新婚旅行リベンジ・編・16



たっぷりと用意されていた筈の朝食は、どれもがとても美味しかったので皿の上は綺麗に片付いてしまった。

改めて食後のコーヒーを手にしている幸田の前で、三城は当たり前のように英字新聞を読んでいた。

真面目な顔で紙面を捲り時折ニヤリと笑っているが、幸田にその意味が解るはずもない。

新聞を読み始める前にはPCで日本のニュースもチェックしていたようで、つくづく勤勉な人だと関心してしまう。

幸田はといえば、どこのニュースだろうと帰宅後纏めて斜め読みをし周囲との会話について行ければそれで良いと軽く考えている。

そんな事よりも、豪奢な部屋で英字新聞を読む姿が嫌な程様になり過ぎている三城に意識を奪われてしまっているのだ。

毎日見慣れているはずなのに、所とシチュエーションが変れば感じるモノも変るのか、改めて見た彼はやはり格好良い。

それは惚れた盲目か、事実的な美か、きっとどちらもなのだろう。

ぼんやりと三城を見つめていると、あまりにも突然彼がさらりと言ってのけるものだから、幸田は言われた事を理解するよりも早く頷いてしまいそうになった。

「あぁ、そうだ、恭一。今からその言葉使いを止めろ。」

「あ、はぃ・・・へ?それはどういう意味ですか?」

「その」とは「どの」だ。

前触れもなければ思い当たる節もなく、幸田はただただ頭の上に「?」が浮ぶばかりだった。

動揺を見せる幸田に、三城は顔を上げずに続ける。

「そのままの意味だ。敬語だか丁寧語だかは止めろと言っている。俺達はもうそんな仲ではないだろ?」

なるほどそういう事か、と納得したのもつかの間で、次に思い浮かんだのは「何故今更」という至極当然の疑問だ。

三城と交際を始めて数ヶ月。

その前からも彼にはこの話し方だし、名前の呼び方についてはつい先日同居前に改めたばかりではないか。

それだって当初は恥ずかしくて仕方が無く、ようやく慣れたと思っていたのに。

「それは───。でも、春海さんが年上である事にも変りませんし。今のままじゃダメですか?」

「硬苦しい上によそよそしいんだ。それに、その『春海さん』というのも止めろ。」

「えっ!?じゃぁ、何て呼べば・・・」

「『春海』で良いに決まってるだろ?」

あっさりと言ってのける三城に、不満と不安が沸き起こる。

喋り方なんて日常的な事を、「やれ」と言われて「わかりました」と出来るものではない。

その上「呼び捨てにしろ」など今の幸田にはハードルが高過ぎると三城には解らないのだろうか。

「でも、そんな、いきなりは無理です。」

「無理じゃない。心がけ次第だ。・・・そろそろ時間だな。」

三城は眉根を寄せると、新聞をバサリと不必要な程大きな音を立ててテーブルに置いた。

立ち上がり部屋を出て行こうとするので、幸田は咄嗟に三城の後を追った。

早足で歩くとガウンの裾が僅かにはためき、差し込む風により素足に下着すら着けていないと思い出してしまい、とてもまぬけにすら感じる。

けれどそんな事を気にしている場合ではないのだろう。

幸田が拒否の色を見せる度に三城の機嫌が悪くなっている事は解っているし、ここまで言った彼が前言を撤回するとも思えない。

諦めるしかないのだろう。

三城の機嫌を伺いながら生活をしている訳では決してないけれど、せっかくの旅行初日にこんな事くらいで喧嘩をしたくない、と言うのが本音だ。

「言葉使いは、その、直すように努力します。でも、せめて春海さんは春海さんと呼ばせてください。」

メーンルームから扉を二枚隔てた場所にある、煌びやかに豪奢なパウダールームの鏡に向かう三城の後ろへ立つと、幸田は困惑の声を上げた。

両手を顔の前で合わせ、お願いと唇を引き結ぶ。

もしも「春海」などと呼んでしまえば、恥ずかしさはもちろんきっととても恐縮してしまうと思うのだ。

それでは対等な生活などままならないかも知れないし、それは慣れの問題としてもとりあえずこの旅行を楽しめるとは思えない。

チラリと振り返った三城は幸田を見眇めた後、鏡に向き直ると感情の読み取れない口調で言った。

「なら態度で示せ。俺が言ったように話しお願いしたら考えてやる。」

「え!?」

「ほら、言ってみろ。」

うろたえる幸田に身だしなみを整え終わったらしい三城が再び振り返ると、全身から余すところ無く有能さがにじみ出た彼はとてもよく似合う高飛車な笑みを浮かべて見せた。

「・・・・は、はるみさん、って呼ばせて・・・?」

たったそれだけの言葉なのに、恥ずかしくて声が上擦ってしまう。

三城と居ると、年甲斐も無く思春期のようなじれったさに陥ってしまい、それもまた羞恥を呼ぶのだ。

「もっとだ。」

「え?」

「そんな短い言葉で許してもらえると思っているのか?」

三城は意地の悪い笑みを浮かべた。

ニタリと笑う彼を見ていると、困る自分を見て楽しんでいる風に思える時がある。

それこそ加虐の趣味があるのではないだろうか、と疑念してしまう程だ。

「えっと・・・いきなり、呼び捨てになんて出来ないから、これだけは、許して?」

それでも「嫌だ」と言えない自分がそもそもの負けなのだろう。

精一杯言葉を紡ぎ、合わせた両手の下から上目で見上げると、三城は満足そうに口元を歪めた。

「まぁ、合格だな。」

三城の手が幸田の髪をクシャリと撫でる。

たったそれだけの事で、彼が望む事を出来たなら、と思ってしまう当たり、幸田にも被虐の毛が僅かばかりありそうだと苦笑が漏れる。

「俺は出かけるが一時間程で戻る。良い子にしてるんだぞ?」

まるで小さな子供にでも言い聞かすように言うと、三城は幸田の唇を小さく啄ばんだ。

「あ、はい。ここで待っています。」

「おい、言葉使い。」

「あ。」

さっきの今だ。

今からこれでは先が思いやられると感じたのは幸田だけではないようで、呆れたとばかりにため息を吐いた三城だったが、僅かに目を眇めるとニヤリと笑った。

「これからは言い間違えたら、街中だろうが何処だろうがキスをするぞ?」

「え!?」

「嫌だったら気をつける事だな。」

幸田の唇を指先でさっと撫で、じゃな、と残し三城は部屋を出て行った。

思わず追ってしまいそうになった幸田だったが、自分の格好とキーを貰っていない事を思い出し行動を制御出来たのは優秀と言えよう。

誰も居なくなった扉を見つめ、幸田はボソリと呟く。

「嫌、っていうか・・・嫌なわけはないけど、困るだけで。」

大通りの街中で三城に腰を掴まれ唇を塞がれてしまう様子を想像しただけで、呼び捨てだなんだと言っていられない程赤面してしまいそうになる。

けれど、凄く恥ずかしい気持ちにはなったものの、決して嫌だとは思えない幸田なのだった。




  
*目次*