答える他になく、高価なアルコールを無理やり飲むなど馬鹿げている。

ならば大人しく別の物を頼むべきだとメニューに視線を落としていると、秋人がクスリと笑った。

「この間の時にね。春海に『このボトル入れてくれたら行っても良い』って冗談で言ったらOKしたからさ。さすが、副支社長様は違うね」

「え?春海さん、そうなの?僕聞いてない」

「わざわざ言う事でもないだろう。それに、俺には到底冗談を言われている風には思いませんでしたけどね」

「そう?私は至って冗談だったけどね」

深い色のボトルを、秋人は馴れた手つきで開ける。

コルクが抜かれると、ただそれだけで独特の香りが漂った。

「思いの他、高くついてしまった?」

「別に」

「そう?ま、恭一くんに誤解されてるよりはよっぽどマシってとこなのかな」

既に掛けられていたボトルキーパーには三城の名が丁寧な字で書かれている。

氷の満たされたロックグラスにボトルのヘネシーが注がれると、秋人はコースターそしてそのグラスを三城の前に置いた。

「そういう事です。恭一にはフルーティー・ディタをお願いします」

幸田の意見を聞こうともせず、三城はオーダーをすると目の前のグラスに指を伸ばす。

彼が代わりにオーダーをしてくれるのは日常で、むしろ任せている方が好みで旨いモノが出てくるのでありがたくすら感じている。

それよりも、幸田は先に秋人の言葉が気になり、膝が触れ合う距離にある三城の太ももへそっと手を置いた。

「高くついたって?あの、それじゃぁソレ、僕が払うよ。僕が騒いじゃったからこうなっちゃったんだし・・・」

先日の件について何度も三城に謝りはしたし、彼も解ってくれたとは思う。

もう終わった過去の事だと考えているし、だからこそ、あの日の話しが話題に上ると覚悟し今日此処へ訪れられているとも言える。

だがそれとは別で、今まで知らなかった弊害があると気がついてしまったのなら黙っているなど出来はしないのが幸田だ。

焦りの色すら見せる幸田に、三城は一瞥しただけであっさりと一蹴した。

「必要ない。恭一が気にする事ではない」

「でも・・・」

「恭一くん、止めておいた方が良いよ。何だかんだ言ったところで、春海が勝手に条件呑んだ事には代わりないでしょ?それに、本当に高いよ?だってうちで一番のボトルだからね」

「え・・・」

ニッコリと秋人は形良く微笑むと、カウンターに置かれたボトルを幸田に示して見せた。

その笑みがどこか恐ろしく感じ、幸田は手にしたままであったメニューへ無意識のうちに視線を落としてしまった。

「そこには載っていないよ。いつでも置いている訳じゃないからね。ホテルのレストランやバーならともかく、此処みたいな店でこんなもの頼む人、年に何人っていないから」

「そう、なんですか?」

「そ。ちなみに、リシャールヘネシー・当店価格60万円」

「ぅ・・・」

「ね?そんな無駄なお金使ったらダメだよ」

明るい声音で伝えられた価格に、幸田は冷や汗が出そうな感覚に陥った。

それを聞いても隣の三城は平然と件のアルコールを口に運ぶばかりで、動揺一つ見せない。

凡人である幸田にはアルコールのボトル一つにしては恐ろし過ぎる金額だとしても、三城にとってはそうではないのだろうか。

彼の金使いの荒さ・激しさはよく知っているが、それでも三城に対する申し訳なさが募る一方でいると、うつむき加減の幸田の耳に、コトンとほんの小さな音が届いた。

「お待たせ。フルーティー・ディタです」

「あ、ありがとうございます」

「それは私から。今回の事で恭一くんを不安がらせちゃったのは事実だしね」

「いえ、そんな・・・その・・」

「まぁ、さすがに弟にまでは手を出さないよ」

「知っていたら僕も、そんな・・・」

ほっそりと微笑む秋人の眼差しに、幸田はしどろもどろになるばかりである。

幸田とて、日比谷の言う『バーテン』が秋人だと知っていれば初めから疑うはずがなく、秋人もまたそれを理解したうえでからかっているのだろう。

乾いた笑みを浮かべるしかなかった幸田に、しかし秋人は意味深に唇をつり上げて見せた。

「でも、恭一くんとだったらいいかな。知ってる?戸籍上は私も春海も、義理の兄って意味では一緒なんだよ?」

「え?・・・あ」

「・・・。兄さん、いい加減にしてくれませんか?恭一も何を考えている?」

「何、って別に何も・・・だって、ほら。僕はもう、春海さんだけだから」

「お、惚気るね。それぐらいの方がいいけどね。なんたって此処はハッテンバーなんだし」

「惚気、とかじゃなくて・・・えっと」

ただ、思わず事実が口をついてしまっただけだ。

顔が似ていない事とカウンターを挟んでいるという立ち位置もあり、秋人が三城の兄であると忘れてしまいがちなのかも知れない。

指摘されれば急に羞恥心が刺激されてしまい、頬が赤らむのを感じてしまった。

「恭一、兄さんを一々まともに相手にしなくて良い」

「酷いな、春海は。冬樹兄さんに似てきたんじゃないのか?」

「やめてください。ゾッとします」

からかうばかりの秋人と、しかめっ面の三城と。

けれど、今の三城はとても機嫌が良いのだとなんとなく解った。

ずっと一緒に居るから。

言葉にせずとも、表情は違っていても、感じられるものは確実にあるだろう。

三城がオーダーし秋人が作ってくれたカクテルをを一口飲む。

今、この時がとても幸せだ。

軽い言葉を交し合う二人を眺めながら、幸田は頬を緩めて相づちを送っていたのであった。





【完】



*目次*