新婚旅行リベンジ・編・36



長旅から帰宅し、自宅のソファーに腰を沈めると幸田は細い息を吐き出した。

十数時間のフライトを経て帰国したのはつい先ほどで、取るものもとりあえず指定席に崩れ落ちてしまったのである。

「疲れたか?」

キッチンで早速コーヒーを淹れていた三城は、マグカップ二つを手にクスリと笑った。

気が抜けて疲れが押し寄せたのかソファーから立ち上がる事も出来ない幸田をよそに、三城は一息も吐いてはいない。

それは長時間のフライト及び海外に対する経験の差か、それとも単に体力の差なのか、どちらにしても尊敬ものだ。

「うん、ちょっと。でも全然辛くはないから。何も手伝わなくてごめん」

「構わない。無理に動く理由もないだろ」

スマートな仕草で幸田の隣に腰を下ろした三城は、手にしていたマグカップの一つを差し出した。

見た目は同じカップだが、中身は異なる。

コーヒーそのものだとばかりに黒い三城に対し、幸田が渡されたものはミルクが多い事を表しているかのようなベージュカラーだ。

自分の好みぴったりに調合されたそれを一口飲むと、幸田は深いため息を吐いた。

「はぁ・・・ここで春海さんのコーヒーを飲むと『我が家だな』ってしみじみ思う」

「それは光栄だな」

「たった数日離れてただけなのに、こんなにも懐かしい気持ちになるのはなんでだろ・・・」

「さぁな。俺には解らない感覚だ」

海外出張など日常茶飯の彼にとってはそれもそうなのだろう。

肩を抱き寄せられるがままに身体を預け、幸田は上目に三城を見上げた。

「楽しかったね、新婚旅行」

目を閉じれば瞼の裏に蘇る、鮮やかな旅の記憶。

余韻に浸るように、幸田は声を潜めた。

「そうだな。俺はお前がそう言ってくれるならそれだけで十分だ」

いつもそうだ。

結局三城は自分の事だけを一番に考えてくれているのだと、今回の旅行で改めて実感した。

「はじめ『ニューヨークに行く』なんて言われた時はびっくりしたけど。そうそう、飛行機がファーストクラスっていうのにも驚いたし」

旅行のことなど何一つ知らされていなかった。

それどころかただランチに行くだけだとさえ思っていた。

その為、三城に告げられる内容一つ一つ全てが驚きで、正直気の休まる暇なんて全くなかったようにも思える。

怒涛の数日間。

そんな言葉がふと脳裏を過ぎった。

「社長さんにも会えたし、お義母さんにも会えたし」

「母さんが来たのは事故のようなものだ」

「僕は嬉しかったよ?やっぱり二人っきりの結婚式だったら寂しかったな」

美しいチャペルを思い出し、幸田は目を細めた。

まさか自分がヴァージンロードを歩く日が来るなんて考えた事がなかったし、それを祝福してくれる人が居るというのも同じくである。

気恥ずかしい白いタキシードに真新しい指輪。

わざわざ参列者として日本から駆けつけてくれた沙耶子に心から感謝をする。

「そういえば、お義母さんからの写真って届いてる?」

「あぁ、先ほどメールを確認した。後で見せる」

「うん。楽しみ」

沙耶子が式の途中と終わりに撮っていた写真。

三城とツーショットの写真は、あれが初めてなのだ。

ツーショットどころか二人で映っている写真という物自体がまるっきり無く、三城は歓迎していないのかもしれないが幸田はとても楽しみにしていた。

「そうだ。お義母さんには伝えたの?昇進の話」

「いや。わざわざ言う事でもないだろ」

「そんな事ないよ。言わないとダメだと思う」

「・・・そうか?なら、後でメールしておく」

「お義父さんと冬樹さんと秋人さんにもだからな」

「わかったわかった」

心底面倒だとばかりに言い捨てる三城に、幸田は眉を寄せた。

放っておくと本当に知らせないまま何ヶ月も過ぎてしまいそうで怖い。

幸田に知らせたのも、自分がそういう事───三城の昇進を知りたがるだろうからであると告げられた時はある意味驚愕をしてしまった。

そうでなければ三城は、己からは昇進云々の話を言わなかったという事である。

確かに三城の仕事についてはノータッチであるし、彼が実際にどのような職務をこなしているのかに興味はなかったけれど、それとこれとでは大違いだ。

「結果的に一番に伝えたのだから良いだろ」

「そうだけど。でも、何か違う気がする」

語学力には強くない。

気持ちを正しく伝える言葉は出てこなかったので、睨みつけるという行動で反撃に出た。

「何が言いたいのか俺も解らないが。それよりも、案外早く馴れたものだな」

「え?」

「言葉遣い。そんなに俺にキスをされるのは嫌だったか?」

「あ、そうだった・・・」

冗談っぽく笑う三城を見て、そんな約束もあったな、と思い出した。

『敬語・丁寧語を話したら罰として、どこにいてもキスをする』

そんな事は無理だと、三城に「普通に話す」など馴れはしないとすら考えていたが、たった数日でこれが当たり前になってしまった。

初めは友達に話すよりは硬い語調であったが、今はもう少しマシになっている気もする。

「・・・キスが、嫌な訳じゃないよ」

カップに顔を埋め、幸田は聞き取りにくい口調で呟いた。

もっとも、三城の場合「罰にキス───だけでは収まらない」と続くのだけれど。

「相変わらず可愛い事を言う」

「・・・そんな事を言うのは春海さんだけだよ」

お馴染みの会話を繰り返し、あぁ日常だな、と感じた。

「そういえばお土産どこ置いたっけ?」

「ダイニングの上だ。学校に持っていくのか?」

「うん。いつも良くしてもらっているから」

学校にお土産を買わないと、と気がついたのは帰りの空港に着いてからだ。

離陸時間までは余裕があるものの、気ぜわしい出発となってしまった。

職員室に一つと個人的に数個。

わざわざ土産を用意して「行って来ました」などと言う必要もないかとも思ったのだが、普段世話になっている同僚を思えば黙っているのも気が引けた。

「いろいろ突っ込まれそうだけどね」

誰と、何人で、何の目的で、どんな所へ行ったのか。

幸田には『ハルミちゃん』なる彼女が居るとバレているので言及の手は止まらないだろう。

それを思えば苦笑が浮かぶものの嫌な気分ではなかった。

「惚気てやればいいだろ。『夫と新婚旅行に行きました』ってな」

「そんな事、言える訳ないだろ」

「悪かった。それはただの俺の願望だ」

「・・・。夫とは言えないけど、大好きな人と、くらいなら言えるかな・・・」

どうせ『ハルミちゃん』はばれているのだ。

それならば多少は惚気ても許されるかもしれない。

「『彼女』が居ると思われるのか構わないのか?」

「うん・・・前は嘘を吐いてるって凄く自己嫌悪に陥ったりしてたけど。今はそれよりも皆に教えたいくらい」

人は変れば変るものである。

以前は「彼氏」を「彼女」と偽る事が苦痛でしかなかったというのに。

今は、性別など関係なく、自分には大好きな人が居るのだと、とても愛されているのだと自慢したいくらいなのだ。

その変化もまた、男同士に恥じた様子を見せない三城が幸田に与えたものなのだろう。

「やはり恭一は・・・」

「ん?何?」

「いや。他の奴に誤解されるような事を言うなよ」

「誤解?春海さんとの事?」

「そうじゃない・・・・まぁ、とりあえずそれをしていれば大丈夫だとは思うが」

呆れた口調になりながら、三城は幸田の左手を持ち上げた。

そこに静かに光るプラチナが、とても眩しい。

「絶対に外さないでね」

取られた手で三城の指を絡めた。

そこには自分と同じ、一回り大きいだけの指輪が嵌められている。

「・・・それは俺のセリフだろ」

いつもいつも自分ばかりが言われているから。

まるで危険視されなければならないのは幸田だけだと言わんばかりだというのが癪に障って。

だから、先に言ってやったのだ。

絶対に外すな。

僕だけの貴方だという証を。

悪戯っぽく笑った幸田を、三城はすかさず腕の中に閉じ込めたのだった。




 
*目次*