三城×幸田・それぞれの春・編・20



あまりにも幸田が幸せそうに微笑むものだから、三城は本当の事が言えなかったのだ。

「あ、先輩から電話だ。ちょっと失礼します。」

先輩というのは、幸田にこのチャンスをもたらした「先輩」だろうか。

幸田はバイブレーションで着信を知らせる携帯を手にすると、ダイニングテーブルから離れた。

リビングを出て廊下に向かう。

その姿すら、ウキウキと弾んでいるように見えた。

三城は幸田の後ろ姿を視線で追っていたが、仕切り扉が閉まり完全に姿が見えなくなると、顎を上げて宙を仰いだ。

「あんな姿を見せられたら、な。」

長年の夢、その大きさを三城は理解しているつもりだ。

幸田の幸せは自分の幸せ。

あいつさえ笑っていてくれるなら、それでいい。

そう思ったからこそ、指輪を渡したのだ。

すっかり冷めた茶を飲み干すと、湯のみの底に溜まっていた苦い物が口の中に残ってしまい、思わず眉を潜めた。

これが、今の三城の気持ちだろうか。

本心をさらけ出すなら、三城は幸田の夢の実現を心から喜ぶ事が出来ないでいた。

自分の将来、幸田の未来。

どちらかを優先しなければ共に生きていく事が出来ないのだろうか。

いつかこんな日が来ると少しは考えていた。

だがそれはもっと先の話しだと高をくくっていたのだ。

いつにない自分の考えの浅さに、三城は自嘲の笑みを漏らした。

そしてそれは苦渋の表情へと変わる。

「どうするべきなんだ。」

一番大切なものは恭一。

それは考えなくても解る。

けれど、一番大切なものを、ただそれだけの理由で優先し選び取るには、三城の社会的立場は重かった。

何もかも投げ出して、幸田の手を取る。

そんな映画や漫画のような真似は、幸田自身が嫌がるだろう。

「はっ、、、大人なんて嫌なものだな。」

自分自身に語りかけるような呟きに当然返答などはなく、虚しく自分の耳に残るだけだ。

眉を潜められた面持ちも、通話を終えた幸田がリビングに戻って来る気配を察すると、スッと平静を装ったものへと作り変えられた。

ポーカーフェイスには長けているつもりだ。

少なくとも、幸田意外には完璧に自分を取り繕える自信はある。

煙草を一本取り出すと、唇に咥える。

愛用のシルバーのライターで着火すると、紫煙を立ち昇らせた。

自分の気持ちを幸田に悟らせたくなんて無い。

三城は正面の席に幸田が座る前に、何気ない仕草で入れ替わり立ち上がった。

「話しは終わったのか?」

キッチンに向かうと、最近買ったばかりのコーヒーメーカーに豆と水を入れ可動させる。

独特の機械音を立て、水が沸騰してゆく。

「はい、例の高校の話を持って来てくださった先輩からだったんですけど。あ、そうそう。昨日飲んでいたのもその先輩で、この話をしていたんですけどね。」

幸田の声は、それは楽しげで嬉しげで。

三城は幸田に背を向けているのを良い事に、眉間に深い皺を寄せた。

「それにしては酔い過ぎだったんじゃないのか?」

「ははは、そうですよね。あまりに懐かしかったから、ついお酒も進んじゃって。それで、先輩も『昨日は大丈夫だったか?』って電話をくれたんです。僕より先輩の方が酔っていたんですけどね。」

幸田は暫し、先輩の人柄や昨日の会話の断片を語ってみせた。

その様子から先輩という人物への信頼や、未来への希望が嫌というほど伝わってくる。

三城は適当な相槌を打っていたのが、幸田は何も不信に思わなかったようで内心安堵の息を吐いた。

短くなった煙草は、キッチンにも置かれている灰皿で揉消す。

コーヒーメーカーの立てる音から仕上がり間近を察したのか、幸田は席を立つとキッチンに向かった。

コーヒーの高い香りが、煙草の残り香など消し去るように周囲に立ち込めてゆく。

三城はコーヒーを淹れはするが、カップのセッティングなどはもっぱら幸田の仕事だ。

食器棚から揃いのカップを取り出し作業台に並べると、広いキッチンの中で三城のすぐ隣に立ち、身体を寄り添わせた。

幸田に甘えた仕草で腕を取られれば、三城は無意識のうちに負けじと指を絡みつかせてしまう。

「先輩に、伝えておきました。推薦を通してください、って。」

三城の心情など微塵も知らない幸田は、パッと花が咲いたような笑みを浮かべたのだった。



 
*目次*