三城×幸田・それぞれの春・編・3



大石との約束の日が近づくにつれ、幸田は徐々に悩むようになっていた。

高校で教鞭をとれるという驚きと興奮から一息落ち着いてみれば、自分の取ろうとしている行動は至極勝手なようにすら思えてきたのだ。

同じ数学教師であった澤野の死亡で、予備校は一時騒然とした。

「殺人」というセンセーショナルな出来事ももちろんだが、受験シーズンに数学の教師に欠員が出るのが痛かった。

代わりの教師が見つかったのはつい数日前の事だ。

いくら年度が変わった春からだとは言え、それに加えて自分が辞めるというのはなんとも勝手ではないだろうか。

他の教師の顔が次々と脳裏を過ぎていき、悶々とする気持ちを幸田は一人抱えていた。

そしてそれに追い討ちをかけているのは、相談相手と言って一番に思いつく、頼りになり過ぎる恋人・三城が日本に居ない事だ。

年明けから海外出張が増え、今も何処かの国に行っている。

詳しい事は知らない。

聞かされていないし、聞いたとしてもきちんと理解出来ないだろうから聞かない。

それが大阪であれ北海道であれ、たとえヨーロッパであっても、離れているというのは同じなのだ。

距離は問題ではない。

三城の不在に幸田があの麻布十番の家に居る訳にもいかず(三城は気にはしないだろうが)、幸田は久しぶりに自宅に連泊(という言い方は間違っているのだろうが)していた。

その結果大石からの電話を取れたのだが、三城が居ない事を喜べるはずもない。

「寂しいな。」

外資系企業に勤める三城の海外出張は頻繁にあり、今年に入ってからもすでに二回出かけている。

行って、日本に帰って来てすぐ戻る、といった具合だ。

どれほど二人でゆっくり過ごしていないだろうか。

電話は元より、メールの少なさからも三城の多忙は伺える。

海外に居ても三城から電話はあるのだが、挨拶と近況報告もままならない内に通話が終わるのが常だった。

「どうしよ。」

とりあえずは大石から話を聞かなくては何も始まらない。

申し出を受けるにしても断るにしてもそれからだ。

何度そう自分に言聞かせても、電話越しに聞いた大石の言葉の数々が幸田の頭から離れない。

教師を目指して勉強に明け暮れた日々、教員試験に合格した日、多数の学校から不採用の通知を受け取った日。

瞼を閉じて思い出す日々の数々を、拭い去る事は容易ではなかった。

高校教師への憧れ。

それは学生の頃よりも遥かに膨れ上がっている気すらした。

いよいよ明日が大石との約束の日、という夜、日本の日付が変わる頃に三城から電話があった。

「明日の夕方に日本につくはずだ。」

「え?」

三城は既に現地の空港に居るという。

前触れも無い帰国の知らせに、幸田は動揺を隠せなかった。

「会えるだろ?」

当然とばかりの三城の口調に、幸田の声は震える。

「えっ、、、その・・・」

幸田とて三城に会いたくない訳はない。

だが明日は大事な約束があるのだ。

「なんだ、都合でも悪いのか?」

「あ、はい」

「そうか、なら仕方が無い。」

普段ならば「何故だ」と叱責をされてもおかしくないのに、今回はあっさりとその会話は終わった。

安心したような、物足りないような不思議な気分が幸田を襲う。

少しだけ他愛も無い話しをしたのだが、幸田の頭にはほとんど話しの内容は残らなかった。

久しぶりに聞いた三城の声が、無性に冷たく感じられる。

すぐに三城が「時間だ」と言い電話は切れたのだが、幸田は既に繋がっていない受話器を耳に当てたまま動けずに居た。

何も悪い事をしていない筈なのに、多大な罪悪感が胸に芽生えたのだった。



 
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