三城×幸田・それぞれの春・編・33



誰がどんな感情に苛まれていても、当たり前のように時間は流れている。

食事をし、睡眠を取り、仕事に行くのは当然の事で、幸田は更に転職に必要な手続きやなんやと忙しく動き回っていた。

あの日から一週間近くが経っていたが、幸田は三城に連絡を入れる事が出来ないままだった。

そして三城からも、何の音沙汰もない。

いくら忙しく、その上日本とアメリカでは時差があるとはいえ、連絡をする時間を全く作れなかったと言えば嘘になるだろう。

時間が経つにつれ、連絡をとりにくくなっていた事に対する逃げ口上だ。

だが平常よりは難しくなっているのは事実で、肉体的にも精神的にも幸田は参っていた。

予備校でも、受験の第一希望・第二希望と落ちた生徒の必死な追いこみが始まり、又は学校での進級が危うい生徒も出始め、校内はいつになくピリピリとした雰囲気なのだ。

そんな中、同僚達からの風当たりは「良好」とは言えないものの、転職を申し出た最初よりは随分とマシにはなっている事だけが救いだ。

今では三枝を筆頭に「3月の頭にでも送別会を」という話しも俄かに出ているらしい。

まだはっきりと聞かされていない幸田は、とりあえずは目の前の仕事だ、とあえて知らないふりをしていた。

「幸田先生、今日はもう帰ったらどうですか?」

職員室の自分のデスクに向かい、授業でやらせていた答案用紙に目を走らせていた幸田に、背後から三枝が声をかけた。

その声は明るく軽快で、三枝も連日忙しくしているだろうに幸田と違い疲れの一つも見せず、まるで余裕に満ちているかのようだった。

何処かで息抜きをしているのか、彼のプライドの高さ故か。

同じく疲れを外に見せない最愛の男を脳裏に過ぎらせては、すぐに思考から追い払った。

「でも・・・」

「他の先生方の事なら気にしないでいいんじゃないですか?皆、自分の仕事が終わったら勝手に帰るだろうし、無駄に残っている理由はないでしょ?」

それはそうなのだが、幸田が最後の方まで残っているのはいつもの事だ。

「周りに気を使うのもいいのですけど、無理してまで使わないでいい気もあるんですよ?幸田先生めちゃくちゃ疲れてるでしょ?」

「それは・・」

言い方に嫌味が混じるのは三枝なりの優しさだ。

その証拠に口調とは裏腹、心配げに眉が下がっていた。

確かに今している仕事は、どうしても今しないといけない物ではない。

先に帰るのが悪い、自宅に帰りたくないという意識が、無意識に幸田を仕事に向かわせていたのだが、疲労感が少なくない事も事実。

ここで変に意地を張って倒れる訳にもいかない。

「そうですね。」

幸田はフーッと息を吐きながら笑みを浮かべた。

「今日は帰ります。」

「そうしてください。この忙しさも後少しですよ。」

三枝は満足そうに目を細めると、幸田の肩をポンと叩いて軽い足取りで離れていった。

離れた席だというのに、コレを言う為にわざわざ来たのだろうか。

世話焼きというか、何というか。

三枝は見た目や口調の軽さに似合わず、そういった所がある情人である事もまた、幸田は良く知っていた。

帰ると決めた幸田は採点途中の答案用紙をデスクの引き出しに入れ、帰り支度を始めた。

自宅に仕事を持ち帰る気分にもなれず、貴重品だけを鞄に入れなおすと席を立ち上がる。

「お先失礼します。」

幸田の控えめな挨拶に三枝が大声で挨拶を返し、他の同僚達からもパラパラと返事が返って来たが、悪態は聞こえなくて案心した。

職員室を後にすると幾分軽くなった足取りで廊下を歩み、誰に呼び止められる事も無く冷え込み雪もちらつくビルの外へと出た。

あまりの寒さに身が引き締める。

「寒っ」

針をさすような、とはこのことだろう寒さだ。

突っ立っていては凍ってしまう、と幸田はコートの前を掻き合せ、さっさと駅へ向かおうと歩き出した。

だが、その時。

「失礼ですが、幸田恭一さんですか?」

「え?」

離れた背後から声をかけられ、幸田は咄嗟にそちらを振り返った。

「貴方は・・・」

「覚えて下さっていましたか。話が早いです。」

幸田に近づいてくる一人の男。

それは誰あろう、あの日ホテルで三城と一緒に居た若く至極美人な部下らしき男に見間違いはなかった。



 
*目次*